俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

心に余裕がなかったのはわたしの方だった。

歩く速さと寿命や健康には関連があるんだって。早歩きをする人の方が健康で病気にかかりづらいらしいですよ。


わたしは次女(8)より歩くの遅いんですけど、それは意図的にそうしているのであってね。外を歩きながら色々なところに目を向けるのが好きなんですよ。そういう『心の余裕』を持っていたいんです。そのためにはセカセカ歩いてちゃダメなんです。


そんなわたし以上にデフォルトで歩みが遅いのはお年寄りです。すごく遅い。

でもそんなお年寄りに限って、いっっっつも前に出てくるんですよね。

例えば昨日。


1.わたしの前をお年寄りが歩いている

2.わたしの方が速いので抜かす

3.前方の踏切が閉まったので止まる

4.さっきのお年寄りが追いつく

5.お年寄りがわたしの前にズイっと出る

6.踏切が開く

1.わたしの前をお年寄りが歩いている

2.わたしの方が速いので抜かす


正直ね、わたしそんな時こう思ってます。

『いや歩くの遅いでしょ? 前に出ても抜かされるんだからさ。はじめから後ろにいるがいいじゃない。後ろから迷惑そうな顔をされて、時には舌打ちなんかされながら追い抜かされるのイヤでしょ? なのに何でわざわざ少しでも前に前に出ようとするかな。そんなに急ぐ差し迫った理由なんてそうそうないでしょう? 俺の倍近く生きているだろうに、その年になってもまだそんな心の余裕すら持てないの?』


言い訳するわけじゃないですけどね。別に迷惑そうな顔もしませんし舌打ちだってしませんよ。でも少しイラッとするのは事実です。歩く速度ではなく、その心持ち、余裕のなさに対してね。


と、今の今までそう思っていたんですけどね。もしかすると衝撃の事実にぶち当たっちまったかもしんない。


たまにお年寄りが踏切を渡り切れずにヒヤヒヤする場面に出くわすことってありませんか?

もしかするとお年寄りは、早めに踏切を渡り始めないと途中で遮断機が閉まってしまう恐れがあるから、少しでも前に前に出ようとするんじゃないかな。自分の歩みが遅いのをちゃんと理解しているからこその行動だったんじゃないかな。

わたしそんな考え方、したことなかったや。


と言うよりね。別にそういう理由じゃなかったとしても別にいいじゃない。誰に迷惑をかけているわけでもなく天下の往来を歩いているだけなんだから。前に出ようが後ろに下がろうが、元よりわたしにとやかく言われる筋などないんですよ。


というわけで、心の余裕がなかったのはお年寄りではなくアッシの方でございました。何が『街を楽しむ心の余裕』だっつーのダセぇ。


お笑いコンビのカミナリがいたら

「余裕が無いのはおめえの方だな!!」

って突っ込まれているでしょうね。


また反省すべき点が増えてしまいました。


『お年寄り』『踏切』に関連する過去記事はこちら。

よろしければ読んでください。

 

記念日が記念日でなくなる幸せ。

・入籍記念日

・結婚記念日

・初めて出会った記念日


これは奥さんとわたしの記念日です。つい先日は『初めて出会った記念日』でした。


以前はもうちょっとあったんですけど、自然淘汰されてこの3つが残ったんです。

記念日が淘汰されるっていうのもおかしな話なんですけど、お互いに「この記念日はもういっか」とかなったりして。


残った3つの記念日も特に何もしないんです。何か外に食べに行ったりはしますけど、それも普段の外食と何ら変わりません。別におしゃれなレストランを予約するわけではないです。


基本的にプレゼントもありません。手紙もないです。奥さんはプチプレゼントをくれたりしますけど。


結婚して15年目。倦怠期で記念日というものを蔑ろにしているわけではなくその逆なんですね。普段が互いに思いやりの日々、感謝の日々、愛情の日々なものですから、記念日というものが別段特別なものに思えないんです。大げさに言えば『毎日が記念日』くらいの感覚なんですね。


