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俺があいつを見返す日。

ある一言をきっかけに、ある人物を見返すきっかけとして立ち上げました。日々のことから夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも掲載します。

ドッジボール大会で目撃した光景が忘れられない。

先日の土曜日。地域主催のドッジボール大会がありました。参加したい子たちで集まってチームを組み、保護者がひとりリーダーになってチームを率いる。長女(10)も出場したのでわたしも観に行きました。

多くのチームが出ているんだけど、競技ですからね。当然ながら勝者がいれば敗者が存在します。女の子は敗けてもわりとあっけらかんと笑っている子が多いんですけど、やっぱり男の子にとっては真剣勝負なんですかね。敗けて悔しさを全身で表現する子もいれば、うつむついてグッと耐える子など、じつに悲喜こもごもです。

 

そんな光景に目を細めていると、わたしの右側から大きな声がしまして。

「ホラ謝ろう!  みんなで謝りに行くぞ!!」

声の主はどこかのチームリーダーと思われる大柄の男性。チームの子どもたちに向かって声を張り上げているところでした。

リーダーの男性も含め全員が同じ野球のユニフォームに身を包んでいたので、恐らくは少年野球の子どもたちで構成されたチームでしょう。そしてリーダーはその野球チームのコーチですかね。

その一団がわたしの前を横切り、わたしの左側にいた、これまたユニフォームを着た男性の前に立ったんです。

そんでそのリーダーがね。その男性に向かって、

リ「監督すいません!負けてしまいました!!」

子「すいませんでしたぁー!」

突然のことでわたしが呆気にとられていると、リーダー今度は地面に両ヒザを付き、なんと土下座ですよ。

リ「すいませんでした!!」

それを見た子どもたちも土下座します。

子「すいませんでしたぁー!!」

監督もまんざらではないんでしょうね。

監「アッハッハ。イヤイヤまぁまぁ」

それを見て周りの保護者たちが微笑ましく笑い合うというね。

 この人たちなりの考えや事情があるんでしょうね、きっと。でもわたしにはそれは分かり得ません。
だからわたしはわたしの考えで言いますがね。

 

バカじゃねぇの?
監督だかコーチだか知らんが今すぐやめろ。お前らに子どもを指導する資格はない。可能なら大人であることを辞退しろ。周りの保護者は人の親であることをいま一度考え直せ。

なぜ敗けたことを監督に謝らなければならない?

しかも土下座までする意義とはなんだ?

子どもたちは一生懸命にやったのではないのか?

自分たちで出場を決め、チームメンバーを募り、もしかしたら当日に向けて練習を積み重ね、そうして臨んだ当日ではないのか?

それで敗けたことの何が悪いのか?

リーダー。あなたは監督に「子どもたちは一生懸命やりました! どうか褒めてやってください!!」と言うべきだったのではないか?

監督。あなたは「土下座をさせるとは何事か! お前たちは胸を張れ!!」とリーダーを叱咤し、子どもたちを激励すべきだったのでは?

周りの保護者たち。あなた方は土下座をしている子どもたちの姿を笑うのではなく、心を痛めるべきだった。

あなた達は全力を出して敗けた誇り高き子どもたちを、ただの「敗けた悪者」にしてしまった。この罪は重いぞ。

 

まぁね。よく見りゃ土下座をしたリーダーも子どもたちも半笑いでしたからね。パフォーマンスなんですよね。茶番なんです。それを分かっているからこそ監督も周りの保護者たちも笑うんです。

わたしだってそれはまぁ分かってるんですよ。

でもね? そもそもですよ? そもそもパフォーマンスとして土下座なんてさせられたらたまったもんじゃねぇんですよ。

土下座ナメんな。人が地面に頭をこすりつけて良いなんていう場面が人生においてどれだけあるというのか。

人としての尊厳をだね。笑いを取るためのパフォーマンスで地に落とし、それを見て何も感じずに笑っていられる神経がトリハダが立つレベルで気持ちが悪いっつーのよ。

 

自分の子がこのチームじゃなくて良かった。当事者だったらブログで不満をブチまけさせてもらうだけでは済まなかった。

でもそこはわたしも大人ですから。当事者でもないですし、敢えてそれを口にすることはしませんけど。リーダーの男性大柄で強そうですしね。わたし殴られるの怖いしヤダし。

 

