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俺があいつを見返す日。

ある一言をきっかけに、ある人物を見返すきっかけとして立ち上げました。日々のことから夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも掲載します。

勝負に勝って試合に負けた話。

私は本にカバーはしません。読んでいる内に中の本がすべってズレる感じが気持ち悪いからです。だからカバーはもちろん、元々の表紙も外してむき出しの状態で読むのです。

だから電車とかだと自分の読んでいる本が周りの人にバレてしまうのですが、それが少しだけ恥ずかしい。読んでいる本のタイトルで自分という人間を値踏みされているような。

自分のセックスを見られている感じがするんですよ。

「あー、そこでそう攻めるんだ。ふーん」

「えっ? そこから次そっちいくかー、へーえ」

みたいなね。手の内を見られている気恥ずかしさがある。

 

まぁ基本的にはなんの本を読んで周りにどう思われてもアッシには関わりのないことなのでいいんですけどね。そもそも自分が思っているほど周りは誰も見ちゃいないし。

でもこの本は強敵でしたね。前に紹介させてもらった『おてんばエリザベス』。

おてんばエリザベス (ポプラ社文庫―世界の名作文庫)

おてんばエリザベス (ポプラ社文庫―世界の名作文庫)

 

 

なんたってこの表紙ですから。普通に考えれば40過ぎたおっさんが手に取る本ではないですよね。満員電車で痴漢の濡れ衣を着せられて、無罪の証明にどれだけ有利な状況や証言があったとしても「この人電車の中でこんな本読んでました!!」って言われたら絶対に勝ち目はないですよ。

それでも大抵の本は表紙を外せば無地な紙の中身が出てくるもんですけど、この本の場合は表紙を外してもまんま同じ絵が出てきましたからね。カラーで。

でもわたし負けず嫌いですから。

「オレが電車の中おてんばエリザベスを読んで誰に何の迷惑をかける? 否。誰にも迷惑はかけない。誰にもだ。ならば何を恥ずかしがる必要がある? 悪いことはしていない。堂々と読め。逃げるな」

 

でも女子中学生の視線が痛かったなぁ。大体の人が二度見三度見するし。

勝負に勝って試合に負けるってこういうことだろうなぁ。

「おてんばエリザベス」には親が考えなければいけないことが書いてあった。

長女(11)のオススメです。お父さんも読んでとお願いされたので読みました。

これ。

おてんばエリザベス (ポプラ社文庫―世界の名作文庫)

おてんばエリザベス (ポプラ社文庫―世界の名作文庫)

 

面白かったですよ。面白い理由を説明するのは苦手なのでうまくは言えないけど、でも面白かったんです。

思うところがあったので少し内容に触れさせていただきますね。ここからは少しだけネタバレになりますのでご注意を。

 

本の内容を要約すると、おてんばで人の言うことを全然聞かないエリザベスという少女が全寮制の学園に入って生活する内に成長するってお話。

子どもたちは皆それぞれに問題は抱えていても、みんな健全に成長していて素晴らしい。ただ出てくる親が総じてバカです。

エリザベスはいわゆるいいとこのお嬢さんです。親は一人娘のエリザベスをさんざん甘やかして育てたもんだから、エリザベスはいつの間にか人の言うことを聞かない少女に育ってしまうんですね。長年付いていた家庭教師もさじを投げて出ていくと言い出す始末。

手に負えなくなった親はエリザベスに「全寮制の学校に入って良い子になれ」と命令するんですけど、当然エリザベスは行きたくないと言いますよね。親と一緒にいたいですから。そんなエリザベスに対して母親は「わがまま言いなさんな」とたしなめるんです。

 

バカめ。

エリザベスがわがままになったのにはいろいろ要因はあっても、まず第一に一人っ子だと思ってエリザベスを甘やかしすぎたお前ら親のせいだ。生活力のないエリザベスは親に頼るしかないんだ。そして最も近しいところにいる親を見て育つしかない。その結果が今だぞ? 子は親を写す鏡だと言うだろう。エリザベスをわがままに育ててしまったという自覚があるくせに、わがままになった娘に対して わがままだと非難するとはどういう了見か。エリザベスはお前ら親の被害者だ。

それでも結局エリザベスは全寮制の学園に入ることになるんですけど、様々な経験をして立派に成長するんですね。

その成長ぶりを見た母親は「まぁ!!」と驚き喜ぶんですけど、ふざけんなって話ですよ。お前は何か変わったのかと聞きたい。娘に変われと命じる前に己の行動を振り返ってまずお前が変われ。

