俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

カマキリのいた場所と家族の愛があった場所は同じだった。

 わたしが小学生の頃、周りの男子はみんな野球やサッカー、ドッジボールなんかで遊んでいた。今も昔もどうして男子はみな揃いも揃って球技が好きなのか。よほど前世に深い業があるとしか思えないが、誰かご存知なら教えて偉い人。

 でもわたしは球技が好きではなかったから、積極的にそれらでみんなと遊んだ記憶など全っ然ない。


 じゃぁ野球もサッカーもしない小学生のわたしは、一体どれほどにお上品なお遊戯をしていたかというと、泥でできたイビツな球体をダンゴと言い張ってみたりしていた。あるいはただひたすらに一人で走り回って虫を探していた。


 虫といっても、わたしが住んでいた辺りにはカブトムシやクワガタなんかが生息するような雑木林はなかった。あったのは広大に過ぎるほどの草むらだったから、主なターゲットはトンボやバッタだ。コオロギはダメ。アイツらはライザップしたゴキブリみたいで昔から得意じゃない。


 オニヤンマやギンヤンマみたいな大きなトンボはめったにいなかった。ごく稀に見つけても、スピード狂でトリッキーな動きをするアイツらには到底ついていけなくて、ついに捕まえることは出来なかったな。だからトンボならシオカラトンボが繰り上げ当選でいちばんの大物だった。学年1位じゃなくてクラス1位ってカンジ。


 バッタなら何といってもトノサマバッタ。こちらは正真正銘の学年1位。大きくて力強くて、そして速い。ものすごい距離をジャンプする。ジャンプとは名ばかりで、あれはもうほとんど飛んでいるに等しい。「ヤベー全然勉強してきてねぇよー」とか「ヤベー昨日足痛めちゃってよー」とか言いながらテストやマラソン大会で上位に食い込んだりする、クラスに必ず1人はいる卑怯者、それがトノサマバッタ

 サイズだけならショウリョウバッタの方が大きいけど、アイツらはヌボォッとしていて何かあんまり得意ではない。


 そんな各界のトップクラスであるシオカラトンボトノサマバッタでさえ、両のカマでガッチリと押さえ込み、動きを封じて食べてしまうのがカマキリ。全校1位。もう別格といっていい。とくにオオカマキリ。強さの象徴。かっこよくてすごく好きだった。


 でも見つけにくいんだカマキリは。トンボはそこいらに飛んでるからすぐ分かるし、バッタも草むらに足を踏み入れれば勝手にチチチッとジャンプしてくれるから居場所は特定しやすい。

 カマキリは違うよ。アイツら動かないから。周囲の草木に擬態して獲物が近づいてくるのをジッと待っている系のハンターだから、とにかく探しにくい。やりたいことが分からない人が探す『自分』くらいに探しにくい。だからこそカマキリを見つけた時の喜びは格別だった。


 カマキリといえば思い出す記憶がある。

 小学生のわたしが広い草むらの真ん中に座って、トノサマバッタを食べるオオカマキリを日が暮れるまでずっと眺めている。それだけならよくある少年期のひとコマだ。でも不思議なのは、周囲の草の匂いとか、少し肌寒い空気の感じとか、少しずつ暗くなっていく空の様子とか、暗くなってきたからもう帰らないとって思っている不安な気持ちとか。そんな情景を妙に鮮明に覚えていること。


 その記憶が30年以上経った今でもなお鮮明すぎるので、カマキリに対してはものすごくノスタルジアを覚える。そういう意味でも、わたしにとってカマキリは特別な虫。


 

だからだろうか。大人になってからも、それらしい草むらを見つけるとカマキリを探してみたりしていた。でも全然見つからなかったけど。そんなことを何となく15年くらいは続けていたと思う。どうやらわたしとカマキリはあまり縁がないらしい。


 それが今年になって突然だ。なんの前触れもなく、『そうだ 京都、行こう」の12倍くらいの温度で『そうだ! カマキリ、見つけに行こう!!』という強い衝動に駆られた。理由は分からない。自分でも戸惑うくらいだが、あまりに思いが強すぎたので、もしや死期でも近づいているのかと思ったほどだ。


 だから今年は例年以上にたくさん遠出をした。そしてカマキリがいそうな草木があれば、足を踏み入れて探してまわった。ある時は炎天下の中を。ある時は小雨そぼ降る中を。草むらの奥深くまで入り過ぎて、朽木の隙間にできたアシナガバチの巣を蹴っ飛ばしてしまいそうになった時は、危うく脱糞しそうになった。


 でも見つかるのはいつもバッタばかり。しかもショウリョウバッタ。違うんだ。もういいんだ。悪いけどお前ではないんだわ。


 「OK Google」と話しかければ、近くのラーメン屋から遠くのラーメン屋まで、何でも教えてくれる今のご時世だ。遠くのラーメン屋を調べることはあまりないと思うけど。

 だからネットで調べれば、カマキリがいる場所も何となく分かるのかもしれない。でもそれはしたくなかった。いるとわかっている場所に行くのは、もはや見に行くのであって見つけに行くわけじゃない。動物園に行って「野生のゴリラ発見した!!」などと叫ぶヤツがいるか? もしいるとするならそいつはとても幸せな者だからぜひ友達になりたい。

 そんなわけだからネットでは調べない。それをしてしまうと、わたしのカマキリに対する大切な想いを確実に壊してしまう。

 

 思ったより冗長になってしまったので、ここいらで結論を言いたい。

 カマキリは見つけることが出来た。どこでかというと、最後にダメ元で行ってみた、地元から少しだけ足を伸ばしたところにある公園で。お花畑の近くの植え込みにチョコンと乗っていた。3匹も。たぶんオオカマキリ


 たかがカマキリ。されどカマキリだ。あしかけ15年近く探し求めたものに出会った瞬間のわたしは、半ば放心状態だった。そしてひと言「……いた」と。さらには頬を伝う一筋のティアー。


