俺があいつを見返す日。

ある一言をきっかけに、ある人物を見返すきっかけとして立ち上げました。日々のことから夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも掲載します。

ビートたけし『アナログ』読み終わりました。

ビートたけしさんが書いた初の恋愛小説だそうで。

 

アナログ

アナログ

 

 

ここ最近は活字から離れて久しかったのですが、ネットのニュースでその存在を知ってから俄然興味が湧いてきましてね。漫才で頂点を極め、映画でも世界から認められ、多くの著書も持つ多才な70歳のおじいちゃんが初めて書く恋愛小説とはいかようなものであろうと。

そしてつい先日に読み終わったのですけどね。恋愛小説としては面白くなかったですね。『こちらの期待値が大きすぎた』では片付かない程度には凡作ではないかと思います。

終始『静か』な恋愛の形でした。まぁ、いろいろな恋愛の形がありますから。なにも身を焦がすような激しい感情を伴う大恋愛が全てではありませんのでね。ただ、読んでいて心が揺さぶられはしなかったということです。

 

何でしょうね。あまり書くとネタバレになってしまいますが、ストーリーとしてはいわゆる王道だと思います。

王道を否定する気はありませんが、王道というのは言い方を変えれば『使い古されたもの』ですからね。そのまま出されても「それ知ってる」となるわけで。

それを王道とさせない工夫として設定されているのが、本作のタイトルにもなっている『アナログ』だと思うんですね。

この辺は紹介文にも書いてあるんでネタバレの範疇には含まれないと思うんですけど、主人公の男女は携帯電話などのツールを使わず、連絡先も交わさず「会いたいと思えば必ず会える」という確信にも似た期待で成り立つ恋愛をしているんですね。

それ自体は面白いとは思うんです。携帯電話が普及してからドラマチックなお話って成立しにくくなったといいますからね。

ただ、キモであるそのアナログに舵を切るための説明がちょっと露骨なんですよね。事あるごとに「機会が苦手」「コンピュータ使わない」とか説明じみた文章が出てきて。

それがミエミエでちょっとシラケるんです。わかりやすい伏線というか、完全に見えている落とし穴みたいな。なんならわたしの目の前で今まさに穴を掘っているみたいなね。

もっといろいろ書きたいんですけど、ネタバレにならない程度のさじ加減で表現する能力はわたしにはなさそうなので、このあたりでやめておきます。

でも、とても読みやすい文章でした。最初から最後まで読み進めるのが苦痛ということはありませんでした。

 

それと、恋愛小説としては「……」でしたけど、本としてはとても楽しめました。

だって普通に漫才のネタみたいな話がいくつも入ってるんですよ。ビートたけしさんのあの感じでの脳内再生が余裕でした。

その中で一つだけネタバレしちゃいますが『無煙ロースター頭』が最高でした。

話は変わりますが、そもそもわたしは昔からビートたけしさんの笑いのセンスが大好きなんです。

あと色気ね。若い時の映像とかをYOU TUBEで観ますとね、普通にトークしているだけなんですけど、なんか色気がすごいんですよ。申し訳ないけど、今の芸人さんでこんな感じのオーラを持っている人って見当たらない気がします。これって完全に私のひいき目なんですかね。

 

最後に。

もしこの本が北野武監督作品として映画になったら、きっとわたしは観ません。

『アナログ』とはそういう本でした。

道案内に対するわたしの贖罪。

なりきりマスク?ヨーダ

つい先日なんですけどね。仕事が終わって会社を出てすぐ、こんな風貌のおばあさんに声を掛けられましてね。見た感じ80歳は超えておられるであろう、少し背中が曲がった小柄のおばあさんです。

ただ、認知症を発症されているのか、

「ここはどこなの?」

「あなたは誰なの?」

「ここは○○町じゃないの?」

「私の家は△△町よ?」

「早く家に帰らないとお父さんに叱られる」

「お父さんとお母さんは100歳なの」

こんな感じで延々とまくし立ててくるものだから、まともな会話にはならないんですけど、どうやらご自分の家が分からなくなってしまったみたいなんですよね。

とにかくこのままでは埒が明かないので、マシンガントークの合間に質問を差し込んでですね、何とか住所を聞き出したんです。そしたら歩いて15分くらいの場所だったんで、一緒に行っておばあさんをご自宅までお送り差し上げたわけです。