ちなみにこの土下座をさせたリーダー、知っている人でした。と言っても会っても挨拶をするレベルでもないですけどね。

仮に将来、この人たちと知り合いになれる機会があったとしても、わたしの530,000の戦闘力を以って全力で拒否します。到底友だちになれそうもない。

わたしはこんなだから友だちがいないんだなぁ。

ポテトチップスを食べるときの最適解と謎の印について。

ポテチおいしいからね。どんな時も食べ続けていたい。本を読んでいる時も、ゲームをしている時も、今こうしてスマホを触っている時でも。片時も離れられない。それが、あそれがポテチ。

でも手が汚れるんだな。手が汚れるから本もゲームのコントローラーもスマホもギトギトになっちゃう。わたしは汚れた手を服で拭くクセがあるから、服もシミだらけになっちゃうんだな。 

 

そこでコレですよ。

2010年7月31日。我が家にもたらされた画期的アイテム「ポテチの手」。

ポテチの手 のりしおタイプ
手を使わずにポテチをつかめるので手がベトベトしなくて済む。さらにはポテチの粉をふるい落とす機能も兼ね備えている優れもの。

これで長年の悩みが一気に解決した……かに思えたんだけど。

ダメだったなー。ちょっとムズイんですよコイツ。

大きいのはともかく、小さめのポテチをつかもうとすると手がプルプルすんの。ポテチをつかむためにものすごい集中力が必要で、もう本を読むとかゲームするとかの次元じゃない。わたしは何かをしながら片手間にポテチを食べたいんであって、ポテチを食うことを生業としているわけじゃねぇっつーの。

つかんだポテチを口に運ぶ時の角度も不自然で手首に負担が掛かるし、使用後の衛生管理もめんどっこい。

最大のネックはポテチの手を持ったまま本やゲームのコントローラーが持てないこと。これがいちばんヤダ。

そんな苦労をしている内にふと我に返ってしまいましてね。

「なぜこの歳になって、いまさらこんなジョークアイテムの習熟度を上げていかなければならないのか?」と。

 

じゃあどうするの? 箸でしょ。

箸ですハシ。箸で食うのが一番なんですポテチは。使い慣れているし、なんたって手が一切汚れないんだもの。これで全て解決です。

箸を使うという案は、数年前に電車で見た男子高校生たちがやってたのをパクったんです。見た時は衝撃を受けましてね。目からウロコというか、思わず膝を打つというか、とにかく感動しました。

感動すると同時に自分の頭の固さに落胆もしたんですけどね。

だって、きっとこの男子高校生たちにとっては、ごく自然の行動だったハズなんですよ。

「なんかハラ減んね?」
「コンビニでポテチ買わね?」
「でも手汚れね?」
「一緒に割り箸貰えば良くね?」

こんなもんです。彼らアタマが柔らかいからね。これが若さなんですよ。

わたしなんぞ、
「アァッ! ポテチを食べると絶対に手が汚れてしまう! この現象からはどうやっても一生逃れられそうにない! 手を使わずに食べる方法があればいいのに! もはやポテチを食べるのをやめなければならないところまで事態は逼迫しているのか!? イヤだやめたくない!!」

箸があんだろ箸がよジジィ。数年前のわたしのアタマを引っ叩きたい。アタマ固すぎて足元が見えてないんですよ。これが老いですな。

 

さて。そんな老いたるわたしですが、ついに一人でポテチひと袋を食べ切れなくなるほど老いが進行してしまいましたよ。

だから最近は必ず袋の裏側の真ん中から開ける「パーティー開け」で、他のみんなにも食べることを強要するんです。これね。

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そんで最近なんですけど、謎の印の存在に気が付いちまったんですよ。

これ、カルビーのコンソメポテチの裏側なんですけど。

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真ん中あたりに2つの「*」の印があるでしょ?

そんで家にあるポテチやそれ以外のスナック菓子をかたっぱしから確認したんですけどね?

ないのもあったけど、結構な率で印があったんですよ。何なんでしょうねこれは?

 

敢えてまだ調べてないんですよ。せっかく日常で見つけたミステリーは大切にしたいですからね。

いずれこの謎の仮説を立てた上で調査を開始したいと思います。

2017バレンタインデーに家族からもらったチョコ。

2017年のバレンタインデーは誰からもチョコもらえませんでしたけどね。もちろん家族や血縁者からはもらえたんですよ。

いや、もちろんとか言っちゃダメだな。もらえることを当たり前に思っていたら感謝の気持ちがなくなってしまうな。ありがとう家族と血縁者たち!!