 これマジ。マジでティアー。マジティアーCL。でもカマキリを見つけたことに対するティアーではない。家族への感謝に対するティアーだ。


 カマキリを見つけたいとか、40歳を過ぎたとっちゃん坊やがほざく、取るに足らない戯言ではないか。なのに奥さんも娘たちも、何度も何度も草むらに足を踏み入れて一緒にカマキリを探してくれた。娘たちなんかは小さな虫が近くを飛んだだけで怖がるくらいに虫が苦手なのに。


 出かける場所が遠くても。その日が暑くても雨でも風でも。綺麗なものもないし遊具もない全然楽しくない場所でも。全然ブーブー言わないで「絶対にカマキリを見つけさせてあげたい」と、家族総出でサポートしてくれた。

 そんな献身的なサポートに対するピュアでビュリフォーなティアーだ。この調子ならきっと老後も安泰。笑いが止まらない。

 

 こうして、わたしの長きに渡る旅は終わりを迎えた。

 今後はもうカマキリを探して回ることはないだろう。やりきった。燃え尽きた。虫捕り人生で最高の経験をしてしまった以上、もう残された道は引退しかない。例え今後カマキリを見つけたとしても、今回の記憶に勝ることはないだろう。

 カマキリと言えば、絶対的に前述した少年期の記憶だったが、これからは44歳の秋に起きた、家族4人が共有するこの素晴らしい記憶に変わるのだ。


 もしわたしが現役復帰することがあるとしたら、それは孫ができた時かもしれない。でもそれはまた別のお話。


 長いあいだ探していたカマキリは思ったよりずっと近いところにいたけど、家族の愛も同じくらい近いところにあった。そんなことを再認識させてくれるとは。さすがカマキリ。ナイスマンティス。ありが蟷螂。


 最後の最後で意味不明。無念。

『ヒトカラ』デビューをしてみて分かったこと6選。

 やったよ。ブログのタイトルに『○選』とか付けてやったぜ。

 わたしとていつまでもブログ初心者ではないからね。いろいろなブログを見ているうちに、この『○選』という書き方は、アクセスアップのためのテクの一つであるとの結論に至った次第だよ。

 きっと今回のわたしの記事は反響が凄まじいことになるぞ。アフィリエイトとかいうのやってみようかな。笑いが止まらねぇ。皮算用も止まらねぇ。

 

 歌うことは大好きだからカラオケには行きたい。でも人前で歌うのはハズィーから行けない。じゃぁこんなわたしは一体どうすればいいのか。『ヒトカラ』に行くことだね。それしかない。


 「どうしても苦手な人がいるんです」って相談したら「まずその人を許すことから始めてみましょう」みたいなことを言う人がいるでしょ。いやそれが出来ないから相談してんだけど。何なの? わたしは禅問答をしにきたわけじゃないんだよ。

 同じ。それと同じ。人前で歌うのがハズィーようなシャイなわたしだよ? ヒトカラなんかに行けるはずがのいじょのいこ(←えなり風味)。だいたいわたしの世代ではカラオケというものは一人で行くものじゃないんだよ。


 でもある土曜日、わたし一人の時間を取れる日があった。我が家では何をするにも家族単位であることがほとんどなので、それはとても珍しいことだったりする。

 このチャンスを逃したら、きっと一生後悔する。だからわたしは勇気を出して、近所にあるカラオケ店にヒトカラをしに行ってきた。


 今回の記事は、初めてヒトカラに行って分かったことをまとめてみた。わたしにしては珍しくフザケないですごく真面目に書いているからね。ヒトカラ未経験の方にとってこの記事が少しでも役に立てれば幸いだ。

 

0.基本情報

 ・シダックス

 ・土曜日

 ・11時の開店と同時に突撃

 ・20:00までのフリータイ厶

 ・1,800円(会員なら1,350円)

 

1.受付は小芝居で突破したよ

 ヒトカラ未経験者にとって、最初の難関は受付だと思うね。だって超ドキドキしたもん。店員さんにどんな顔されるんだろうとか。


 そういう場合は小芝居をぶっ込むといいよ。わたしはそうした。設定は『予期せず空いてしまった時間をどう潰すか考えながら街をブラついていたら、折よくカラオケがあったからちょっと入ってみた』的な客を装うというもの。


 わたしはたった2つの簡単な芝居で乗り切ったよ。

 まず、受付の前で電話を掛けること。これは本当に掛けてもいいし、掛けたフリでもいい。重要なのはその会話を受付の人に聞かせることだから。

 「あ、もしもし? あのさ、急に時間が空いちゃったんだけど、歩いてたらカラオケがあったからさ。ちょっとここで時間つぶしていくわ」

 こんな感じでいい。ちなみにわたしは奥さんに電話した。


 次に、受付の人に利用時間を聞かれた時ね。時計を見ながら「うーん。どうしようかな……。あぁ、フリータイムみたいなのってありましたっけ?」

 ありましたっけじゃねぇんだよね。前日に入念に下調べをして来てるんだから。でもこれで完璧。これだけで、ものすごく自然体でヒトカラに来た人だと認識してもらえるはず。卑怯じゃないよ。これは手段。困難を打破するための手段だよ。

 ただね。受付を突破できる副作用として、ものすっごい自己嫌悪には陥るけど。ナニ? 何だか変な匂いがする? あぁ気にしないで。辺りに漂う小物臭は、きっとわたしから発せられているオイニーだから。


 ホントの事を書くと、結果的にはどうってことなかったよ。店員さんの応対も至って普通だったし。わたしの他にもヒトカラしに来てる人いたしね。

 

2.部屋のドアに上着を掛けたよ

 部屋に入って真っ先にしたことがコレ。自分のコーディガンを部屋のドアに掛けて目隠しした。なにせはじめてのヒトカラでキョドりまくってるもんだから、部屋の外を行き交う人々が気になって気になって。