そんなわたしを人は『優しい』と言いますが、その通りなんですよ。当たり前じゃないですか優しいんですよわたしは。だってその人の家まで一緒に行ったんですよ? 徒歩15分ですよ? でもおばあさんの歩みに合わせたから実際はもっと時間が掛かってますから。しかも帰る方向とは逆ですからね。わたし一応その日に行きたいところがあったのに行けなかったんですから。

 

数ヶ月前にも、徳島から上京したばかりで道に迷っていた、ちょっとヤンチャっぽい男子高校生に道を尋ねられまして。

阿波踊りの会場に行きたいけど分からないと。バリッバリに画面が割れたスマホを取り出してその場所の情報をわたしに見せるんです。なんとか場所は分かったんですけど、徒歩では遠いし、かと言ってタクシーを捕まえるには場所が悪い。これからみんなで銀座のリカちゃん展にいくところだったけど、みんなには先に行っててもらって、わたしはその青年を現地まで車で送って行きました。

ちょうどこの日です。

 

この記事の最後で「髪が乱れているのには理由がある」と書いたのですが、この道案内が理由です。現地に到着するまでにいろいろ大変だったのでね。

車を降り際、その青年は謝礼として一万円を差し出してきましたけど、その手を遮り、わたし言ってやりましたよ。

「今日の夜、オレにいい気分で酒を飲ませてくれよ」

多分伝わってないですね。何言ってんだこのハゲくらいのもんでしょうね。

過去には映画館を探している女性を現地まで案内したりね。ハッキリ言って道案内に対してわたしはかなり優しいんです。

 

なぜかというと実はこれ、ちょっとした贖罪がありまして。

もう20年近く前の事なんですけど、駅前で外国人の男性に声をかけられたんです。

英語であろう言語で何かをまくし立てているのですが、何言ってんのか全っ然わからなくて。ただ「バスストップ」って単語は聞こえたから、あぁバス停を探してんだなって分かりました。

あとはどこ行きのバス停か分かれば何とかなるので集中して聞いていたら、分かったんですよ彼の行きたい場所が。

ただ悲しいことに、そのバス停までの道を説明できるだけの言語力がわたしにはなかった。この時ほど英語が話せればと思ったことはありませんでしたね。

そこでわたしが彼に放った一言が、後世まで語り草となるこの言葉、

「ミーとトゥギャザー! ゴー!!」

です。

その外国人と一緒にバス停までの道を歩きながら身振り手振りでコミュニケーションをとり、彼がパキスタン人であることが分かりました。以後この文中ではこの外国人をパキスタンと表現します。

目的のバス停に到着し、パキスタンに運賃を教えたのですが、日本の通貨にまだ慣れていないのか通じない。

わたしは自分の財布から必要な硬貨を取り出しパキスタンに見せました。でもどうやら該当する硬貨が財布になかったらしく。

わたしは自分が見本としてみせたお金をパキスタンの手に握らせ、かぶりを振る彼を半ば強引にバスに押し込みました。

バスの中からわたしに手を振るパキスタン。親指を立て笑顔で見送るわたしは、その時に気付いてしまったんです。パキスタンが目指す方向とは見事にまったく別方向を示すバスの行き先表示が。

わたしは今でも忘れられません。バスの中で満面の笑みを浮かべ、不器用なお辞儀を何度も何度も繰り返してわたしに感謝するパキスタンの笑顔を。

少しずつ遠ざかって小さくなるパキスタンの姿を、わたしはただ見送ることしか出来ませんでした。

そんなわたしの脳内に流れていたBGMは、あの名曲『忘れていいの‐愛の幕切れ‐』です。

 

 

私が道案内で見せる優しさは、そう、パキスタンへの贖罪だったのです。

 

