俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

殺人ビームすら受け入れろというのか。

 自分と他人とでは価値観が異なる。それは分かってる。25時の電話のベル土曜日の仕事。そしてその価値観の違いが軋轢を生じさせたりもするけど、逆にその違いを理解できれば良好な関係を構築することもできる。それも分かってる。ため息で塗り替えられた週末の予定。ちょくちょく福山雅治アニキがHELLOするけど大丈夫わたしは元気だぉ。

 そんなことは分かっていても、なかなか上手に人間関係を構築できない。それがわたし。でもそんな自分の事も分かっているので、何とか上手にやろうと日々意識して努力することもできる。自分の特性を理解することはとても大切だ。


 長女(12)はとても不器用。親のヒイキ目を加えたとしても、何をするのも人並み以下。だからわたしは彼女に対して事あるごとに「キミは不器用なんだから」と言う。

 そんな言い方してやるなよと人に言われたこともあるが、別に不器用を責めているわけではない。何も考えずに何でもこなす天才肌の人がいる一方で、何をやらせても鈍くさくて上手くできない人もいる。長女は後者。であれば、本人もその特性を知った方がいいよという話。知っているからこそ要所で自分に最適な選択をすることができる。自分が泳げないことを知らない人は溺れちゃうんだから。分かっているからこそ努力もできる。別に努力しなくてもいいけど。

 そういう意味であるということも説明した上で長女に「不器用だ」と言っている。伝え方や言い方を間違えると萎縮してしまうから難しい。


 長女はとにかく考えない。いや、考えているのかもしれないが、足りない。『コレをしたらこうなる可能性があるからこうしよう』みたいなことができない。青のりがタップリかかった焼きそばを食べたあとに歯みがきもせず鏡も見ず「いってきまーす」と出てゆく女。それが長女。


 先日、長女を叱った。家族で出かけようと玄関を出たら、ブラジャーの両肩のヒモが服からハミって出ていたから。ずいぶんと景気のおよろしいことだ。

 その時が初めてではなく、いつもそう。ちょくちょく出ているから気を付けなさいと言いながら都度直してあげるけど、何回注意しても直らない。理解に苦しむ。だから多少キレた。いい加減にしろと。出かける前に鏡を見ろと。いつも注意してるだろと。オレで言ったらジーンズから常にパンツのゴムが見えているようなものだぞと。お前が周りから嘲笑されるのは耐えられないと。だいたいブラジャーの両肩ヒモが露出するとはどんな服のチョイスをしているんだと。即刻着替えてこいと。

 

 ……いつの間にか長女の話になっていた。違うわたしが今回書きたかったのは『殺人ビーム』についてだ。


 本日、電車に乗るのでスマホをポチッとマナーモードにしたつもりが、間違えてLEDライトをポチッと点灯してしまっていた。それに気がつくまでの二駅間、わたしはスマホから放たれる殺人ビームを周囲に浴びせ続けていたらしい。わたしの周囲の皆様に置かれましてはさぞかし不快だったことだろう。どうもゴメンナサイ。


 それにしても、周りの人はよくわたしに何の注意もしなかったものだと思う。これが外国だったら「Hey! Maybe she draw! Casey now site!!」とか怒鳴られそうなものだけれど。わたしだったらキレはしないが「すみません。スマホのライト点いてますよ?」くらいは言うかもしれない。いや言わないかな。「はい。知っていますがそれが何か?」とか言われたらイラッとしちゃうし。


 LEDライトで思い出した。会社でのわたしの向かいに嘱託のオジジがいるのだが、ちょっと困った問題が起きている。わたしとオジジの机は向かい合わせで、互いのPCモニタが背中合わせになっている。図で説明するならこのような環境だ。


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 ただこのオジジ、PCモニタの光量では物足りないらしい。だからPCモニタにクリップタイプのLEDライトを取り付けて、自分の周囲のシャイニーパワーを増幅させているのだ。