 

そしてエリザベスにはジョアンという親友ができるんですけど、このジョアン、故あって親にネグレクト的な扱いを受けていたんです。ジョアンに非は全くないですよ。親の気持ちも分からなくはないですが完全に親サイドの落ち度です。

そんなジョアンも物語の終盤では母親と和解するんですけど、その時に母親が言うんです。
「あなたはおとなしすぎたのね。おねだりすることもだだをこねることもなかったわ」
お前だよ。お前がそうさせたんだよバカ野郎。おねだりをしたくない、だだもこねたくない子どもなどこの世にいるか? もし一切それをしたことのない子どもがいて、それを見て親が「まぁ、なんて手のかからないいい子でしょう!!」なんて思っているとしたら、即刻親をやめたほうがいい。

 

作中の親に対して否定的なことばかり書き連ねてしまいましたが、要はわたし自身に向けた言葉みたいなもんです。親として反省すべき点や振り返らなければいけないことなどを考えさせられました。

この作品は親こそが読むべきかもしれません。

そしてこの本の中で一つ印象に残った言葉がありましたので、それを紹介して終わりたいと思います。


『強い人は考えを改められる』

 

ショーケースの前で悩むんじゃねぇ。

ペットボトルが入っている冷蔵ショーケースの扉を開けながら何を買うか悩んでんじゃねえよ。お前だよ。なに冷蔵ショーケースの前で立ちはだかってんだよ。お前は武蔵坊弁慶かよ。

 
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まず冷気が逃げんだろ? 何のために冷蔵ショーケースに陳列していると思っているんだ? お前を酷暑から守るためじゃねえぞ。

あと他の人が商品を手に取れねーんだよ。差し当たり俺が選べねー。俺は毎日買う飲み物は決まってんだよ。お前のその身勝手な行動で、なぜ俺の朝の貴重な時間を不当に搾取されなきゃならねえのか20文字以内で表現しろ。

極めつけはその脚よ。そんなにクロスしてよー。いざ敵に襲われたらまともな対処ができると思ってんのかよー。

 

ここ一週間ほどブログ閲覧及び更新から遠ざかってたのを久々に更新できるかと思えばよー。

シロノワール……なのか?

先週、シロノワールを食べました。コメダ珈琲店で食べられるやつ。これ。
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わたしの貧乏舌と文章力では皆さんのイメージをふくらませられるような食レポはできませんが、ちょっとあったかいパンの上にソフトクリームを載せてシロップをかけた甘いスウィーツです。なんか美味しいっすよ。

 

このチェリーがまたうれしいですよ。なのになんなんですかね最近の子どもは。舌が肥えているというか贅沢というか、娘たちはチェリーごときじゃ喜ばんのです。取り合いにならないんですよ。わたしの子どもの頃はこういうチェリー1個を奪い合いましたけどね。

というより食べ物が『甘い』というだけで至高でしたから、それがチョコだろうとあんこだろうとうんこだろうとイチゴだろうと角砂糖だろうとなんでも争奪の対象でしたね。もちろん好みや家庭環境で左右されますが、うちは貧乏でしたからそんな感じでした。

 

コメダ珈琲店に来るのはおそらくですけど数年ぶりです。行こうと思えばそれなりにすぐ行ける距離にありますけど全然行きませんでしたね。

それがなぜ今回行くことになったかというと、検証のためです。自宅で作ったシロノワールの再現度について。

きっかけは奥さんとの何気ない会話です。

シロノワールってあるよね? 」

「おいしいよね?」

「でもアレ、たぶん作れるよね?」

「作ってみよっか?」

ってなりまして。そんで作ってみたんです。

 

実際に作ってくれたのは奥さんです。

材料はこれ。
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まずベースとなるパンのチョイスが重要です。あのサクッとした中にもフワッとモチッとするような絶妙な触感は必要不可欠。

これは奥さんが過去に食べたことのあるフジパンの『森の切り株』ってのがいいんじゃないかということで決定。これです。
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パンが決まってもまだ問題はあって。シロノワールの上に載っているのはホイップクリームでもバニラアイスでもなく『ソフトクリーム』だったんですね。

これは難しい。ソフトクリームの作り方を調べればいい話なんですけど、あれこれ自分で考えて試すのが楽しいのであってね。

結論としては普通のバニラアイスにホイップクリームを混ぜれば『らしく』なるんじゃないかと。こんな感じに。
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あとはそれを温めたパンの上に載せてシロップを掛ければ出来上がりですよ。ホラね。
上がコメダ珈琲店のホンモノで、下がわたしたちが作ったニセモノ。
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まぁね、歴然ですよね見た目の勝負は。あとチェリーを忘れていたな。