 でもたぶんだけど、これはお店の規定ではダメなことだろうし、何より再び自己嫌悪に陥ったのですぐにやめた。だってなんにも悪いことしてないし。姑息な気持ちになるために、わざわざ休日の午前中から時間とカネを使ってるわけじゃないんだって目が覚めた。

 

3.自分の声の音域を知ったよ

 部屋のドアからコーディガンを外してからは、誰に気兼ねすることもなくわたしの全力ライブが繰り広げられたわけだけど、声が全っ然出やしねぇ。まぁこれはまぁ仕方ない。プロの方だって日々のボイストレーニングは欠かさないだろうしケアもしているはず。何もしていないド素人なら当然の結果だ。もともと音域も広い方ではないし。そこに加齢も加わったおかげで、わたしの全力ライブはわずか5曲で終わった。プロはやっぱりすごいや。


 そこからは無理をせず喉をかばいながら歌ったんだけど、おかげで今の自分の音域が分かった。男性アーティストの曲なら音階を原曲キーから2つ下げること。女性アーティストの曲なら2つ上げること。これを基本としておけば、今のわたしにはちょうどいいらしい。それが分かったことは大きな収穫だった。

 

4.自分の歌い方や声を探す旅に出たよ

 わたしは歌う曲、というかアーティストによって歌声や歌い方がコロコロ変わってしまう。誰にでもあると思うけど、わたしは特にその傾向が強くて、ほぼモノマネみたいな寄せ方で歌ってしまうクセがある。


 今回、秋川雅史さんの『千の風になって』を歌ったんだけど、やっぱりあの歌い方を大げさに誇張して歌ってしまうんだ。でも誰もいやしないのに1人でテノール歌手みたいに歌って、何やってんだオレはと。いったい誰に向けてのパフォーマンスなんだと。そう思ったら急にバカらしくなって曲を途中で止めた。


 聞かせる相手もいないのに、1人でいる時にまでどうしてモノマネをする必要があるんだと。そこでふと気付いた。一体わたしの本当の歌い方や声はどれなんだ?


 で、今回初めてそれを探してみることにした。そしてその一つの手段として、マイクのエコーを切る事が有効だと気が付いたね。

 昔からマイクのエコーが好きじゃなかった。反響して自分の声がうまく聞こえなかったから。でもド素人がマイクのエコーを切って歌うなんて、そんなパンイチでオオスズメバチの巣に近付くような自殺行為はできるはずもなかった。

 

 でも自分しかいないヒトカラならそれができる。だからエコーを切ってみた。分かったのは、プロのアーティストがどれだけ歌がうまいかだね。逆に言えば自分の下手さ加減を思い知らされる結果となった。

 結論としてはまだ自分の歌い方も声も掴んではいないけど、次にヒトカラに行く時は、またエコーを切って歌ってみようと思う。エコー切り、案外楽しい。

 

5.採点はうっとおしいよ

 ただひたすらに1人で歌いまくってもハリがないので採点をしたんだけど。いちいち手動で採点画面を消さないといけないし、画面上部に出てくる音程バーがうっとおしくて集中できやしない。もう二度とやらないと思う。

 

6.好きなアーティストが増えたよ

 『アンナチュラル』というドラマを観ていたんだけど、そのエンディング曲が米津玄師さんの『Lemon』だった。覚えてはいなかったけど何となくいい曲だなと思っていたから歌ってみたら、もう絶望的に歌えなかった。うろ覚えで歌うにはメロディが難しすぎたんだな。


 だからその場でスマホで何回か聴いて、大体のメロディを覚えて改めて歌ってみたら、今度はメロディに対して歌詞がうまくハマらなかった。どうやらこの人は譜割りがちょっと独特なんじゃないかな。


 フザけんな米津とか思いながら、今度は歌詞を意識してスマホで何度か聴いていたら、いつの間にか「何か歌詞良くない?」とか思い始めた。ちなみに理由は分からないけど、わたしが惹かれた歌詞は


『わたしのことなどどうか忘れてください』


 のところ。たぶん、この段階でもうこの曲を好きになっていたんだな。

 ひとしきりLemonを聴いて三度めを歌ったら、うまくはなかったけど、何かすごく気持ちよく歌えた。


 それから米津玄師さんに興味が出てきて、米津さんのアルバムを毎日の通勤で何となく聴き始めた。

 聴き始めて間もないんだけど、他の曲も聞いてみると、たぶんLemonは大衆曲というか、ある程度分かりやすく万人受けするように作ったのかなって思った。Lemonは好きだけど、もっともっと好きになれそうな曲がある気がするわ。


 メロディも譜割も何かクセあって好きだし、新しいはずなのにどこか古臭い気がするし。何か分かんないけどいいぞ米津玄師。ちょっとハマってきたかもしれない。


 いやぁ、今まで完全に負の先入観を持っていたな。まだ米津さんが今ほど騒がれる前に、奥さんが知り合いから米津さんのアルバムを借りてきたんだ。わたしもそれを聴かせてもらって。アンビリーバーズだったかな。確かに良いし歌もすごくうまいなって思ったんだけど、その時は「なんかピコピコした音楽だな」くらいにしか思わなくて、それ以上は聴かなかった。


 だいたい米津玄師さんが『よねづけんし』だって事を知ったのもつい最近だからね。それまでは『べいづげんすい』って読むんだと信じて疑わなかったし、さらには勝手に青森出身の三味線奏者か、或いは高名な和尚だとばかり思い込んでいたからね。


 したらなによ。PVとか観たら何だかシュッとした不思議な雰囲気の青年だし。全然和尚じゃなかった。

 