 それはいい。それはいいんだ。でも眩しいんだよオジジ。オジジのそのLEDライトがね。向かいにいるオレの目に深刻なダメージを与えているんだよ。


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 ホンの少しだけでいい。己が行動の影響を考えて欲しい。そうすれば自分にとっては有益なシャイニーパワーでも、向かいの同僚にとっては殺人ビームとなり得ることが即座に分かるはずだ。

 わたしとてオジジから光を奪うつもりなどない。ただ少し工夫をしてくれるだけで全てが解決するのだ。だからわたしはオジジに伝えた。あなたのLEDライトから放たれる殺人ビームがわたしの目に深刻なダメージを与えている。撤去してくれとは言わない。ただ、少しライトの位置を下げるか、向かいのわたしに光が届かないように遮光のついたてみたいなものを設置してくれまいかと。

 オジジは分かりましたとつぶやいて、スッとライトの位置を下げてくれた。どうやらついたてを設置する手間は惜しかったらしい。わたしとしてはついたてが良かったのだが仕方がない。取り敢えずの危機は脱したことだし、助さん格さんや。これにて一件落着! カッカッカ!!


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 となるはずだったのだが……。やっぱりオジジだからか忘れるのよ。数日経つとライトの位置が元通りになっているのだ。そのたびに「あの、殺人ビームが……」と伝え、オジジはまたライトの位置を下げる。そして数日後にはまた位置がもとに戻っている。だからついたてにしろとあれほど……。

 何回言っても同じことの繰り返しだから、今はもうライトの位置が高くなると、オジジのいない隙を狙ってライトをグーッと下に下げるようにした。この繰り返し。


 正直に言うと、このオジジとはあまり積極的に接点を持ちたくないのだ。わたしにとってはさして悪い人ではない。いつもニコニコして人当たりは良いし、表面上で付き合う分には何の問題もないのだが、いかんせんクセが強い。かなり強い。くさやとは真逆のクセ。くさやは臭いけど食べればおいしい。このオジジはおいしそうに見えても食べると苦くて食えたもんじゃない。そういうタチの悪いクセ。


 このオジジのクセを如実に表すエピソードがあって。オジジがウチの部署の忘年会の幹事になった時、いっさい誰にも何の意見も聞かず、参加可否の調査すらせず自分の一存だけで忘年会の日時と場所を決めた。しかも開催5日前の朝のミーティングで「今年の忘年会ですが、今週の金曜日の18:00から○○で行いますので、よろしくお願いします」と言ってのけたくらいのクセ。


 そんな自己中で殺人ビームを放つオジジですら、互いの価値観の違いを理解さえすれば良好な関係が構築できるのだろうか。出来るのだろうな。全てはわたしのとらえ方次第か。

大抵の苦難は乗り越えられるだろうことを、ワインが教えてくれた。

 食べ物の好き嫌いは多くないと自分では思っているが、なぜか周囲の人からは好き嫌いが多いと思われているフシがある。


 わたしはお肉が苦手だ。お肉はメインとなる食材だから、テーブルの上にドーンと出てきたお肉料理が食べられないと「え? なに肉食えねぇの?」となる。確かにインパクトは強い。

 メインじゃなかったとしても、お肉はあらゆる料理に潜んでいるから。出てきた料理から都度チマチマとお肉を除去する作業を続けるわたしを見れば、「おっコイツ何だか好き嫌いか多そうだゾォ?」って思われても仕方ない。

 これがお肉じゃなくてグリーンピースならそうはならない。そもそもアイツらは学校の給食とシュウマイの上でしか出くわさないので、食べられなくてもインパクトが弱い。


 あと魚。お刺身とかお寿司でいえば、マグロやサーモンやその他諸々の魚は得意じゃない。焼き魚なんかも、皮も血合いも苦手だし骨を取るのも上手じゃないから食べ方がキレイじゃない。魚を食べているというよりは何かをほじくり回して遊んでいるようにしか見えないだろうから、これもまた、見ている人にネガティブな印象を与えているのだろう。


 野菜なんかは、あんなもんは基本的にただの草だから。原則として虫が食うもんだと思っているから率先しては食べない。苦いし。セロリなんてあれは「なんで? セロリおいしいじゃーん」なんつって「セロリなんて食べられてあたしいい女」みたいな謎の女子力を誇示するためだけにある草だろ。