でもすごくうめぇ。ハッキリ言って本物と遜色ないんじゃないかな。少なくともわたしの舌では本物との違いを見いだせなかったです。

ていうよりおいしいに決まってるんだよな。パンにソフトクリーム載せてシロップかけてマズくできる人がいるなら今すぐわたしの前に来い。たっぷり叱ってやる。

 

以上、検証結果としては『家で作っても十分に美味しい』です。

でも作りませんけどね。なんだかんだで材料費に500円以上は掛かってますし作る手間もありますから。

本物はいくらだったかな。600円くらい? それならお出かけがてら本物を食べに行った方がいいかもしれません。雰囲気も楽しめるしね。

 

あと、わたしは『シナモンウィーン』ってコーヒーを頼ませてもらったんですけど。これ。
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このシナモンスティックの正しい使い方を知ってらっしゃる方がいたら、ぜひ無知なわたしに教えてください。

わたしはストローとして使ってクチビルを軽くヤケドしたんです。あぁムカムカするな。

浦島太郎の最後って知っていますか? という話。

先日は桃太郎について書かせていただいた。

桃太郎が掲げている『日本一』の旗指物は桃太郎のことではなく、おばあさんが桃太郎に作って持たせたきびだんごを指しているのだということを後輩が言っていた。そんな話。

そしてその文末に、件の後輩から衝撃的な発言が飛び出したとも書いた。それが『浦島太郎』だ。

 

私の記憶している浦島太郎とはこうだ。

村の子どもたちにいじめられていた亀をいくばくかの銭と引き換えに助けた心優しき浦島太郎が、そのお礼にと亀の背中に乗って海の中にある龍宮城に招かれ歓待を受け、いとまの際に玉手箱という土産までもらい気分上々で村まで戻れば、なんと数百年の時が経過し家族親類縁者友人知人ことごとく死に絶えており、失意の底で最後の希望に開けた玉手箱から白い煙のトラップをお見舞されてジジィになっちゃう非人道的な話。

細かいところは違っても、おおよそこんな感じだと思う。

 

ところがだ。その後輩いわく結末が違うと。彼の知っている浦島太郎は、玉手箱を開けてジジィになった後にツルになって飛んでいくんだと。

おいおいなんでもありの様相を呈してきましたな。言うに事欠いてツルかい。

まぁね。昔話はちょっと神話的なところもあるからね。現実からかけ離れていてもおかしかないよ。桃太郎のお話だって、実際に鬼がいるかいないかっていうツッコミ以前にアイツ自身がモモから生まれちゃうという強烈なファンタジスタだからね。

でもなんで唐突にツルよ? 脈絡はどうなってんのよ。

アレかい? あまりに救いのない話だから? 身よりもなく年経た浦島太郎の今後をおもんぱかって? せめてツルになって千年の時を生きよってか? まぁ亀は万年生きるけどねってかい?

そんな帳尻合わせをするくらいなら、最初からこんな絶望的な話なんか作らなきゃいいのであってね。

昔話がわたしの子ども時代から変化しているという話は知っている。あまりに救いのない結末の場合、多少マイルドな感じにしているらしいじゃない。

クリープじゃねえんだからよ。そんなものはディズニーに任せておけばどんどん作ってくれるんだから。人畜無害でハッピーエンドなお話を。

脈々と受け継がれる昔話をわざわざ毒にも薬にもならないものにしたら、それを聞く子どもの心の振れ幅が小さくなるでしょう?

感動するお話もあれば気分が悪くなるお話もある。それでいいじゃない。時に清濁併せ飲むからこそ深みのある人間にもなろうというものなのに無駄に過保護なんだよな。

 

と、持論を繰り広げたところで話は先日の学校公開(昔でいう授業参観日のようなもの)に移る。

次女(8)の教室に算数の授業を観に行った時のこと。授業風景に飽きたわたしが勝手に教室の本棚を漁っていると、あるではないか浦島太郎が。作者や出版年などは忘れてしまったが、わたしは授業そっちのけで読んでみた。

 

釣りをしていた浦島太郎は同じ亀を三度釣り上げ、三度とも逃してあげたら乙姫様ご本人が乗った小舟が登場。亀を助けてくれてありがとうぜひ龍宮城に来てください。

龍宮城で飲めや歌えで三年過ごし、帰るときに三段重の玉手箱。村に帰って誰もいなくて玉手箱を開けると、一段目に羽が二枚。二段目で白い煙がもくもくと。三段目に入っていた手鏡で老人になった自分を見て驚き思わず立ち上がると、その勢いで羽が生えてツルになって飛んでった。

