俺があいつを見返す日。

ある一言をきっかけに、ある人物を見返すきっかけとして立ち上げました。日々のことから夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも掲載します。

わたしは神仏を信じていない。

わたしは神仏の類を信じていません。

その存在は否定しないしできやしない(←90年代JPop風)。ただ自分にとって信じるに足る確証がないというだけです。
だから神仏を信じ心の拠り所にしている方たちに対する否定などとんでもない。単なる趣味趣向の問題ですから「パクチー好きなの? 俺ダメなんだわー」くらいの感情です。

ただ、こちらとしてはその程度の気持ちなのに、あちらが許してくれないことが多いんです。
「なにパクチーが食えねぇ? マジお前バカじゃねうめぇに決まってんだろお前おかしい絶対。食えよ食え絶対食えよ」
知らねぇんだよお前がなにを好んで口に入れるかなんてよ。それがうめえと思ってんなら黙って食ってろよ。発表するのは構わねぇけどそれを押し付けるな。俺にとってパクチーなどただの草だがいつ俺がパクチーを好んで食う人をアホ呼ばわりした?

だから神仏に関する行事などが面倒で仕方がない。

お宮参りの時も揉めました。
わたしは神を信じていないので、子どもが生まれたことを土地神様に報告する必要性を感じません。なぜ生まれて間もない赤子を神社に連れて行き、お金を払ってまでお祓いを受けないといけないのか。お金の問題ではありません。タダでもやらないので。その意義がどうしても感じられないだけです。
でも近しい人には「そうは行かない」という人もいまして。
先述したように、わたしは信じてないけど否定もしないので「行け」と言われれば嫌々ながらも行きますよ。でも「行かないのはおかしい。行かなければならない」みたいなノリで言われると「知らねえんだよバーカ!!」ってなります。

厄払いの時もそう。
やはり近しい人から行くようにお願いされました。なんでもわたしが厄払いをしないと、その災いが家族や親類縁者まで及ぶらしい。
数ヶ月後に出産を控えていたその人はそれを非常に気にしており、わたしが厄払いなどしないのは承知でお願いをしてきました。
もちろん行きましたよ。いやでしたけど。それでその人が安心して出産に臨めるのであれば、わたしのこだわりなどいくらでも捨てられます。
でもその一方で、もし何かあったら「俺が厄払いに行かなかったからだ!!」って当然に考えるんだろうなって思い、なんだかやるせない気持ちにもなりました。

そんなわたしは昨日下痢をしました。
ホームセンターに向かう途中の車内で猛烈な腹痛に襲われ、おまけに道を間違えて2分のロスをし、着いた時にはかなり危険が差し迫っていました。
内股でトイレに向かい、3つあるうちの個室が1つだけ空いていた時

「神様!!」

心から手を合わせていました。