 以上、なんだか最後は米津玄師さんについて熱く語ってしまったけど、ヒトカラ、非常に楽しかったです。また行きたい。


 最終的には17:00あたりで変な動悸がして、命の危険を感じたので帰った。6時間だからね。もうその頃には声も枯れ果て、何を歌うかという楽しい気持ちではなく、何時間までいられるか、何曲歌えるのかという苦行になり変わっていたし、これが限界かと。

 

 最後に、このヒトカラでわたしが歌った曲を、採点結果付きで掲載します。


そして本当に最後に。こないだの飲み会でわたしを差し置いて先にLemonを歌ったお前は絶対に許さない。

 

 

秋川雅史

千の風になって 79

渥美清

男はつらいよ 76

●アラジン

・フレンド・ライク・ミー 81

伊藤咲子

・ひまわり娘 83

梅沢富美男

・夢芝居 84

尾崎紀世彦

また逢う日まで 84

尾崎豊

・I LOVE YOU 91

河島英五

酒と泪と男と女 91

・時代遅れ 84

来生たかお

・セカンド・ラブ 84

●class

夏の日の1993 80

GLAY

Winter,again 81

米米CLUB

・君がいるだけで 84

桑田佳祐

明日晴れるかな 90

小坂明子

・あなた 78

ゴダイゴ

ガンダーラ 77

銀河鉄道999 83

・HAPPINESS 86

・BEAUTIFUL NAME 79

・HOLY AND BRIGHT 75

サザンオールスターズ

愛と欲望の日々 86

いとしのエリー 87

・海 83

・Oh!クラウディア 93

・怪物君の空 84

栞のテーマ 82

・シャ・ラ・ラ 86

・Just A Little Bit 88

TSUNAMI 82

・YA YA あの時代を忘れない 81

わすれじのレイド・バック 81

シャ乱Q

・シングルベッド 83

ZIGGY

・GLORIA 86

●J-WALK

・何も言えなくて…夏 91

スキマスイッチ

・奏(かなで) 86

●Superfly

・愛をこめて花束を 87

SMAP

・世界で一つだけの花 86

チェッカーズ

・夜明けのブレス 88

T-BOLAN

・離したくはない 85

DEEN

このまま君だけを奪い去りたい 85

瞳そらさないで 81

徳永英明

・壊れかけのRadio 85

中島みゆき

・糸 81

中西保志

・最後の雨 93

長渕剛

・GOOD-BYE青春 88

爆風スランプ

・大きな玉ねぎの下で 86

秦基博

ひまわりの約束 87

B’z

・ALONE 88

●BEGIN

涙そうそう 81

平井堅

・思いが重なるその前に… 86

瞳をとじて 91

・LIFE is… 91

・Ring 85

福山雅治

家族になろうよ 88

槇原敬之

・どんなときも。 83

Mr.Children

・innocent world 77

・終わりなき旅 84

CROSS ROAD 84

・しるし 83

Tomorrow never knows 82

名もなき詩 84

HANABI 84

●森進一

冬のリヴィエラ 85

●ムーラン

・闘志を燃やせ 89

・リフレクション 84

山崎まさよし

・One more time,One more chance 82

山根康広

・Get Along Together 89

●米津玄師

・Lemon 80

●リトル・マーメイド

・パート・オブ・ユア・ワールド 85

Le Couple

・ひだまりの詩 73

WANDS

・世界が終わるまでは 84

世界中の誰よりきっと〈PartⅡ〉 79

・ありふれた言葉で 80

愛を語るより口づけをかわそう 84

 


6時間で74曲。バラードを重点的に。


・最高得点 93

サザンオールスターズ Oh!クラウディア)


・最低得点 73

Le Couple ひだまりの詩)


・平均得点 84

血液型からの晴れ女・雨男と見せかけての手相そしてSHOCK EYEさん。

 つい先日に会社関連の飲み会があった。その席で他部署の女性に血液型を聞かれたから、「えぇ~何型に見える〜ぅ?」って返したんだけど、わたしならこんなしちめんどくさい返しをされたらそいつの両のモミアゲを引きちぎる。その女性もきっと同じようなことを思ったのだろう。ものすごく冷静に「A型でしょ?」って言われた。


 当たってた。でもどうして分かっちゃうかな。やっぱり血液型と性格には何かしらの関連性があったりするのかな。といっても別に興味はないんだけど。突然だけどアンドレ・カンドレってご存知? 井上陽水さんが井上陽水さんになる前の芸名だって。それ今どうでも良いことだよね。それと同じくらいわたしにとって血液型占いはどうでもいい。


 全然どうでも良くないよ。いやアンドレ・カンドレのくだりが。アンドレ・カンドレから井上陽水にしたことはどうでもいいんだ。ですよねーとしか思わないし、むしろ英断。そうじゃなくて、そもそもこれからの華々しいデビューに、なぜアンドレ・カンドレを選んだのよって話。

 

 晴れ女だの雨男だのってのも興味がない。これについては血液型占い以上に、もはやもうアンドレ・カンドレでもいいやってくらいにどうでもいい。ごく稀にふうわりとした怒りを覚えることすらある。


 例えば雨だったはずなのに晴れたりすると「ほらー私って晴れ女だからさー」とか始まるわけですわ。もう一回言ってみろこの野郎。お前ごときに天候を自在に操れるパワーがあるわけないだろドラえもん先輩に謝れフザケやがってぇ。


 でもこれはまだいいんだ。だって本人は至って前向きなだけで、ただの能天気な人なんだから。晴れ女だけに。能天気。フフ。フフフ。


 問題は雨の日。「マジかよ出たよ雨男。お前と一緒の時っていっつも雨な」とか言われる。あのねあのね聞いて聞いて。お前ボッコボコにすっぞ? この広い世界、いやこの無限のユニバースにおいてだね、これほどに無慈悲な言い掛かりってあるかい。ならず者かよ。注文したラーメンに自ら持参したゴキブリをぶっこんで騒ぎ立て、店長を呼んで怒鳴りつけて慰謝料をせしめる昭和臭漂うならず者かっての。