 あと牛乳も苦手。コーヒー牛乳は大好き。


 こんなわたしを人は好き嫌いが多いと言うが、そもそもわたしは好きな食べものはあっても嫌いな食べ物は1つもないんだぞ。嫌いなのではなくて苦手なんだ。他の生命を食べるために奪っておきながら嫌いなどというのはおこがましいにも程がある。だから食べ物を嫌いとは言わないし思わないことにしている。


 というようなヘリクツはいい。客観的にみてわたしは好き嫌いが多いだろう。だから人生において「一体なに食べて生きてんの?」なんて聞かれたことは今まで数しれない。こちとら仙人じゃねぇんだからね。カスミ食って生きてるわけじゃねえんだから。当然答えは「苦手なモノ以外を食べています」になるわけで。でも毎回毎回そう答えるのもウンザリなので、最近は「ブリトー」って答えるようにしている。セブンイレブンの。ハムとチーズのやつ。すごくおいしい。

 

 お義母さんはそんなわたしの好き嫌いを把握してくれている。だから奥さんの実家に行くと、ご飯の時間にはエビイカタコが出てくる。わたしエビイカタコ大好きだから。いつ行っても必ず用意されている。

 もちろん嬉しい。わたしの好きなものを覚えていてくれるその気持ちが嬉しいし、エビイカタコも単純に嬉しい。どんな時もエビイカタコ。どんな時もエビイカタコ。君が君らしくあるためにもエビイカタコ。


 いい加減にするんだ義母。いくら好きでも実家に行くたびに毎回エビイカタコばっかり食べられるわけないだろ。これ多分趣旨が変わってきてるよね。はじめこそ純粋に「ムスメムコのために好きなものを用意してあげよう」って気持ちだったけど、たぶん最近は「あの子にはエビイカタコ出しときゃ大丈夫でっしゃろ」に変わってるよね。あるいは実はオレの事をものすごく嫌ってて、痛風にさせようとしてんじゃないかないかな。だからエビイカタコばっかり出してくんじゃないの?


 そんな風に思ってはいけない。人の好意をそんな風にねじ曲げて受け取ってはいけないよ。

 とはいえ、このままではマジで痛風街道まっしぐらだ。やだよオレ痛風なんて。よく知んないけど風が吹いても痛いんでしょう? 何だよそれ怖えじゃん。そういえばビールや発泡酒も何だかプリン体とかで痛風になりやすくなると聞いたことがある。ヤバイ。このままでは義母の思うツボだそ。


 だからわたしは毎日の晩酌にビールや発泡酒を控えることにした。じゃあ代わりに何を飲むか考えた結果、ワインにした。

 ワインについて知っているのは、ポリフェノールが何だか良さそうであることと、肉には赤、魚には白。これくらい。


 でも今まで飲んできてワインをおいしいと思ったことはただの一度もない。何もうまくねぇよあんなもん。なんでみんな苦労してあんな酢みてぇなもんを飲んでるのか理解に苦しむ。

 こないだなんか、焼き魚を食べながら赤ワインを飲んだら呆れるほどに合わなかったから、そうだ魚には白ワインが合うんだっつって白ワイン飲んだら、まるで生ゴミの汁を飲んだかのような濃厚かつスパイシーな腐敗臭が春の風のように鼻腔をくすぐりながら通り抜けて行きやがった。フザケやがって。

 これ絶対みんなおいしいと思って飲んでないよ。雰囲気だろフンイキ。醸造酒じゃなくて雰囲気酒だワインなんか。


 それでも健康のために我慢して飲んでいたら、飲み始めて一ヶ月くらいで変化がおとずれた。少しずつワインに抵抗がなくなってきたのだ。それどころか、ほんの少しだけおいしいと感じるようになってきた。その変化には自分でも戸惑ったが、あぁ、要するに慣れなんだと。


 初めてビールを飲んだ時のことを思い出した。苦いだけで全然おいしくなかった。おっさんたちはなんでこんなものをおいしいおいしい言いながらゴクゴク飲んでんのか。味覚がねじ曲がって朽ち果ててるんだと思ったものだけど、でも今は全然平気だもの。それなりにおいしいと感じるくらいにはなっている。慣れたんだビールに。