さて。
今回は備忘録を兼ねて、もらったチョコをご紹介させていただきます。

ブログネタの枯渇に悩まされている毎日、こんなことでも記事にしないと更新もままならなくなってしまうのでね。

 

まず義母。

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オードリーというお店のらしいです。

真ん中のハートには乾燥ベリーがふんだんに散りばめられており、一口かじれば乾燥ベリーがボロッボロこぼれてくるオシャンティーな品となっております。

味は覚えてないです。一口食べて奥さんにあげちゃったから。

義母には悪いと思ったけど、わたし、どんなにおいしい食べ物でも食べにくいものには憎悪の念を抱いてしまい汚言が止まらなくなってしまうので。

 

あとこれもオードリーのだけどおまけだって。

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ブーケの形をした、とてもかわいらしいお菓子。ヤダこれも超絶オシャンティーじゃない?
でもこれ完全に「ルーベラ」だよね。ブルボンの。

 

ブルボン ルーベラ 10本×12袋


そう思ってなんの期待もせず食べてみたら、あらビックリ。予想の10倍美味しかった。

義妹の希望で義妹親子と義母が髙島屋に買いに行くも義妹の息子たちがハラ減ったと騒ぎはじめ義母がなぜか髙島屋ではなく三越に食べに行くことを提案し食べて戻ってきたら売り切れてて義妹が息子と義母にキレたといういわくつきの品となっております。

 

次にその義妹。
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ルタオっていうおみせのやつ。チョコにダージリンティーが入っていて口どけなめらか。とても美味しかったです。このお店はかなり前にドゥーブルフロマージュで有名になったお店ですよね。


奥さん。

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手作りのなんかモフモフした焼いたやつ。コーヒーの香りがして美味しかったです。奥さんは毎年手作りの何かを作ってくれるし、バレンタインデー当日はいつもよりご馳走を作ってくれます。


長女(10)

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安心してください。チョコですよ。生チョコです。

この状態で提供されましたからね。これを食えと。

これを? これを食えと? いやムリ。だってコレ、アレじゃん。見たもん。わたし見たもんこれと同じやつ。道に落ちてたもん。

長女の気持ちを思えば一も二もなく「わぁありがとうパクーおいしい!」ってやるべきだったんですけど、あまりの見た目のインパクトに思考が停止してしまい、どうしても口に運ぶことができなくなってしまいました。

 

奥さんがなんとかしようと知恵を絞った結果がこれです。

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なんと言うか……時すでに遅し? 手の施しようがないとはこの事ですね。

盛り付けがいかに重要なものか、この時ほど思い知らされたことはありませんでした。


最後に次女(7)
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長女のアレを見たあとだったので「こんなに美しいものがこの世に存在するのか!」とまで感動しましたけど、よく見るとスプレーチョコとアラザンが親の仇のようにふんだんに使われていてきめぇ。

こんなにかわいいクマでさえ、

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ひっくり返すと

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ほらビッシリ。

めくって思わず「ヒッ!!」ってなったもん。

 

以上。

 

自ら我が子を危険に晒すような教えをしているヤツが親と呼べるかよ。

昨日の夕方。家路の途中の話なんですけどね。

わたしが歩く進行方向の少し先に踏切があったんです。

その踏切に赤いランプが灯って、カンカン鳴る音が聞こえて、閉まり始めるバーが見える。わたしと踏切との距離感はそんな感じ。

それで。
いまにも閉まり切ろうかというところまでバーが下がった時、幼稚園児くらいの女の子と手を繋いだ女性がバーを押し上げて踏切から現れたんです。
そのすぐ後に、今度は小学5、6年生くらいの男の子がまたしてもバーを押し上げて現れました。
おそらくはこの3人は親子でしょう。

わたしにとってはそれだけでも信じられないことなんだけど、その親子とすれ違う時に聞こえてきた会話が、もっと信じられなくて。


******

男子「いま踏切ギリじゃなかった?」

母親「カンカン鳴っても電車はすぐ来ないの。電車が来るまでは少し余裕があるから、その間に渡っちゃった方がいいんだよ。」

******

 

あのね……。何だったら鈴木雅之さん呼んで来たっていいんだよ?
でも彼もそれなりに忙しいだろうし。わたしは彼と知り合いでも何でもないからそもそも呼べないけど。
でもね。

 

 

違う、そうじゃない

 

違うよ。

あなたがお子さんに教えるべきは、踏切が閉まり始めてから電車が来るまでの余裕ではなく、踏切をひとつ待てる心の余裕ですよ。

なんでカンカン鳴り始めてから走りだすかなぁ?
その踏切を一回待つだけで、あなたの人生にどれほどの多大な影響を与えるのよ?