 だいたいだね。たかが人間風情がいともたやすく人智を超えた神の能力を獲得していると言い張るのならば、もう農家に婿入りするか嫁ぐかしなさい。そして望まれるがまま存分に天候を操るがいいじゃないかよ。ものすごく重宝されるぜ。「うちの嫁は出来た嫁で」なんてレベルじゃないからね。

 

 あと手相もなかなかに香ばしい。こういうのはきっと統計学みたいなものだろうから、頭ごなしには否定しないけど信じてもいない。

 だから今まで手相なんて見てもらったことなかったんだけど、ちょうど去年のいま頃かな。旅行先のとあるホテルの占いコーナーで見てもらったんだ。60代くらいのおばあさん占い師だった。


 真っ黒なローブに目深なフードを被った老婆が、バカでっかい水晶玉を撫でくりまわしてて。わたしの顔を見た瞬間に手を止め目を見開き「おぉ、あ、あなた様は……!!」なんつってね。「よくぞこれまでご無事で! お忘れですかぼっちゃま。婆やにございますぞ!」


 この物語がどこに向かってんのか分からないけどね。そこまでじゃなくても、ちょっとはミステリアスな展開を期待してたんだわ。

 で、そのおばあさん占い師が言うには、「花粉症と風邪に気をつけて。お金の使いすぎに注意」だってさ。そんなん田舎のママンですら言うぞ。つーか田舎のママンが言うんだよそれは。2,000円払ってまで老婆から聞く話じゃない。


 あとこんな事は言われた。わたしの手相は真ん中の線が手のひらを真一文字に横切っている『マスカケ線』とかいうやつで、ちょっと珍しいんだって。しかも両手ともそれだからさらに珍しくて、その占い師さんいわく「10万人に1人だ」って言うわけ。「わたしはここで20年に渡って手相を見てきたけど、この手相を見たのはあなたで5人目です」だって。


 ちょっと大げさ過ぎない? いや、大げさ過ぎひん?(←特に意味なし)。

 わたしは計算は得意じゃないけど、超ざっくり考えて、20年のあいだで365日欠かさず8時間の労働で1人20分の鑑定だとしても、あなたがこれまでに鑑定できた人数は18万人くらいにしかならないんだけど。なのに10万人に1人の手相をこれまでに5人見てきたってすごいよね。そんで実は奥さんもわたしと同じ手相だから、60万人目がすぐ近くにいるんだけど呼んでこようか?


 手相といえば、先日の飲み会での話よ。

 手相鑑定ができて、しかもよく当たるというおばさんが隣にいたんで見てもらったんだ。それによるとわたしは、超がいくつも付くほどのすっごいレベルの頑固者で、あんまり長生きはできないんだって。こーの野郎ババァ。本職の占い師さんに10万人に1人と言わしめたわたしに向かって何をほざきやがるか。出直してまいるかそこに直れ。

 

 乱筆乱文を耐え抜いてここまで読んでくれた人なら、わたしがいかに迷信や占い的なものを信じていないか分かってもらえたと思うけど、そんなわたしのスマホの待ち受けはSHOCK EYEさんだったりする。


 SHOCK EYEさんご存知? わたしは全く存じ上げないんだけど、その方は『歩くパワースポット』って言われているんだって。その人の写真をスマホの待ち受けにした途端、良いことが舞い込んできた人がたくさんいるんだってテレビでやってた。


 わたしはそういう類のことには全く無関心なんだけど、何だか戯れに「ちょっと試してみようかな」って気になった。だから現在わたしのスマホには、このSHOCK EYEさんが伊勢神宮にいるという『フォアグラ丼トリュフのせ』みたいな写真が待ち受けになっている。


 それと同時に、自分の身に起こった良いことと悪いことを記録しはじめた。

 さぁ、今後のわたしにどんな事が起こるのか。SHOCK EYE効果はあったのか。そのうち記事にするかもしれないよ。

バーコードになるまで。

 いわゆるひとつの『バーコードハゲ』っているでしょ。いるでしょって、イヌやネコみたいに普通名詞の感覚で言っちゃったけど、正しくは、『バーコードハゲの人』っているでしょ?』かな。


 あの。これは余計な誤解を招きたくないからはじめに断っておくんだけど、わたしは別にバーコードハゲをバカにしているわけじゃないからね? これは本当。マジ。あるいはマブ。


 だって、単に数あるヘアスタイルの中のひとつってだけだから。個性。あれは個性よ。本人がしたくてしている髪型だもの。いやまぁ、したくてかどうかは分からないけどもさ。でも少なくとも選べる選択肢の中から本人の意思であの髪型にしているのでしょう? その意思は尊重だよ。他人がとやかく言うところではないんだ。


 だから、わたしの中では極めてフラットな感じでバーコードハゲを捉えているわけで。角刈りの人を見て「あぁ角刈りだなぁ」って思うのと同じくらいのナチュラルフラット。角刈りの人がいても、別に変に気負わないで「素敵な角刈りですね」って言えるでしょ。それと同じ。


 言えねぇよバカ野郎。角刈りの人に向かって「素敵な角刈りですね」とか言うわけねーじゃん。何かヤベー感じするもんね。そこはかとなくだけど、そこは褒めどころじゃない気がする。

 角刈り談義に花を咲かすんじゃないよ。角刈りなんぞわたしの人生において何ら影響を与えないわ。当座の問題はバーコードハゲでしょう?