 ワインも同じなんだな。慣れたんだワインの味に。慣れはすごい。あんなフザケた酒の味に慣れるのなら、この先の大抵の苦難は慣れて乗り越えることができるだろう。

 ワインをたしなみ始めた事で、図らずも人生の進み方を少しだけ見出した気がする。いや大げさだろどう考えても。


 まだ味の違いなど分からないし、舌を噛み切りそうな名前ばかりでイライラするけど、ここから先のワイン生活が、ちょっとだけ楽しみになってきた。

どこから洗う?

 

 恐らく心の底から興味が無いことは分かっているんだけど、まぁ聞いて。


 お風呂に入ったらカラダのどこから先に洗い始めるか。わたしと奥さんはラブラブで毎日一緒にお風呂に入るから、どちらが先にカラダを洗うかによって変わってくる。

 わたしが先にバスタブに浸かるのなら、真っ先に洗うのは股ぐらとケツだね。これはもう絶対に譲れねぇ。だし譲って欲しいなんて奇特な人も絶対にいないでしょう。

 わたしが先にカラダを洗うのならまず顔。顔を石鹸で洗う。今年のお正月に10個入り500円で買ったロフトの福袋の石鹸で顔を洗っている。いっぱいあるからまだぜんぜん使い切れない。


1.石鹸を手に取る

2.手のひらに石鹸を擦り付ける

3.手を擦り合わせて石鹸を泡立てる

4.泡立った泡で洗顔する


 手順としてはこんな感じなんだけど、すごい事に気が付いた。

 3番を見てほしいんだ。これって顔を洗う前に手を洗ってしまっているよね。本人にその自覚は全くないんだけど、この3番の行為は完全に手を洗っているに過ぎないんだよ。その泡はもう手のひらの汚れ満載の泡だからね。それを顔に擦り付けたところでそれは洗顔ではなく汚顔(おがん)なんだよ。


 わたしは数ヶ月前の入浴時にこの事実に気が付いて。もうキツネにつままれたというか虚を衝かれたというか。何と意味のないことをしていたのかと。

 こんな気持ちになったのは、入社当時に会社で掃除をしていた時に掃き出しからゴミを外に掃き出しながら「建屋の中にあるゴミを掃き出しから外に出しても、中はきれいになるけどこの世界に放置されているゴミの総量は変わらないんだよな」などと妙に達観したことを考えたあの日のわたしはもういない。


 だから訂正するや。オフロに入ったらカラダのどこから先に洗い始めるか? 手よ。おてて。

天下分け目のストレスチェック。

 バスを降りると、いつも後ろからわたしを追い越していく同じ会社の若い青年がいる。わたしは追い越されざま、彼に「おはようございまーす」と挨拶する。それが毎朝の日課

 今日の朝も同じように、わたしを追い越そうとする青年に「おはようございまーす」と挨拶したら、ぜんぜん知んないおっさんだった。テメェなに勝手に俺のこと追い越してんだよジジィお前のせいで耳真っ赤になっちゃっただろって思ったけど、これは完全にわたしが悪いねゴメンねおっさん。そして最近気がついたんだけど、わたしが『おっさん』と呼ぶ他人の多くが、わたしと同年代かそれより年下っぽいってこと。相も変わらず移ろってんなぁ、時は。


 そして閑話休題本題に戻りますと言ってもまだ戻るべき本題には一度も触れていないこの体たらくよ。


 該当する企業に実施が義務付けられている『ストレスチェック制度』っていうのがあって。ストレスレベルを判定するための調査票に回答して、『高ストレス者』と診断された人のメンタル不調を未然に防止、あるいは改善するための一次措置のことなんだけど。要するに「あんた結構ストレス溜まってるみたいだぜ? ヤバイことになる前に何とかした方がいいぜ?」ってこと。

