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俺があいつを見返す日。

ある一言をきっかけに、ある人物を見返すきっかけとして立ち上げました。日々のことから夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも掲載します。

感謝の行方が分からなくなった話。

ヤマトさん。時間帯指定の配送見直しを検討しているらしいです。

そうですよねぇ。アマゾン川の氾濫でドライバーさんは大変なことになっているんでしょう? 指定の時間帯に届けに来たのに家主が留守で再配達。そんなパターンも多いのでしょう。そしてアマゾンによる配送量の増加を「アマゾン川の氾濫」に例えるところなど、わたしの才能が非凡すぎて震える。

この見直しが実現したとして、果たしてドライバーさんの負担がどの程度減らせるのかは分かりません。でも少しでも改善されるといいですね。そのためなら注文した荷物の配達が多少遅くなっても一向に構いません。えぇ構いませんとも。

車を運転する職業についておられる方達の労働環境は過酷ではいけません。ドライバーさんの余裕がなくなれば事故も増えてしまうかもしれないですしね。わたしは荷物の配送スピードより安全を求めます。

 

だいたいアレですよ。「アマゾンダッシュボタン」とかいう、ボタンポチーで日用品1コから届けてくれるサービス。これがいけない。このサービス過剰なアイテムがドライバーさんたちを苦しめているに相違ないだらう。アマゾンは我々に優し過ぎる。あんまり優しくすると、我々アマゾンのことスキになっちゃうお? 我々、メンドくさいお客だお?

あ、もしかしてご存じないですか? アマゾンダッシュボタン。

コレですよ。これ我が家のヤツ。キュキュット

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えっ? あるよ我が家に。えっ? 何でって買ったからだよ。発売されてすぐに。新しいものは試したくなるのが人のサガでしょう? 何より試してみないことにはいいも悪いも判断できないし。500円だし。実質タダだし。

ちなみにわたしは圧倒的にジョイ派なんです。泡持ちがいい気がするんですよジョイ。ちょっと泡がヌルヌルしてて食器を落としそうになるのがタマにキズなんですけど、除菌もできるし。でも奥さんがキュキュット派なんですよね。いずれ雌雄を決さなければならない時が来るでしょう。

 

それはともかく。このアマゾンダッシュボタン、ヤバイっす。そう言えばどっかの中学校で「ヤバイ」が使用禁止になったみたいな記事を見た気が。語彙が少なくなるとかそういう理由だったかな? わたしも常々そう思っていたので是非継続してその効果のホドを教えてほしいものですね。

えっと話が逸れてしまったので戻しましょう。アマゾンダッシュボタン、ヤバイっす。

何がヤバイってね。先ほどのドライバーさんの負担増もモチロン問題ですけど、家庭内において感謝の行方が分からなくなるんですよ。

というのもね。日用品などはいつも奥さんが買っておいてくれるんです。よく気が付いてくれる人で、例えばわたしが独り言のように「あ、歯磨き粉のストックないんだ」ってつぶやくと、仕事から帰ってきたら買ってあるんです。

「買っておくね」とか「買っておいたよ」じゃないんです。ただ買ってあるんです。ここ! ここが現場ですよ。ともすれば気付かれないかもしれない、押し付けがましくないさりげなく清らかな善意。相手のためという気持ちはもちろんあるにしても、自分がそうしたいからしている。軸が自分にある人の行動なんです。ここに感謝してもし尽くせないほどの大きな感謝を感じるんです。

別にわたしが仕事帰りに買っていくこともできるのに「そんなことはしなくていい」と言ってくれるんです。奥さん出来た人でしょう? 出来てなくてもいいんですけど。でもこんなことをされるとありがとうって自然に思うでしょう? だから言いますよ。

「買っておいてくれてありがとう」

 

そんである日。「あ、キュキュットなくなりそう」って独り言をつぶやいたんです。次の日キュキュットあったんです。

私「あ、買っておいてくれたの?」

奥「うん。アマゾンダッシュボタン押した」

 

うーん。うーん。うん?

いやしてる! 感謝してるよ! 何言ってんの当たり前じゃん、ありがとうってなるよね? なる? なるさ! だってボタン押してくれたんだもん大変じゃん! 大変か? ホントに大変なのかこの野郎! この野郎はさすがにないかごめん奥さん。

ストックがないことに対する「気付き」にこそ意味があるわけだからね。実際の購入方法が自分の足を使おうがネットで注文しようが不問ですよ。何も不正な手段で入手したわけでもないでしょうから。

でもなんだろう。折り合いが付かないカンジ? 感謝したい気持ちと同時に「えっ? ワザワザ食器用洗剤一個のためにボタン押したの? ひどくね?」って気持ちが芽生えてしまったんですよ。じゃあ買うなよアマゾンダッシュボタンを。これはそういうサービスを享受するためのアイテムぞ?

 

わたし「グランドセフトオート」っていうゲームが好きなんです。このゲームって、やろうと思えば街を歩いている市民を攻撃することもできるんですね。でも最初はなかなか出来ないんです。ボタンひとつでいつでも攻撃できるんですよ? でもいざやろうとすると自制心が働いて出来ない。「できる」と「やる」の間にものすごく高くて厚い壁があるんです。

ある時、そのゲームの中で歩いていてた市民の男性とぶつかったんです。いつもだったら素通りするんだけど、その時はミッション中で人を追いかけていたのに逃げられちゃった。わたしどうしたと思います? 散々悩んだ挙句、後ろから殴り倒しましたよ。

そんなわたしは何処へやら、今はもう「ヒャッハーッ!!」で「ボカッ!!」ですよ。世紀末。北斗の拳の世界を地でいくわたしです。

 

おんなじ。アマゾンダッシュボタンもおんなじ。このボタンを押すことになんの抵抗もなくなったとしたら、それは確実に自分が変わったということです。それがいいことが悪いことかはともかくとして。

ちなみに我が家は現在、アマゾンダッシュボタンを使っていません。

まるで収穫を忘れられた果実のように、ひっそりとキッチンのフックにぶら下がっています。