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俺があいつを見返す日。

ある一言をきっかけに、ある人物を見返すきっかけとして立ち上げました。日々のことから夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも掲載します。

想像してみよう「いたちごっこ」。

前回の記事の中で「いたちごっこ」という言葉を使いました。「やってもやってもキリがない」みたいな意味だと思いますが、そもそもいたちごっこってなんだろ?

「いつ想像するの? イマジャン!」の時間がやってまいりました。いま突然。

分からなければまず想像しよう。Google先生に聞くのはそれからでも遅くはない。世の中の疑問は全て楽しいクイズです。

そんなわたしの想像はこう!!

***
まず、時は江戸時代。五代将軍徳川綱吉あたりとしましょう。
歌舞伎か狂言で「いたち」が主役の演目があったんです。
演目名は「人助鼬又(ひとだすけいたちまた)」。
これが当時大ヒットしました。

ストーリーはこう。

あと一年生きれば鼬又(いたちまた。年を経たネコが″猫又″という妖怪なるみたいに)になれる1匹のイタチがいた。しかし運悪く人間に捕まり、殺されかけたところを別の人間に助けられた。

人間に殺されかけ、同時に人間に助けられもしたイタチは、人間を信じる気持ちと憎悪する気持ちを持ったまま鼬又(以後″イタチ″と表記)になった。

ある日、イタチは鼠小僧なる人間が磔の刑に処されているところを目撃。
しかし誰あろう、それは1年前に自分を助けてくれた人間だった。
自分を助けてくれた人間(鼠小僧)を、同じ人間が殺すところを見て、 イタチはより一層人間を理解できなくなった。

もう人間とは関わり合いにならず、ひっそりと森で暮らそうと決意するが、鼠小僧が義賊となって助けていたのもまた人間であることを知った。
分からなければ分からないままで良い。自分の命が鼠小僧という人間に助けられたのは事実。ならば彼なき今、自分が彼の代わりに人間を助けよう。
そうしてイタチはイタチ小僧という義賊になり、神通力も使いながら多くの人々を助けた。

そんなイタチもやがて幕府に捕まり、磔の刑に処されることになった。
イタチに槍を刺す役目の男は、かつてイタチに助けられたことがあった。
男はイタチを刺したくはなかったが、やらなければ自分が死罪になってしまう。だがどうしても槍を動かせないでいた。

そんな男の気持ちを察したイタチは、男に優しく微笑みかけた。
そして大きな声で
「やぁやぁ! 我こそは八百八町を賑わせた大義賊、イタチ小僧である! 今より我が神通力を以って最後の賑わい、大輪の徒花を江戸の空に咲かせてご覧にいれようぞ!」

そして自らの妖力で槍を動かし、自らに刺した。
イタチの体から血が天に向かって吹き上がり、江戸の青空に真っ赤な大きい花火が上がった。
イタチは最後の最後で、己を処刑するはずだった男までも助けた。
江戸の人たちは、大空に咲いた大輪の花を見て、いつまでもイタチの死を悲しんだ。
いつまでも。いつまでも。

みたいなストーリー。うーんいい話。
出版関係の方、ここのお話を本にしていただけるなら連絡ください。舞台でも映画でも歌舞伎でも大歓迎です。お金さえいただけるなら。

話を戻しましょう。
そのイタチを二枚目の役者が演じていたんです。やがて子どもたちはこぞって「イタチごっこ」で遊ぶようになります。
でもやっぱりやりたいのはみんなイタチの役。仕方がないのでジャンケンでイタチ役を決め、終わったらまたジャンケンでイタチ役を決める。
そんな風に繰り返し繰り返し、いつまでもイタチごっこで遊ぶものだから、ご飯の時間になっても子どもたちが全然戻ってこない。

怒ったお母さんが
「またイタチごっこかい! キリがないよまったく」
と言ったとか言わないとか。
***

以上。
これは自信ありますよ!

さて実際は?
以下、ウィキペディアより抜粋です。

***
いたちごっこは、江戸時代後期に流行った子供の遊び。

二人一組となり、「いたちごっこ」「ねずみごっこ」と言いながら相手の手の甲を順につねっていく。両手が塞がったら一番下にある手を上に持っていき、また相手の手の甲をつねるという終わりの無い遊びなので、転じて「埒があかず、きりがない」ことも指すようになった。現在では双方が同じことを繰り返して物事の決着がつかないことをいう。

***

……ふーん。
江戸時代後期か。時代は合っていたけど綱吉の時代との予想なのでズレましたね。
でもいたちごっこという子どもの遊びが語源だったことは見事に正解。
ただ、わたしが考えた壮大な「人助鼬又」のストーリーらしきものはまったく出てきませんでしたね。

ま、今回は痛み分けってとこかな。初回にしちゃ上出来よ。

現在までの戦績 1戦0勝0敗1分