 そんで、高ストレス者と判定されると産業医との個人面接が受けられる。でもそれは別に強制じゃなくて任意。面接を受けたい人がその旨を会社側に申し込む。


 少し話は変わるけど、わたしが所属する部署の上司Aは、わたしが今生において最も忌み嫌っている人間の一人。わたし以外の同僚からも他部署からも中々に評判の悪い人物だ。

 仕事が出来ないわけではない。根っからの悪人とまでは言わない。ただ、いかんせん人間性が狂おしい。吉川晃司と布袋寅泰がAの周りで「狂おしいぜへ狂おしいぜへあぁ狂おしいほどにひひぃ」と内股でクネクネと歌い踊りまくるくらいには人間性が狂おしい。どのように狂おしいのかは敢えて書かないけど。


 それでもAは次期社長の取締役と非常に親しい。だから将来はエリートコースを約束された人物。だから誰も何も言えない。わたしは比較的物事をハッキリ言うタイプでAにも遠慮はしてこなかった。だからわたしとAの折り合いは最悪だ。


 でも他の人達もA本人の前で言わないだけで、Aに対する不満は常に渦巻いていたし、ウチの会社で初めてストレスチェックが実施された2016年は、みんなのAに対する不満が最高潮に達していた時期でもある。

 やがて同僚の一人がこう言い出した。「みんな。全員で高ストレス者になってやろうぜ。そんで全員で産業医と面接して、普段言えないAの悪行をぶちまけて失脚させてやろうぜ!!」


 まるで関ヶ原だ。豊臣の恩を忘れて傍若無人に振る舞う徳川を打つべしとの機運高まる豊臣勢のようだ。みな口々に「おう!」「やってやろうぜ!」と意気軒昂。


 おいおいちょっと待ちなさい。正当にチェックを受けた結果ならともかくだね。高ストレス者になるように意図的に回答するのはダメよ。やるならその辺りは不正の無いようにしなさいよ。

 わたしは普段からロンリーウルフ(笑)を気取っているので、その企てに参加するつもりはなかった。でももしかしするとこれは面白いことになるかもしれない。そう期待する自分がいたのもまた事実だ。

 

 さて。2016年のストレスチェックの結果はどうだったか。本人たちからの自己申告を集計すると、わたしの勤める部署では約7割が高ストレス者だった。すげぇ。この瞬間、豊臣勢の結束は固まった。天下分け目の関ヶ原だ。徳川Aさんモノごっつう人望ないっすわ。これは失脚の予感っすわ。


 いっぽうわたしも高ストレス者だったので、すぐに産業医との面接を申請して受けた。内容は予想通り大したことはない。面談時間からして20分しかないし、取り敢えず話は聞きましたよというだけだった。こちらとて何かを期待していたわけでもなく、せっかく高ストレス者が受けられるシステムなのだからと面接を受けただけなのでそれはいい。


 でも納得がいかないというか、世の無常を感じざるを得なかったというか。ウチの部署で面接を受けた人はわたし以外、誰もいなかった。ウソでしょ高ストレス者が7割だったのに。天下分け目の関ヶ原はどうした? 戦は? お前ら豊臣勢は徳川A康との決戦にのぞむのじゃなかったのか?


 なぁ俺は死ぬほど人望のない石田三成か? 昨日LINEで「じゃ、明日の朝、関ヶ原でな」って全員に入れたよね。既読も付いたよね。なのに何で現地に着いたら誰も来てねえの? 合戦中に敵に寝返ったとかならまだいいよ。いや良くはないんだけどもさ。でもとりあえず形だけでも現場には来ようよ。話はそれからじゃん。その後寝返ってもそれはもうしょうがないけどさ。いやだからしょうがなくないんだけども。でもとりあえず来てくれたその気持ちは嬉しいじゃん? 来ないって。味方が誰一人として馳せ参じやがらなかったって。想像してみ? 関ヶ原のだだっ広い平野の真ん中に一人立ち尽くす我輩の姿。ピラピラしてんの。右手に持ったストレスチェックの結果の紙が風でピラピラしてんのよ。シュール。ただただシュール。


 しかも後に風の噂で聞いたところによると、そもそも面接を受けたのはわたしだけだったらしい。わたしの部署でじゃなく、わたしが勤める事業所数百人の中でわたし一人。 いや独り。