 

わけわからん。

村の子どもはどうした? なぜ亀の背中に乗らない? そもそも同じ釣り人の針に三度も掛かる亀サイドに問題があるよ。乙姫も助けられてお礼をするヒマがあるなら、亀にもう少し地域の安全性について教育をしてやれよ。

あと三段重の玉手箱。三越のおせちかよ。これがもう残忍極まりないね。一段目の羽、二段目の白煙はまぁいいとして問題は三段目の手鏡。これってジジィになった姿を見せるためだけに存在しているわけでしょう。ものすごい悪意じゃん。

極めつけは最後ね。自分の姿を手鏡で見てビックリしてうわぁって立ち上がったらその勢いでツルになって飛んでったって。何その笑った瞬間の尿もれみたいなラストは。

 

本当だったんだなツルになるって。

でもいったい乙姫は浦島太郎に何をしたかったのだろう? 身内を助けてくれた人に対してやることじゃないよな。亀を美人局にして地上の人間をもてあそぶ姫の戯れか。

親も10年続ければ慢心しますよという話。

わたしは40歳を過ぎているが、ガキだ。

なんというか、もうただひたすらにガキだ。同年代の人たちと比べても本当にガキだと思う。思い通りにならない事があるとすぐキレるし。

コンビニのおにぎりの海苔がうまく巻けず「オラァッ!!」と握りつぶした事が過去に2回はあるし、スマホなどの保護フィルムがうまく貼れず「ゴルァッ!!」って握りつぶした事が過去に3回はあるし、ゆで卵のカラがうまく剥けず「クソがぁっ!!」と握りつぶした事が過去に5回はある。きっと性格に欠陥があるんでしょうな。

 

そんな感じだから普通に娘とケンカになったりする。

長女(11)はすでにわたしの性格を熟知してるからめったにケンカにならない。わたしがケンカをふっかけても菩薩のような表情で「いいよ〜分かったよ〜そうだねぇ〜」と軽くいなす技を習得済みだ。これは奥さん直伝の技。わたしなどよりはるかに大人だ。

したがってわたしの主なケンカ相手は次女(8)。これがわたしに似て短気頑固負けず嫌い。

一ヶ月ほど前も次女とケンカになった。きっかけは些細なこと。次女がフザけてわたしをぶったのだ。だからわたしも次女をぶった。負けじと次女がまたわたしをぶった。

この瞬間、わたしの中で戦いの火蓋が切られた。わたしはぶたれたままで終わるのは絶対にイヤだ。いいか絶対にだ。最後はわたしがぶった状態で終わりたい。なぜそうなのか理由など知らない。とにかくそうしないと気が済まないのだ。

そこからは次女とわたしのブッタブタレタ合戦が繰り返されたが、そのうちに次女が「いたい! もー!!」といってお布団にうつ伏せで転がった。どうやら泣いたらしい。

勝った……。バカめお前ごとき小娘が俺にかなうはずがないだろうが。

こんなわたしを『ひどい親だ』と言う人もいるかもしれない。

でもわたしはこれでいいと思っている。先述したようにわたしはガキだ。だがそのおかげか、遊ぶ時は全力で娘と遊べる。そして本気で遊べば必ずいつかはケンカになる。全力で遊ぶけどケンカにはならないなんて都合の良い関係はあり得ない。

 

話を戻そう。

かくして戦いは次女を泣かしたわたしの完全勝利で終わったわけだが、その後が問題だった。ふてくされた次女が奥さんにもふてぶてしい態度をとり続けたのだ。

わたしは次女を叱った。

「ケンカした俺にふてぶてしい態度を取るのは仕方がない。でも全く関係のないおかあさんにまでそんな態度を取っていいと思ってんのか? 調子に乗るんじゃねぇこの野郎。なんか言うことあるんじゃねえのか? 謝れよ」

さっきまでは次女とわたしの対等なケンカだったがこれは違う。これはいけないやつだ。だからわたしも親としての顔を見せて次女を叱った。

それ自体はよい。いけなかったのは以下の3点だ。

1. 叱り方が乱暴だったこと

2. 次女の友達が来ていたのに叱ったこと

3. 謝れよと言ってしまったこと

 