あと、冒頭で書いたおばあさんのことを、わたしは『迷子』と表現して家族に話してきかせたんですけど、その時に長女(11)が言ったんです。

「おばあさんだから迷子じゃなくて迷婆(まいばあ)だよね」

わたしは長女のこのセンス、大好きです。

俺はあいつを見返せていなかった。

2017/09/08(金)の夜。 

わたしにとって非常に近しい間柄にある人、仮にその人をKさんとします。そのKさんが、小学6年生になるわたしの長女にこう言ったんです。 

「○○ちゃん(長女の名前)は、いい大学を出て、いい会社に就職してね。そうすればそれだけいい人と出会えるんだから」

別に隠す必要もなかったので書きますが、この『親しい間柄のKさん』というのはギフですギフ。奥さんの実父。

いやあの、わたし高卒なのでそもそも大学出ていませんし、決して大きくはない中小企業勤めですし、ついでに言えば上司に嫌われてるから出世も絶望的ですし、ゆえにお金も持っていませんが?

なんですかね? それはわたしに対する当てつけでしょうか?

いや。デリカシーのカケラも持ち合わせていないデリカシー音痴のあなたのことですから、恐らくはなんの悪気もないのでしょうね。

さらに言えば、あなたのおっしゃることは何も間違っておりません。至極真っ当、厳然たる事実です。

でもですね。あなたの価値観から判断すれば、わたしはあなたの基準からは大きく外れている、むしろ真逆とも言えるチンケな存在ということになりますね。わたしはあなたの娘さんの伴侶にそぐわないのでしょうか。誠に申し訳もございません。

ていうかですね。ほぼ一年前の2016/11/18に同じこと言われてるんですよ。この記事なんですけど。

 

 

ついでに言えば、この件はこのブログを始めるキッカケとなった出来事です。いつか義父を見返すための決意表明として、このブログ一発目の記事です。

いやぁ。まさかほぼ一年後に同じことを言われるとはね。今回もやはり落ち込んでしまったわたしなのですが、同時に自分の体たらくにも気付かされてしまいましてね。

わたしはこの一年、何をしてきたのかと。義父を見返すためにこのブログを立ち上げたのではなかったかと。改めてブログ記事を振り返ってみましたよ。

そしたら何もしてなかったの。なーんにも。わたしは何も成し遂げていなかった。わたしは義父を何も見返せていなかったんです。

それどころか聞いてください。わたしが今年はじめにやったことと言えば『家族が寝静まっている深夜、自分の屁の臭いをかき消すために部屋中にパフュームを降り注ぐ』ですからね。バカじゃないですかねわたしという男性は。

 

 

きっと今回の義父の言葉は、喉元過ぎて熱さをスッカリと忘れてしまっていたわたしに初心を思い出させるために、何かのチカラが働いた結果なのでしょう。

何かを成し遂げなくては。何かを。

『道化師のソネット』が大好きです。

昔から大好きなんです。さだまさしさんの『道化師のソネット』。歌詞をすべて掲載するのはイロイロとアレなんで一部のみご紹介しますが、

『笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために』

という曲。有名なので、もしかしたら一度くらいは耳にしたことがあるのではないでしょうか。

子どもに夢を与えようと努力しながら、興行中に転落死してしまったピエロの方の実話を元に、さだまさしさんが監督となり撮った映画の主題歌だそうです。ウィキペディアです。道化師はピエロのことですが、ソネットというのは14行から成るヨーロッパの定型詩で、偶然にもこの曲の歌詞も14行から成っているそうですね。ウィキペディアです。

この歌が先日の24時間テレビで流れていまして。ずっと観ていたわけではないのでどんな流れかは分からないんですけど、なんか芸人のアキラ100%さんに絡んだコーナーみたいでした。その中で『芸人が泣かずにはいられない曲』みたいな感じでさだまさしさんがステージで歌っていたんですけど、それを聞いていたら、なんだかお笑い芸人になりたいなっていう思いが急にガッと来ましてね。

人に笑いをもたらすというのは、本当にものすごいことだと思います。笑うことで副交感神経が優位になってストレスが解消されるというのは周知の事実ですが、そんな医学的なことではなく、単純に笑うと自分も周りも幸せな気持ちになりますよね。まさに『笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために』です。そんなことを生業としているお笑い芸人さんたちは素晴らしい。