 それもそのハズなんだよ。面接を受けると自分の上司にもその旨は伝わるんだ。業務中に抜けて面接を受けるわけだからね。上司が部下の状況を把握しないわけには行かないからだろうね。そして面接の中で産業医が大切と判断したことは、そのまま人事に伝えられ、人事から上司に連絡が行くのよ。○○さんがこんなこと言ってましたよって。

 そんな面接誰が受けるよ。そりゃ日和るわ。そもそも上司と円滑なコミュニケーションが構築されている環境だったら高ストレス者になんてならないし、その不満は直接上司にぶつけるでしょ。みんな。それが出来ないから面接を受けるんであって。


 他の企業でも高ストレス者で面接を希望する人って全体の3%しかいないんだって。高ストレス者が気軽に面接を受けられないシステムってのは問題だよなぁ。


 産業医との面接が終わった後、みんなに聞かれたよ。もう質問攻めと言っていい。面接どうだった? どんな事聞かれた? 何しゃべったの? この後どうなるって?

 うるせぇ。自らの手を汚さないくせに利益だけ得ようとしてるんじゃないよ日和見野郎どもが。東軍7万の軍勢相手に孤軍奮闘した俺の骨を拾う勇気があるか? あるなら教えてやる。無いなら今すぐ去れ。戦に参加せず遠くから見てたやつに教えてやることなどなにもない。そこまでオレは慈悲深くはねぇ。


 そんなわたしは去年も今年もストレスチェックで高ストレス者。そして面接も受けた。相変わらず独り。しかも今年は産業医との面接で話した部署の内情が大ごととなり、常務までしゃしゃり出てきてしまい、近日中にわたしとAそして上層部を交えて面談をすることに相成りました。


 さぁ、楽しくなってまいりました。エリートコースまっしぐらのAの虎の尾を踏んでしまったわたしはどうなるのか。乞うご擬態。震えて待て。わたしがね。

わたしが本当の意味で老いる時。

 一昨日、あんかけかた焼きそばの麺が喉につかえた。とても痛くて不安になった。こんな事は生まれて初めてだ。かた焼きそばが喉に引っかかるなんて。

 昨日、生ハムのスジが喉に引っかかった。生ハムなんて普段はあまり食べないのに。娘たちが一枚だけ残したやつをたまたま、本当にたまたま食べただけなのに。

 お年寄りが食べ物を喉に詰まらせてしまうニュースを目にしても、正直いままではピンときていなかった。でも分かった。ピンときた。

 今日の朝。自分のあごのヒゲに白いものが混じっているのを初めて見つけた。


 老いた。そう感じさせられることが増えてきた。老いは少しずつ、だが確実にわたしに忍び寄ってきている。例えば我が子や周囲の子どもたちの成長。例えば親類縁者や知人、著名人の死。時の移ろいを思い知らされ、相対的に自分の老いを感じさせられてしまう。

 

 例えば自身の体の変調。朝起きる時にカラダが重いとか、おしっこに勢いが無いとかキレが悪いとか、お昼休みに眠くなっちゃうとか、何にもないところでつまづくとか、寝不足の疲れがてきめんに抜けないとか、お酒が弱くなったとか、手がしびれるとか、肩が凝るとか上がらないとか、腰を痛める率が高くなったとか、全速力で走るとケツとモモがつるとか、揚げ物の衣に恐怖して剥いてしまうとか、頭髪の毛量の減少が著しいとか。


 特にここ最近の毛量の減少は本当に看過できない。ここ数年の兆候から、どうやらわたしは前頭部から禿げ上がってゆくタイプと確信した。鏡に映った我が前頭部の毛量の乏しさに絶望し、一人東急ストアのトイレで数分間におよび立ち尽くしてしまった。鏡の前でナンダヨマジカヨフザケンナヨと、何度も何度も呪文のように繰り返しつぶやくわたしに目を丸くして恐怖の眼差しを向けながら急ぎ排尿をしていたあの時の少年よ。怖がらせてしまって済まなかったね。人間40年以上も生きると色々なことがあるのだよ。


