読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

俺があいつを見返す日。

ある一言をきっかけに、ある人物を見返すきっかけとして立ち上げました。日々のことから夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも掲載します。

浅田真央さんに元気や感動とか夢や希望をもらえた人ってなんだろう。

先日、浅田真央さんが引退を表明された。

この引退に際し、『いままで元気や感動、夢や希望をもらった』という声があることを、テレビやネットでみた。

こういう人たちは、いったいどういう感情で浅田真央さんを見ていたのか。

というのも、わたしは浅田真央さんにそれらをもらったことはない。

もしわたしがこの件について街頭インタビューを受け「あなたは浅田真央さんから夢や希望をもらいましたか?」と聞かれたなら、自信を持って「いいえ」と言える。

別に浅田真央さんが嫌いなわけではない。嫌いになれるほど彼女のことを知っているわけでもない。

彼女に元気感動夢希望をもらった人たちも否定しない。否定する理由がない。

ただ、そういう人たちと自分では何が違うのか。自分には人としての大切な何かが欠落しているんじゃないかと思う時がある。

 

わたしはストレスを溜めやすい精神構造をしているようで、比較的いつも元気がない。でも浅田さんの演技を見て元気になったことはない。元気なら家族から十分過ぎるほどにいただいている。

彼女の演技を見れば素直に『すごい』と思う。ただ素人だから技術的なことは分からないので『よくあんなにクルクル回れるな』のレベル。これは感動とは違う気がする。

わたしにはやりたいことや憧れはあっても、それを夢と言っていいのか分からない。夢かどうかを判断するモノサシがない。だから仮に彼女の演技で夢を与えられていたとしても、それを夢と判定できない。

希望? 落ち込んだりもしたけれどわたしは人生やその他に希望を失っているわけではないのでそもそも希望を与えられる余地がない。

 

ここまで書いてみて分かったのは、もしかしてわたしは『幸せ』なのではないだろうか?

あれがイヤこれがイヤといつもストレスを溜めているけど、元気をくれる家族という存在がいる。

自分にはできないことが出来る人に対して『すごい』と思えるまぁまぁ素直な心も持っている。

夢かどうかは分からないけど、夢が夢がとがっつかない程度にはやりたいことがある。

おまけに希望も捨ててはいない。

なんだよかった。わたしは血も涙もない鬼ではなかった。ただの幸せなやつだったんだ。

それにしても、まさか浅田真央さんの引退表明から自分の今が贅沢すぎるほど幸せであることに気付かされるとは。ありがとう浅田真央さん。近すぎて見えないことってあるね。

 

何はともあれ、浅田真央さん長い間お疲れ様でした。

 

ちょっと待て。じゃぁ浅田真央さんに元気感動夢希望をもらっている人は『幸せではない、あるいは何かしら満たされない人たち』ということになってしまうぞ。

これはまずい。炎上してしまう。と思ったけど炎上するほどの認知度がこのブログにあるとは到底思えないのでいいや。