 話を戻すとね。実際にバーコードハゲの人の目の前に立って「素敵なバーコードですね」なんて言えないでしょ。「ちょっとスマホで読み取っていいすか?」とかね。「戦闘能力53万だと!?」なんてビックリしてみたりして。


 何言ってんだわたしは。これ完全にハナシの方向性を見失ってるわ。話が戻ってないもんな。考えずに書き出すとこうなるからいけない。違うよ。バーコードハゲというヘアスタイル及びそれをチョイスしている方々をバカにしているわけじゃないってことだったよ。


 つーか、ただのヘアスタイルなのに『ハゲ』まで含めて呼称しちゃうからおかしなことになっちゃうんだよな。何ていうか、毛髪の状態まで形容しちゃうからさ。『ロング』を『ロングサラサラ』とか、『アフロ』を『アフロモジャモジャ』って呼んじゃうみたいな。だから『バーコードハゲ』じゃなくて単に『バーコード』でいいんだ。

 

 で。今度こそ話を戻すけど、あくまでわたし個人の価値観としてだけど、仮にハゲたとしても、したくないんだよねバーコードには。だって無駄じゃんね。隠せてねーもんシースルーかよ。なにハゲ頭でエロスを出すかね。見えそうで見えないとかじゃなくて見えてるんだよガッツリと。


 そういえば去年。お気に入りのセーターが毛玉だらけになっちゃってヘコんでいたら、奥さんが毛玉取り器を貸してくれて。何か安っぽい電気シェーバーみたいなやつなんだけど、取れる取れる毛玉がどんどん無くなるのよ。わたし面白くなっちゃって取りまくっていたら、セーターがシースルーになってビーチク透けた。アセった。あれシースルー製造器だろ。みんな気を付けて。

 

 話を戻すよ。えーと。だから、そもそもハゲたからってバーコードにしちゃうトコが疑問なんだよ。あんな映倫も通らないような薄モザイク。

 伊武雅刀さんがバーコードだったら、あんなに渋い演技にはならないよ。悪いけど行けて温水洋一さんだよね。行けて温水。揺れて湘南。最後まで優しさを忘れなかったね。

 クリント・イーストウッドがバーコードだったら、マディソン郡の橋での燃えるような熱愛にはきっと発展しなかった。フランチェスカはローズマン橋の場所を訪ねてきたハゲオヤジを道案内することはなかったでしょうな。


 みんな言葉にしないだけで絶対に思ってるでしょう? バーコードにするくらいなら素で行こうよって。この野郎バーコードバトラーで参戦さすぞって思ってるでしょう?

 

 こんな風に、バーコードにしている人を決してバカにはしていないけど、理解も出来ないというのが本音。


 とはいえ、ハゲだのゲーハーだの、ことあるごとにハゲをネタにしてきたけど、いずれ自分も同じ状況になるだろうと覚悟はしていたんだ。わたしだけが例外的にハゲないわけじゃないからね。でもその反面、どこかで自分は大丈夫だろうという正常性バイアスがかかりまくっていたのも事実で。


 そしてわたしは今、大いに狼狽している。 何に? 決まってるじゃんか。日に日に砂漠化が進む毛量にだよ。

 覚悟はしていたつもりだったんだ。でもいざその現実に直面してみると、その覚悟はただの『つもり』だったことを思い知らされた。わたしの毛量は確実に枯渇し始めている。


 これまでの綿密な調査結果により、わたしのハゲ方の方向性は『前頭部からの毛量減少』だということが分かった。

 だから洗面所なんかで自分を鏡で見ると、前頭部の地肌が以前より透けて見えるようになってしまい、ここ最近はそれを見るたびにため息をつく毎日だった。


 そんなことが続いていたある日のこと。

 通常わたしの髪の分け方は、真ん中からではなく若干ずらした6:4くらいの感じなんだけど、ある時何となく、本当に無意識に分け方を7:3にしたんだ。


 なぜわたしが6:4から7:3に分け目の割合を変えたのか? 答えは簡単だ。前頭部の見えている地肌を隠そうとしたんだ。いままでの6:4では見えてしまっていた地肌を、7:3にして、少し多めに前頭部の地肌に髪を被せたんだ。世間ではこれを隠蔽工作という。


 あぁコレかと。コレだったんだと。バーコード。あれはきっと今のわたしのように、あらわになってきた地肌を隠そう隠そうと、髪の分け目を移動させ続けた成れの果てに生まれたヘアスタイルだったんだ。


 バーコードの正体を知った今。わたしは将来バーコードになるのか、それとも素でいくのか。このブログがそれまで続いていれば、いつか皆さんに報告することができるだろう。

 乞うご期待だ。

今日は『次女がピアノをやめる決断をした記念日』  

 速報。奥さんからLINEあり。次女(9)、ピアノやめるってよ。


 数ヶ月前だったかな。おそらく初めてだったと思うけど、次女がピアノの先生に少し厳しめに注意されたらしい。もう少しちゃんと練習してきてと。


 そりゃ言われるよねってのが親としての率直な感想。だって、これは次女だけでなく長女(12)もだけど、最近は全然練習していなかったからね。ピアノの前日に奥さんに促されて、重い腰を上げて一度二度だけ弾くという感じだったもの。でも長女の方が次女よりちょい練習熱心かな。


 次女もピアノの先生に注意されて、多少ショックだったと思うけどね。でもこれはピアノの先生が圧倒的に正しいね。あちらも受け取る月謝に見合う技術を提供しようとしてくれているプロだから。次女が練習を面倒と思うことは仕方ないけど、ロクに練習をせずに練習日を迎えてしまうようであれば、それは先生に失礼だもの。わたしもそれは許してはあげられないしね。


 だから次女にはそんな事を話した上で「もうピアノやめちゃえば?」って言ったんだ。別に習い始めたからってやめられないわけじゃないし。続けていく内に「なんか違うな」ってことはいくらでもあるわけで。そんな気持ちのまま続けるくらいならやめちゃって、他の習い事をするか、友達と遊ぶか、家でマンガでも読んでいる方がよっぽどマシ。やめることは何も悪いことじゃないし、やめるって決心することも勇気だよと。