私は叱ると地が出るのか言葉がものすごく乱暴になる。こうなるともはや叱っているのではなく単に感情的に怒っているだけになってしまう。

これだけでも良くないのに、その日は次女の友達が泊まりに来ていた。何も友達の前で叱ることはなかった。

しかし自分で最もショックだったのは、次女に謝罪を強要してしまったことだ。

わたしが記憶している限り、いままで一度も娘たちに「謝れ」といったことはない。謝れと言われて謝ることにはなんの意味もないからだ。自分のしたことを振り返る。それは誰かに謝るべきことだったのかを考える。謝るべきことであれば謝る。そうでなければ謝らない。意識してそう教えて来たつもりだったのに。

こんなことは初めてだったから自分でも戸惑ったが、どうやら親を10年以上やってきて、わたしは少し傲慢になっていたようだ。

仕事でも習い事でも、10年も続ければそれなりのベテランだ。しかしそこに油断や慢心が付け入るスキがあることは、みなさんも経験からご存知でしょう。

親も同じだったんだなぁ。わたしは10年を超える父親業でいささか慢心していたんだろうな。たかが10年なのに。猛省。

改めて、少し気を引き締める時期が来たのかもしれない。親として。

 

桃太郎は日本一ではなかった話。

以前、会社の後輩と『桃太郎』の話になったことがある。

話を振ったのはわたしで、要約すれば以下のような内容のことを言った。

・桃太郎という昔話を知っているか?

・ただ『桃から生まれた』という出自なだけでなんの実績もない若者が、よくもまぁ鬼退治などを決心したものだ。

・しかも自信満々に『日本一』という旗まで指して行脚するなど。あれが『若さ』というのかね。

 

それ対し、わたしより7歳くらい年下の後輩が言うには、

・あれは桃太郎が日本一なのではない。桃太郎のおばあさんが作り持たせた『きびだんご』が日本一なのだ

 

えっ? そうだったの?

なるほど。たしかにそうかも知れない。

ならばきっと桃太郎のおばあさんはこう考えたのだろう。

「桃太郎はアタシら老夫婦がやっと神様から授かり給うた子。できればずっと手元に置いていつまでも一緒に暮らしたい。絶対に失いたくないのじゃ。のうじぃさん。しかしあの子は鬼退治に行くのをやめないじゃろうて。たとえ自分の命を落とすことになろうともの。ならばそこまで決心の固いあの子に、このババアは何をしてやれる?何ができると言うんじゃじぃさん。

そうだきびだんごじゃ。きびだんごを作って持たせれば、道中で出会う人々がきびだんご欲しさにあの子の仲間になってくれるかもしれん。そうすればもしかしたら命を落とすことなく帰ってこられるかも知れん。

しかし待てや。アタシの作るきびだんごにそこまでの魅力はないじゃろうて。じゃろうじいさん。

そうじゃ旗指物じゃ。『日本一』の旗指物を掲げたきびだんごなら、きっと多くの人たちが釣られて来る。その中に食いっぱぐれた屈強な荒武者などがいて、その上仲間になってくれたら言うことはない。そうじゃそうしよう」

 

ババァなかなかの策士だったようだ。

しかし悲しいことにババァの思惑通りとはいかなかった。屈強な荒武者どころか、仲間になったのは、イヌ、サル、キジの畜生だけだった。

当たり前だと思う。たとえ勝手に『日本一』の旗指物を指したところで、どこの誰が作ったものなのか分かりもしないきびだんごなどに人が群がるわけがない。

それに桃太郎は老夫婦に甘やかされまくって育った勘違い野郎である可能性が高いので、きっと自意識過剰で自己顕示欲も強いであろう。「鬼を退治するぞぅー鬼を退治するぞぅー」とふれ回りながら歩いたに違いない。わたしなら絶対に近づかない。それどころか今の世なら立派な通報事案にさえなってしまうだろう。畜生たちだけでも仲間になってくれたこと自体が奇跡と思うべきだ。

 

その後は皆さんご存知の通り、桃太郎は仲間と鬼ヶ島に渡り、みごと鬼退治に成功した。畜生どもが思いの外強かったのか、桃太郎が千人力だったのか、鬼が拍子抜けするほど弱かったのか。

いずれにしても、後輩のその一言をきっかけに、わたしにとって桃太郎は『日本一』ではなくなってしまった。人はなんと簡単に心変わりするものよ。

しかしその後輩は、私の長年の桃太郎像をぶち壊すだけでは飽き足らず、さらなる爆弾発言をくりだしてきた。

 

なに? 浦島太郎もなのか!?