いや、お笑い芸人さんたちがどんな気持ちで仕事しているのかは分かりませんよ? 人を幸せにしたいと思っているかもしれないし、お金のためと割り切って仕事しているのかもしれません。でもそんなことはどうでもいい。そこに高潔な信念まで求めるのは、教師に聖人君子であれとムチャ振りするようなものであって。心根はどうあれ事実として人を笑わせているのだからそれでいいのです。

わたしはテレビに出ているような著名な方は、もうマンガやアニメのキャラクタと一緒だと思っていますから。本当の人間性がどうだろうとあまり関係ありません。人間性が最低な人が素晴らしい絵を書くこともあるだろうし、大麻を摂取していたからといってそれまで作った曲の素晴らしさは基本的には変わらないはずです。

同じく24時間テレビの中で桂歌丸さんが色紙に『笑いのある人生』とお書きになり、その前日には故・野際陽子さんの特集で『いつもどんなときも笑っていなさい』とおっしゃっていました。

わたしなどは毎日、様々な怒りや不安、恐怖に苛まれながらストレスの大盛りを食べて暮らしているので、もっと笑うということを日常の生活に取り入れて行かなければならないと改めて思いましたね。

実際問題、お笑い芸人になるなど簡単ではないでしょうから、取り敢えずわたしは家族のお笑い芸人になることとしましょうか。私が幸せにしたいのはお茶の間の皆さんではなく家族なのだからね。

 

そういえば人間以外の動物は笑うことができるのでしょうかね。動物も喜怒哀楽があるのだから、笑うこともあると思いたいですけどね。

でもそもそも彼らに自我があるのかどうか。自我がないのだとしたら自分が笑っていることすら自認していないかもしれません。

そう考えれば、笑うというのは人間の特権で、とても素晴らしく贅沢なことかもしれませんね。

ドラゴンクエスト11をクリアしました。

昨夜、ドラゴンクエスト11をクリアしました。

「わたしもお父さんと一緒にドラクエやりたい!!」と言ってくれた長女との同時クリアです。

関連記事はこちらですので、よろしければ。

いやぁ、楽しかったです。今回のドラクエはストーリーが魅力的でした。システムも親切設計だと思ったし、難易度も低めで進めやすかったですね。普通に進めばレベル上げに精を出さなくてもなんとか勝てるくらい。わたしはちょっとシステムに悪いところがあったり敵が異常に強かったりすると、すぐに放り出すクセがありますので。困難に立ち向かう気概と根気がないのですなきっと。

最初のうちは、私の進行度に長女が付いてこられないことの方が多かったのですが、後半になってくると慣れと低難易度が奏効してか、長女の進みの方が早くなってしまいました。

これは大きな誤算でした。数年前にボケモンをクリアするのにボケモンじゃねぇよ打ち間違えたポケモンですね。ポケモンをクリアするのに四苦八苦していた長女ですから。わたしはその時のイメージを未だに払拭できずにいたのでしょう。そんな長女も小学6年生。立派にロールプレイングゲームのストーリーを理解して進めるまでになった模様です。時は移ろっていますな。

そんなこんなで、抜きつ抜かれつ、時に互いに情報交換などしながらプレイしてきたドラクエ11も、昨夜で一応のフィナーレ。長女は引き続きクリア後の世界を楽しむようですが、わたしは分かりません。射精した途端に賢者になるタイプなのでわたし。

 

しかし、長女(11)にとって本当のラスボスは他にいたはずです。

なけなしのおこづかいをひねり出し、それでも足りないので我が家や祖父母の家でバイトし、さらには自分の持ち物をメルカリで売り払い、そうして得たお金をドラクエの購入費にあてたのです。

大したものです。我が家は富裕層ではなく、わたしの稼ぎも知れている一般的な庶民の家庭です。でも長女の分のお金を出してあげることくらいはできないわけではありません。

しかしそれはせず、あくまで自分のためたお金で購入したかったようで。

わたし的にはもうこの時点でドラクエをクリアしたのと同義です。小学生が6,000円近い金額を自分で捻出するなど、ラスボスにひのきの棒と布の服で挑むようなもの。そして彼女はその貧相な装備で6,000円というラスボスを見事に討ち果たしたのです。親としては感涙に咽んで当然。