 わたしも昔に言われたことあるもん。

 ゆえあってやめざるを得なくなっちゃったけど、わたしは若かりし頃に武道を習っていて。人生を捧げていたから、どんな怪我をしようが雪が降って交通機関が止まろうが、絶対に練習を休んだことはなかった。拳と膝を同時に痛めて満足に動けない時でも大会に出ようとしたりね。それがカッコイイと思っていたし、絶対的にそうあるべきだと思っていたから。


 そしたら武道の先生に言われたもん。「お前には『出来ません』という勇気がない」って。

 顔面をレンガでぶん殴られたような衝撃だった。今まで自分で自分のことをものすごく勇気のある男だと信じて疑っていなかったから。

 それでも結局大会には出たんだけど。でも先生の言いたいことは当時のわたしでも何となく分かった。それからは少し肩の力を抜いて武道に向き合えて、そんで肩の力を抜き過ぎてドラクエをやるために練習を休んだら先生に怒られちった。てへぺろ

 

 何でもチャレンジする人や、それを最後まで成し遂げる人は心からすごいと思うよ。でも程度の問題もあるけどもね。やべぇって思うことがあったら、もう少し簡単にやめるとか逃げるって選択をしてもいいんじゃないかね。学校でも会社でも。ちょっと逃げることに寛容じゃなさすぎるんだよな。森を歩いてて熊に出くわして逃げないアホがいるかよ。ちょっと違うね。


 次女なりに悩んだだろうし、やめる動機が『放課後は友達と遊びたい』でもいいんだわ。やめるって決断して、それを親に伝えるのは勇気が必要だったと思うし、それが出来た次女を褒め讃えたい。やめることで次女の心に暗い影を落とすようなことは絶対にあってはならない。

 

 記憶はおぼろげだけど、2年近くは続いたのかな。

 長女(12)が先にピアノをやりたいと言い始めたので、それじゃということで速攻で電子ピアノを購入した。不器用ながらも楽しそうにピアノを弾く長女を見て、次女もピアノをやりたいと言い出した。


 それからは一台の電子ピアノを二人で奪い合うようにして練習をしていたな。自分が習ってきた曲を競い合うようにしてわたしに教えてくれたりもした。自分が得た技術を人に教えることは、その技術をより確実にすると思っているので、わたしもめんどっこいなーと文句をいいながら教えてもらったりした。長女と次女が代わる代わるだから大変だったけど楽しかった。ヤヴァイちっと涙出た。

 

 我が家には『365日記念日計画』というものがあって。日常のちょっとしたことを報告しあって、それを我が家の記念日に制定するの。目標は365日全てを記念日にすること。もちろんうるう年もね。


 だから今日は記念日にする。次女がピアノをやめる決断をした記念日。

お気に入りのおにぎりが、わたしを大いに刺激する瞬間。  

 生魚が得意じゃないわたしが最近ハマっているおにぎりは、駅の中にあるNewdaysってコンビニの『サーモンたたきマヨ』。



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 きっかけは単なる取り間違えで買っちゃったモノなんだけど。でもこれが存外においしかったんだはー。

 生のサーモンだから本来なら食べられないんだけど、でもこれはタタキだから。サーモンが潰れてムニャムニャになってソリッド感がなくなっちゃってるから大丈V。あとマヨネーズがサーモンの生臭さを消してくれているんだよね。だからわたしでもおいしく食べられるんだと思う。


 でもちょっと困ったことがあって。

 このおにぎりは海苔自体にワサビの味というか、ワサビ独特のツンとした風味が付いてんの。これは多分サーモンの生臭さを消すためなのかなって勝手に思ってるんだけど。

 そのワサビの風味がね。なんだが妙にわたしの鼻腔を刺激するみたいで、ひと口食べると数秒後にクシャミが出るんだ。それに気付いてから集計を始めて今日で5日が経過したんだけど、今のところ100%の確率でクシャミが出てる。そして今日も出た。スッゴイの出た。濃いーやつ出してやったわ。


 『一口食べると必ずクシャミが出るおにぎり』とか、わたし的にはもうドラえもんが出すひみつ道具の域なんだよ。テッテレーじゃないっつーの出させねーよ青ダヌキが。

 たまったもんじゃないんだよ。毎回毎回ひと口食べるたびにクシャミが出るんだから。米つぶを噴射しないように口元を押さえた手はベチャベチャになるし。クシャミする瞬間の顔なんて89パーくらいの確率でローワン・アトキンソンだよ間違いない。ピーウィー・ハーマンじゃないよ。ミスター・ビーンの方ね。

 

 

mask-arade パーティーマスク【Mr.ビーン/Mr.Bean】

mask-arade パーティーマスク【Mr.ビーン/Mr.Bean】

 

 

 

 


 おいしいんだよおいしいの。それは間違いないの。だからクレームじゃないんだ。わたしの身に起きている事実を述べているだけなんだ。


 これ、当然だけど開発の途中で試食とかしてるよね。おかしいな。誰ひとりとしてクシャミ出なかったってことだよね。


 そういえば、ちょっとだけ話を変えるけど。

 食品会社の新メニュー開発の様子なんかを特集している番組を何回か観たことあるけど、いっつも採用不採用の最終ジャッジが社長による試食にかかってたりするんだよ。

 あれ必要? 意味ある? だって料理に対しては知識も技術もある開発担当の人たちが、色んなメニューを試行錯誤して作った新メニューだよ? かたや社長とはいえオジィじゃんか。オジィの舌に太鼓判押されるってそんなに重要かね。

 まぁ社の長なわけだからね、カタチだけでも最終判断は社長にってのが組織としての在り方なのかもしれないけど。でもどうせ食っても分かんないなら、いっその事ここはクビ突っ込まないで「経営に関しては私の方が一日の長があるが、料理に関してはキミらの方がプロだ。キミらで自由にやりたまえ。責任は全て私が取る」なんて言ってくれた方が、よっぽど社員が輝くと思うけどな。社員だけに。シャイン。Shine。フフ。フフフ。

 