だから記念日が記念日ではないんです。

これはとても幸せで贅沢なことです。

海鮮丼の新しい楽しみ方。

たまにね。近所にあるお持ち帰りの海鮮丼屋さんで夜ご飯を買うことがあるんです。

わたしはマグロやサーモンやその他お魚のお刺身は得意ではないのですが、イカタコエビカイは好みます。

なのでいつも『選べる5種盛り』というやつにして、イカ、エビ、つぶ貝、ホタテ、エンガワにします。

わたしはこれを『痛風丼』と呼び、いつか来るかもしれない恐怖に怯えながらもおいしくいただいていますよ。大変おいしゅうございますこんにちわ岸朝子です。

 

この5種盛り、けっこう好きなんですけど、その日は何でしょうか、たまたま気分ではなかったのか、イマイチ箸が進まなかったんですね。半分くらい残しちゃったんです。

でもこのままゴメンナサイするのはもったいないと思ったので、塩コショウで炒めてチャーハンみたいにしたんです。コレ。


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見た目は悪いですけど味も悪いですよ。

酢飯の酸味と海産物の磯の香りと塩コショウが狂悪なハーモニーを奏でやがって、口に入れた瞬間わたしは生ゴミを食べているのだと錯覚したくらいです。岸朝子さんも全力で殴りかかってくるレベル。

 

皆さんもやめた方がいいですよ。海鮮丼を炒めるの。

バターを手作りしてみました。

以前、バターを手作りしたんです。長女(11)が持っていた『手作りバターカップ』っていうアイテムで。コレ。

 

手作り バターふりふりカップ バターカップ 手作りバター レシピ付き CSD3HEB

手作り バターふりふりカップ バターカップ 手作りバター レシピ付き CSD3HEB

 

容器に生クリームと塩を入れてひたすらフリフリすればバターが出来るって言うから入れてみましたよ。


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ひたすら20分間振り続けたら固まりましたよ。ちなみにこの固まったバターを見ると、娘たちがまだオムツをしていた時のことを思い出しますがそれ以上は語りません。


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食べ比べてみましたよクラッカーに載せて。手作りバターと市販のバターとマーガリンで。どれがどれかは忘れました。

バターそのものの味を感じたかったとは言え載せ過ぎですね。


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こんなことウソついてもいいことないので正直に書きますけど、うまくもなんともありませんでしたよ手作りバター。わたしはね。

 

そりゃ市販のものの方が美味しいに決まってますから、味的には材料費や労力に見合う対価は得られません。でも家族全員でひたすらフリフリするというバカらしさに価値を見いだせるんですね。

子どもってこういうの大好きですからね。大人にとっては限られたキッチンの場所を取るだけの害悪なものですけど、その理屈だけで不要とは判断できません。そこが悩ましいところ。


さらに言うならこの容器である必要も全くないですしね。

しっかりと密封できてシェイクできるだけの長さや容積があって持ちやすくてすっぽ抜けた時に飛散しない素材で最悪誰かにぶつかっても最小限の被害で済むように角が丸くて柔らかいものであれば何でもいいですってそれはWiiリモコンのことかーーーっ!! クリリーーーン!!

毎日がスペシャル。

『毎日がスペシャル』

竹内まりやさんの曲です。


〜〜〜〜〜〜

誰もがみんなちょっとずつ年をとってゆくから

何でもない一日が実はすごく大切さ

今日が誕生日じゃなくっても

記念日じゃなくっても

給料日じゃなくってもね

〜〜〜〜〜〜


素晴らしい歌詞ですね。本官もそう思います。あ、『本官』は無視してください。言ってみたかっただけなので。


さて。我が家でも『日常を非日常に』をモットーとして日々の生活を送っておりますよ。とは言っても、毎日一つ新しいことをしようとか、週末ごとに必ずお出かけしようとか、そういう肩肘を張ったことではありません。もちろんそれらをすることも素晴らしいことですが。