おそらくだよ? おそらくだけど何にも変わんないぜ? せいぜい目的地に到着するのが1分、多くても数分遅れるくらいのものだぜ。

その数分が事態を大きく左右するというのなら、そもそもの行動に余裕を持ちなさいよ。数分早く家を出なさいよ。

何なの? 渋谷で5時に待ち合わせでもしてんの?


前にこの踏切でこんなことがありました。

わたしが踏切を渡ったあと、女の子の「あっ!!」って声が聞こえてきたんです。

振り返って踏切を見ると、自転車を押したおじいさんが、踏切のバーが閉まって通れなくなってたんですね。
きっとバーが閉まるまでの時間とご自分のヨボヨボ具合との見積もりがうまくいかなかったんだな。

急いで引き返して閉まっていたバーを上げたのでおじいさんは通れましたけど、それなりに際どいタイミングだったと思います。


わたしが言いたいのは、わたしのこの慈愛に満ち勇気に溢れた英雄的な行為を自慢したいのではなくて。

もう少し危険を予測しなよってことです。途中で子どもが転ぶとか、その拍子に足が線路にハマっちゃうとか、何か持ち物を落とすとかね。

その数分で得られるものと失うかもしれないものを秤に掛けなよってことです。

自他共に認める短気なわたしが言うんだからね。

結果発表:2017年バレンタインデーチョコ収穫数(家族等除く)

ゼロっす。ゼロっすわー。

2017/2/14。バレンタインデー。

この日、わたしは誰からもチョコをもらえませんでした。
わたしに好意を寄せてくれていたはずの、

通勤の道すがらでいつもすれ違う女性からも。

電車の中でいつも一緒になる女子高生からも。

改札横の窓口にいつもいる駅員さんからも。

毎日買い物をするコンビニの店員さんからも。

たまに会話をするパートのおばちゃんからも。

搬入搬出の時に会う仕出し弁当のお姉さんからも。

だーれからも。もらえませんでした。

おいおいどうしたわたしの行動範囲にいる女性。ふざけているのか? なぜチョコをくれない? 気は心という言葉を知らないのか? チロルチョコ1個でいいんだよ。くれよ。もらったという事実が大切なんだよ。それさえあれば明日も何とか前向きに生きていけるんだからさぁ。チョコを買う金がないのか? なら金はやる。だからくれよ。もしやわたしの居場所が分からないのか? ここぞ? 我はここぞ?


フッ……。
分かっていたさ。全ては妄想だということは。
おのれの最大のモテ期は20年も前に過ぎ去っている。そしてそれ以降モテ期が再来していないことにも気付いていたよ。
ただ……さ。見たかったんだ。「夢」ってやつを。


だからヤなんだよなバレンタインデー。夢が冷めちゃうんだもん。
もしかしたらあの人わたしのこと好きなんじゃね? とかね。せめてそういう妄想をするくらいはいいじゃない。

一年かけてそういう妄想貯金を積み立ててもだね。バレンタインデーにその妄想が妄想であると思い知らされてゼロに戻っちゃうのよ。
まーた貯金し直しなんだよ妄想貯金。

唯一もらえたのは……いや、もらえたとカウントしてよいものか。わたしが加入している保険会社の生保レディから、ちっちゃいハート型のチョコ1個よ。

なんだろう。この明らかなる義理チョコに、妙な感じで神経を逆なでされまして。

「いらぬわ!!」って生保レディのコメカミめがけてぶん投げてやろうかと思いましたよ。

完全なやつあたりですけどね。えぇ。

インフルエンザのことを書いていたらハゲの新しい言い方を思い付いた。

インフルエンザ。

昨日、長女(10)のクラスはお休み1人。

次女(10)のクラスでは一気に13人。早退1人を入れたら計14人がお休み。

奥さんの職場や習い事でもお子さんに発症してしまった人がいるらしく、インフル猛威を振るっておる模様。

奥さんの習い事では近々発表の場があるので、無事に当日を迎えられるのかと、みなさん戦々恐々としていることでしょう。
中にはご家族がA型B型両方を発症したにも関わらず、気合のみでウイルスに立ち向かおうとしている勇者もいるとかいないとかいるみたいです。
その意気や良し。心から無事をお祈りしていますよ。