 今はまだ暑いからね。わたしのこの前頭部の心もとなさはきっと夏毛なんだ。冬になったらもっと太くて頼もしい毛がフサフサと生えてくるんだと自分に言い聞かせて何とか正気を保っている。

 でもわたしはもう覚悟し、そして準備しておかなければならない段階に来ているのかもしれない。近い将来に必ず訪れる、自他ともに認めざるを得ないレベルで禿げる日のために。

 わたしが本当の意味で老いる時。それは禿げた時。

敬老の日。

 今日は敬老の日。もうすぐ終わるけど。


 義父母は、というか義母は敬老の日を祝われるのを嫌う。だから祝わない。自はともかく他に老扱いされるのが耐えられないらしい。

 例えばどこかの施設でシニア割引があった場合でも義母は頑なに使わない。あくまで自分は老人ではない体で振る舞う。いや老人だよ。あなたがどんなに否定しても、世界中の誰もがあなたを老人じゃないと言ったとしても、わたしだけはこう言う。あなたは老人だと。老人が嫌なら老い人、すなわち『おいんちゅ』でもいい。とにかく自分の老いを認めさせる。それがわたしなりの優しさ。だってそうだろう。あなた自身が自分で自分を認めないでどうするよ。あなたは老いてんのよ。エルサも言っている。ありのままの姿を見せるのよと。


 よく『老害』という言葉を目にするし耳にする。わたしは現実の世界でもすごく口は悪いが、老害という言葉は好きではない。

 確かに老いに起因する一方的で聞く耳を持たない厄介なガンコさや押し付けなどをしてくる老人はいる。それは確かに迷惑なこともある。

 でも老化によって頭や身体が以前より思うように動かせなくなった人に対してまで『老害』という言葉を使うのは違和感がある。


 例えば若い時にどれだけバリバリに働いていた人でも、年を取って全盛期を過ぎる時は必ず来る。それを見て老害という人がいる。あれか。その人が落ちぶれたら、その人が今まで達成してきた功績まで落ちぶれるのか。自分が散々お世話になってきたその恩すら、その人が年を取ると無かったものになってしまうのか。そりゃいいことも悪いこともあるけど、自分がいま生きているこの時代は、その老害と言われる人たちが頑張って作ってきたものだということは忘れてはいけないのではないかな。


ということを考えた今年の敬老の日


これは去年の敬老の日に、とあるショッピングセンターのイベントで描いたもの。


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金縛りについて大発見をした。

 わたしはごくたまにだけど、金縛りにあう。詳しいことは分からないけど、身体が寝ているのに脳がある程度覚醒している状態であるらしいことは知っている。だからわたしは金縛りを霊的な何かとは結びつけてはいない。でも金縛りは怖い。


 金縛りになる瞬間は不思議と分かる。

あーなりそうかな、なりそうだな、あーなったーって感じ。

 身体が一切動かないのはもちろんのこと、目も開けられない。いや、もしかしたら目は開けられるのかもしれないけど、怖くてそれを試したことはない。いくら金縛りを霊的なものに結び付けていないとはいえ、目を開けて何かがいたらと思うとリームー。


 声だって一生懸命声を出そうとするが、なかなか出ない。やっと声が出たと思ったら「ゔぁっ!!」とか死に損ないのヤギみてぇな声しか出ない。そしてそれに気づいた家族に救出される。


 だいたいわたしは閉所恐怖症だから、動けない状態にさせられるのがこの上なく怖い。わたしを発狂させたいなら簡単だ。布団です巻きにすればいい。


 そんな風に、一切の自由が制限される地獄のような金縛りに対して、先日わたしは大発見をした。


 金縛りでも舌打ちはできる


 本当だ。わたしが自ら実証した。身体も動かせず目も開けられず、声も出せない。諦めの境地に達したわたしが、ふと思いついたのだ。「…舌打ちできるかな…?」


 ちぇっちぇっちぇっちえっ


 できたーっ!!


 人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である。

 人類の抵抗は、まだ始まったばかりだ。


 皆さん良い週末を。