 

今回のこの一連のイベントは、本当にいい思い出となりました。奥さんが言っていましたが、小学6年生の少女が父親と一緒にドラクエをプレイしてクリアするケースなど、どのくらいあるものだろうかと。確かにそうです。こんな幸せなことはそうそうないでしょう。

長女は、数年後に発売されるであろう次回作も一緒にやりたいと言ってくれています。でもその時はたぶん君は高校生になっているよ。ゲームそのものを卒業しているはずさ。

恐らくは次回作を長女とプレイすることはないでしょう。ドラクエの最新作を一緒にできるのは、今回が最初で最後です。次女(8)に至っては長女より精神年齢が高いので、すでにゲームを卒業しかけております。ですので次女との線はないかな。

娘たちの成長を嬉しく思う反面、寂しくもありますね。

今のまま、時が止まればいいのになって思うことが、最近よくありますよ。

ハゲ=完全体だった話。

近ごろ、とみに前頭部の毛量が心もとなくなってきました。平たく言えばハゲてきたということです。

やはり加齢には敵わないのですね。それはそうです。だって齢40を超えているわけですからね。周りを見回しても、同年代の男性たちでハゲ散らかしていない人を探す方が困難になってきていますし。

その中にあって、わたしなどはなかなかに健闘してきたのではないかと自負しておりますが、それももはや風前の灯。わたしの毛根たちはこぞって頭髪をリリースし始めました。

ハゲるなら、あくまでハゲることを避けようがないならばですが、可能であれば前から徐々に後退していく形態を希望します。間違っても頭頂部から波紋が広がるような進行の仕方になって欲しくない。

あの『今日はちょっと趣向を変えて、お皿に載せたライスの周りだけにカレーを掛けてみました』的なハゲ方は容認できない。満員電車の中でハゲた頭を後ろからマジマジと眺められるなんて、そんなフグリを後ろから見られるような辱めには耐えられない。

 

『毛』というのはアレですよね。『大切なところを守るために生えている』なんて言いますね。別の言い方をすれば急所。

頭髪は言わずもがな、男性なら口ヒゲなんかもそうです。口と鼻の間には『人中(じんちゅう)』という大きな急所がありますし、顔面自体が急所の塊です。

脇もそう。ここ押されると凄く痛い。だから脇毛がありますね。

胸だって『壇中(だんちゅう)』という急所がありますから。胸毛なんか生えている人は女性から毛嫌いされる傾向にありますが、実は生物的に優秀なんじゃないですかね。

ということはアレですかね。ハゲるっつーのは即ち「もうお前のアタマなど大切じゃないぜ。だから髪の毛なくしても支障がないからなくすぜ」っつーことなんですかね。

現代の男性にとって頭髪とは、異性を惹き付けるためのそれなりに重要なファクターでありますから、要するにこういうことですか?

「お前もうオスとして終わってっから髪の毛なんぞなくてもいいぞ。もうおしまい。ハイ解散!!」

!! なんと、わたしの頭髪は解散していたのか!? 主であるわたしの断りもなく!?

イヤだ! まだハゲたくない!! ヨボヨボのジジイになってからならばハゲてもらって一向に構わない。でもまだだ。まだ早い。年金ですら受給可能年齢がどんどん高齢化しているというのに、なぜハゲ、お前だけは若年層にすらキバを向く? こっちはまだバリバリにモテたいのだぞ。理屈に合わないではないか。

 

あ、そーか。モテたい気持ちをただひたすらに強く抱いていれば良いではないか。わたしはまだモテたい。男性として終わってなどいない。だから頭髪は必要不可欠なものだ。そう思い込むことでハゲを根治できる。わたしのスーパーコンピュータがそのような計算結果をはじき出している。

待って? もしかしたら違うかも知んない。オスとして終わっているからじゃなくて、私の頭が髪の毛すら必要としない、数多の危険を超越した完全体に近づきつつあるということではないのか?