特別なことは何もしないのです。特別なことをしてしまったら、その瞬間からそれは日常ではなくなり、文字通り『特別』ですからね。


日常とは自分たちの素の生活、代わり映えのない毎日のことです。でも毎日を代わり映えのないものとして捉えているのは、わたしたち自身でもあります。

だから意識や視点を変えて、日常の様々な些細なことに目を向けたいのです。

道端に落ちているゴミをただの『ゴミ』と認識するか、『青いガムの包み紙だ』と認識するかは自分の意識次第ですから。


例えば以前はこんなことが。

毎日の通勤時に通っている道に、錆びた柵かあるのです。コレね。


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ある日、ふとそれを見たら突然『春巻き』に見えまして。思わず奥さんに連絡して春巻きが食べたいとお願いしてしまいました。

その日の夕食が春巻きになったかどうかの記憶は正直言って曖昧なんですけど、代わり映えのしない日常が非日常になった瞬間だと思いませんか。

これが私の考える『日常を非日常に』です。


子どもたちが普通にやっている『道路の白線の上しか歩いてはいけない』とかいう謎の縛りルールなどはその典型ですよね。彼らにとって、それらはまごうかたなき日常ですが、でもその目はキラッキラです。

わたしはこれがやりたい。40歳を過ぎたおっさんでもできないはずはないんです。

アーティストは「フウゥ〜」を即刻やめなさい。

何ですかね、あの「ハアァ〜」だの「フウゥ〜」とかいう謎のシャウトは。ああいうのが歌の途中に入ってるとカラオケで歌えねぇんですよね。

途中まではソツなく歌っていたのに「フウゥ〜」のパートだけをスルーして、みんなが画面だけを見つめるあの沈黙。そしてその後にまた歌い始める時のバツの悪さたるやもう……。アーティスト側からの嫌がらせとしか思えませんな。

だからといってね。果敢にも「フウゥ〜」にチャレンジするほどの歌唱技量及びアイアンハートは持ち合わせていないんですよ。こちとらシロウトなんだからね。

 

いや、理解はできますよ。

わたしも日常生活において興奮すれば「イェ〜イ」のひとつも口走るから。シロウトのわたしですらそうだもの。歌うことを生業にしているプロの方々ともなれば、歌っているうちに気持ちが昂ぶって、そりゃ自然と「フウゥ〜」とか出ちゃうでしょうよ。

でもね。ライブならいざ知らず、スタジオでのレコーディング音源にまで「フウゥ〜」を入れるのはやめましょうよ。

 

今後も調子に乗って「フウゥ〜」とか入れ続けてみ? みーんな自分のカラオケレパートリーに組み込まなくなっちゃうよ? だって恥ずかしくて歌えないんだから。そうなるとカラオケで再生されないよ? 再生されないと印税が入ってこないでしょう?

 

だからアーティストの方々は即刻「フウゥ〜」をやめるべきです。これ結構マジな提案です。

『若ぇヤツは立てや』と思ってしまう。

『若者よ立ち上がれ!!』とかじゃないです。例えば電車などでの話ね。


制服やジャージ着た学生さんなどが電車の座席に座っているのを見るとですね『いや、若いんだから立とうよ』って思っちゃうんですな。


子どもなんざ税金も払ってねぇんだからとか、そんなことを言うつもりはないんです。ただ、君らが座っているその席を、もっと切実に必要としている人たちは他にいるんじゃないかと。


自分が座りたくて言っているわけじゃないですよ? わたし電車では座りませんから。ただ、電車に乗り込んできて我先に空いている席にケツを滑り込ませる若者の姿を見ていると、どうにも潔い行動には思えなくてね。


若い人だって疲れます。座りたい時もあるでしょう。あるいはイマイチ体調が優れないとかね。あると思います。そう言えば天津木村さんは全然見なくなりましたね。


だからわたしのこの主張は、おそらくは正しくはないのでしょう。

わかっています。

それでも思います。


若ぇやつは立てや。