 あとね。ワサビとかショウガとかニンニクとか色んなスパイスとか、ありとあらゆる知恵と技術で食べ物の臭みを取ってるけどさ。食べなきゃいいじゃんか臭いなら。何で食べるのさ臭いのに。

 ちょっと臭いぞ→ショウガを足してみよう→うーん食べられる。うーんじゃねえよバカタレが食うな食うな。食いたくば臭いものを臭いまま食え。臭みを中和してまで食べようとするんじゃない。

 我々の食べ物になってしまった生き物だって、わざわざ臭みを消されてまで食べられるくらいなら、もっと大空を舞い、大地を駆け、海原を泳ぎたかったはずだぞ。


 あ、でも待ってもしかして。糧とする命を余すことなくいただくために、普通に食べられる部位は普通に、臭みが強い部位は工夫してその臭みを消して食べていたのかな。そのように命に対する感謝として臭みを消す技術が確立されたのだとしたら、わたしの考えは何と浅薄だったことだらう。


 そして今。何をおいても皆さんに報告しなければいけないことは、このブログを書きながら一口食べたランチパックのハムマヨネーズで盛大なクシャミが出たという事実かな。


 一体わたしの鼻はどうなってしまったんだらう。

Twitterの使いどころが分からない。

 一応Twitterのアカウントは持っていて。年に2~3回はつぶやくこともあるんだけど、ほとんどはこのブログ更新のお知らせにしか使っていない。

 そのお知らせにしたって、わたしのつぶやきなど誰も見ちゃいないわけだから、結果的には全世界を相手にした壮大な独り言にすぎないんだよ。


 Twitterの使い方は何度か奥さんに教えてもらったり自分で調べてみたりもしたんだけど、未だによく分からない。というよりは、Twitterというものに対してほとんど興味がないから覚える気がないんだろうな。


 それならそれでTwitterなんてやらなきゃいい話なんだけど、でもそういうのも何か気持ちが悪くて。取り敢えずそれがどんなものなのかってことくらいは、ある程度は知っておきたいから。


 例えばわたしはLINEを使っているけど、個人的には使わなくてもそれほどは困ってはいなかった。でもわたしには12歳と9歳の娘がいるから。彼女たちは確実にLINEを使うことになるわけだから。その時にわたしがLINEというものを知らなければ、何が良くて悪いのかの判断ができないし、それを使う娘たちの気持ちも分からないでしょ。だからわたしもLINEを使い始めたし、娘たちにも、もう一年以上前からスマホを渡してLINEもやってもらっているんだけど。


 出来るけどやらないのと、できないからやらないってのは、同じようでも全然違うでしょう。それにおっさんになっていろいろな文化を理解できなくなるのはいいけど、そもそも理解しようとしなくなることや、そこから生まれてしまう偏見が怖い。


 だからTwitterも、薄くてもいいからつながっておきたい。

 

 そもそもTwitterの使いどころがイマイチ分からない。

 わたしの記憶では、確か140字以内におさめてつぶやかないとダメなんでしょう? それ自体は苦じゃないんだ。わたしのように代わり映えのしない日常を送っている者にとって、140字を越えてしまうような特別なことなどはそうそう起こらないから。意図的に140字以内におさめようとしなくても、それこそ20字でもおさまっちゃうようなことばっかりなんだ。きっと。


 ただ、そうだからこそ、たった20字でおさまっちゃうようなことばかりの毎日だからこそ、そのちょっとしたことについてどんどん妄想を膨らませたい欲求があって。その20字で済むことを、せめて2,000字くらいにはしたいんだわ。それが面白い。基本的にそんなことばっかりやっているのがこのブロクなんだけど。だからわたしの書く記事は、文字数が多くても薄い薄い。

 

 そういえばこないだ何気なくペットボトルのアイスコーヒーを水で半分くらいに薄めて飲んだんだけど、けっこう美味しかったな。それはいい。それはいいんだ。


 でもそうでもしないと、日常なんて基本的に面白くもなんともないんだな。一応、高杉晋作さんの辞世とされているのは『おもしろき こともなき世を おもしろく』だったけど、わたしも面白くないことをチカラワザで面白くしたい。特別でもなんでもない食材を美味しくするのも料理人の腕でしょう? そんな風になれたら理想なんだけどな。


 根底にそういう考えがあるもんだから、日常のちょっとしたことがあったとしても、それをTwitterでのつぶやきに使ってしまうのはもったいないと思ってしまう。わたしのささやかな妄想膨らませ遊びが出来なくなっちゃうからね。

 じゃぁそれ以外の何をつぶやく? となった場合に、結局つぶやくことがなくてブログ更新のお知らせだけになってしまう次第。


 あぁそうか。Twitterでつぶやいて、それを膨らませた記事をブログで書けばいいのかな。


 じゃぁ、例えばこないだ、ガードレールの上に梨と柿が載ってたんだけど、これをTwitterでつぶやくとしたら、


「ガードレールの上に梨と柿が載ってたなう。擬宝珠みたいなう」


 とか書けばいいんだよね? これがその写真なんだけど。



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 どっかの愉快犯の仕業だろうけど、比較的どうでもいいね。二度見したあと10メートルほど歩いてからわざわざ引き返して写真を撮ったものの、比較的どうでもいい。


 じゃ、ブロクではこれをどう膨らませるとどうなるか。いやもう既に散々膨らませたじゃない。いま書いているこの文章が膨らませたその末路だよ。これでちょうど2,000字弱くらい。薄。オカモトの001より薄。


 いいこと考えたよ。コンドームメーカーのオカモトさんとドラゴンボールでコラボした商品案を思い付いたぞ。 『ウッス! オラゴクウッス!!」ってやつ。極薄のコンドーム。


 あと、どっかの会社で『Whisper』っての作ってくんな。そしたらわたし、誰にも気づかれないようにヒソヒソとささやくわ。