わたしの勤めている会社も例外ではないです。インフルの野郎が調子ぶっこいております。

昨日まで普通に話してた人が、今日会社に行ったら休んでたりして。もうゾンビみたいに増殖してんですよ。

私の所属する部署にはまだ発症者はいないんですけど、時間の問題でしょうねぇ。真綿で首を絞められるように、ジワジワとインフルの魔の手が忍び寄ってきているのが分かります。

ただね。ちょっと不思議な現象が起きていて。
インフルエンザにかかるのがハゲばっかなんです。

マスクしてないとか手洗いしないとかそんなんじゃないの。ハゲばっかなの。なんなのインフル? つもりを教えて? ハゲ戦々恐々。やっば寒いのかなぁ。寒くて抵抗力が落ちるのかなぁ。わたしの机の向かいにハゲた後輩がいるんだけど、コイツが掛かったらヤダなぁ。


あ。
わたし別にハゲていることをバカにしたり、ハゲている人を笑ったりしているわけではありませんよ。

わざとハゲて意図的に笑かしにきてるのならともかく、別にみずから望んでハゲているわけではないしね。

なんの他意もないからこそハゲを連呼できるのであってね。いや別に現実世界で連呼はしてないけど。

それにどうやらわたしにもその兆候が出はじめたみたいだし、他人事でもないや。

そういえば昔、「髪」という漢字の構成に目をつけて「髪は長い友だち」というCMがあったんだけど、知ってる人いるかなぁ。
ハゲてる人はアレですかね。絶交しちゃったんですかね髪と。
すいませんバカにはしてません。

あとね。悪いのは他に良い表現がないことですよ。
最近よく「薄毛」とか言うけど、わたし自分がハゲたらハゲって言われるより薄毛って言われる方が圧倒的にヤダです。

気を使われてる感が満載なんだもの。腫れ物に触れるというか。そんな辱めを受けるくらいなら、バチコーンと「ハゲ!!」って言われる方が100倍良いです。

かと言って他にいい言葉は思いつかないんだけど。

「人よりちょっと肌の露出が多いワイセツな人」

「人よりおでことアタマの区別が優柔不断な人」

「カミナシ」

あ、カミナシ!
いいなカミナシ。カオナシみたい。ずっと「ア……アァ……カミ…カミ……」とか言ってんの。
すいませんふざけてるだけでバカにはしてません。

おっと。いつの間にか熱いハゲ談義になっていた。
いかんいかん。あまり考え過ぎるとハゲちゃう。

ホントすいません。

写真は撮らない。

わたしの日常の行動範囲からは、だいたいスカイツリーが見えます。

毎日の通勤電車の中からもスカイツリーが見えるんですけど、一年くらい前、その横にクッキリと大きな富士山が見えることに気が付いたんです。空気の澄んでいる冬の間だけでしょうけどね。

けっこう見事な景色だから家族にも見せてあげたいなって思うほど。

でも写真は撮りません。


私が勤めている会社は郊外にあります。
バスを降りてから会社まで15分ほど歩くんですけど、その道すがらで竹林が続くエリアがあるんです。

その竹林の途中、ほんの少しだけひらけた場所があって、そこに梅の木があるんです。

ちょうど今の季節に花を咲かせていて。それまで緑一色だった景色に白い梅の花がとても映えるんです。
わたしの家族にも見せてあげたいくらい。

でも写真は撮りません。

 

わたしは写真を撮らないんです。それが心に響けば響くほど、逆に写真を撮りたくなくなる。

写真って良くも悪くも「真を写す」でしょう?
わたしが美しいと思って心を動かされた景色も、写真に撮った瞬間にただの「スカイツリーと富士山」「竹林と梅の木」になっちゃうんです。

仮にそれを家族に見せても絶対伝わんないんですよ。「ふーん」で終わっちゃうんです。
うまく言えないですけど、なんかその時の「空気感」みたのが写真には写らない。

写真になった瞬間に、それはもうとてもチープなものになってしまう感じがして。自分が感じたものはもうそこにないんです。
プロ級の腕があればいいとか、そういう問題ではないんだな、きっと。


だから家族には話して聞かせるんです。その時の光景やそれを見た時の自分の気持ちなんかを、それはもう大げさなくらいに。

多少誇張が入ってもいい。思いっきり美化するんです。
目的はその景色を見せることじゃなくて、私が感じた気持ちの共有なんです。

そうなるともう写真は邪魔でしかないんです。大げさに誇張したり美化できなくなりますからね。