きっとそうだ。ドラゴンボールを思い出してほしい。あのマンガに出てくる強敵、フリーザ然りセル然り、大抵の場合は禍々しい姿形からシュッとしたムダのない体に変身して強くなっている。それは即ち、余計なものを排除することこそが、生命として完全体であるコトの証明なのだ。

わたしを含めたハゲの皆さん。どうか安心してください。ハゲは生命として完全体になるための進化過程でした。

ドラゴンクエストⅪの面白さは『らしさ』だと思う。

ドラゴンクエスト11を買いました。

PS4版と3DS版が同時発売で、わたしは3DS版を購入。最初はPS4版の予約をしたんだけど、長女(11)が「お父さんと一緒に3DSドラクエやってみたい!!」と言ってくれたので、すごくすごぅく悩んだ末にPS4版の予約をキャンセルし、3DS版の購入に踏み切ったのです。

よろしければ詳しくはこちらの過去記事を。

 

wp-dandy.hatenablog.com

 

そして先週の土曜日。11時頃だったかな、届きましたよドラゴンクエスト11と思われる荷物が。ドアホンに映ってましたよヤマトの人が。

わたしもーう朝から『まだかなまだかな』ってソワソワしてたもんだから、なんか玄関に出るのが恥ずかしくなっちゃって。だって絶対顔とか態度に出ちゃうもん。ドラクエ届いた嬉しさがね。

「何だコイツなんか超うわついてんじゃんこれ絶対中身ドラクエだろ時期的によーおっさん嬉しいか嬉しいのか笑えるドラクエじゃなくておかきとかだったら笑えるわー」とかヤマトの人に思われそうじゃん。そんなの恥ずいじゃん。

いつもなら奥さんに出てもらうんだけど、その日は一人だったから仕方なく出ましたよ。ドアホンで「はい?」って、ちょっと不機嫌そうに。そんでさも「え? 今日なんか荷物届く予定あったっけ?」みたいな感じで怪訝そうにドアを開けて。荷物を渡されたら受け取りながら首を傾げてみちゃったりして。「何だろ知らないぜ俺こんな荷物俺んじゃねえぜこれ」な三文芝居を繰り広げて。そんでヤマトの人が去り際に「あぁ、○○ちゃん(長女の名前)のやつか……」とかつぶやいたりして。わたしは小さな人間だよホントに。荷物の中身はおかきなんかじゃなく、予想通りドラクエでした。

 

そんでいま絶賛プレイ中なんだけど、やっぱり面白いんだな。恐らくゲームシステム的には全然新しくなくて、むしろ古いはずなんです。そこがいいんですねドラクエは。あえて古くしてると思うんですよね、作り手の方たちが。

新規ユーザーを取り込むためにはゲームシステムを一新した方が或いはいいのかもしれないけど、ドラクエの場合は懐古的に『ドラクエらしさ』を求める昔からのユーザーの方が多いと思うんだな。わたしみたいな。

そうするとイタズラに新しくできないでしょ。最も多いと思われる懐古ユーザーが「こんなのドラクエじゃない!!」って言ったら、それはもうドラクエじゃないんだから。わたしたちはゲームをやりたいんじゃなくてドラクエがやりたいのよ。

だからドラクエの最大の面白さは「ドラクエらしさ」。ここにあるんだな。好きなアーティストが数年ぶりにアルバムを出したようなものです。ファンにとってはその『アーティストらしさ』があれば、音楽的に古かろうが許容できるでしょ。でも音楽性が180度変わってたらちょっとヤじゃないですか?

むかし長渕剛さんのファンだった人が、故あって数十年のあいだ日本を離れており、帰国して久しぶりに、本当にひさしぶりに長渕剛さんの最新ライブ映像作品を何も知らずに買ったら、なんかムキムキでセイセイ言ってたっていうね。

いやいいんですよ。ムキムキでセイセイ言ってて。ただ、その人が知っていた長渕剛さんではなくなっていたというだけでね。ドラクエも同じ。自分の知っているドラクエらしさを探してしまうんです。

 

変わらない良さってあると思うんですね。