俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

『あげる』が苦手。

「○○してあげる(あげた)」という考えが苦手だ。
たぶん必要以上に、『何もそこまで』っていうくらい極端に苦手だったりする。サイババが逆さにしたツボから出すヴィブーティーの量くらいの『何もそこまで』具合だ。

行動原理は『その人のために○○をしてあげたい』という奉仕の心。だけどそう思った瞬間、わたしの中では『その人に○○をしてあげたいという自己の欲求を満たしたい』に変わる(或いは意図的に変えている)のだと思う。極端な言い方をすれば『あなたに優しくするのは自分のためにやったことですからどうかお気になさらず』ということだ。うわーイヤなやつ。


事実イヤなやつなんだろうと思う。この考えを披露してある女性に泣かれたことがあるしね。20代前半の頃に居酒屋で。
「『優しくするのは私のためだよ』って言ってくれればいいじゃない!!」というのが涙の理由、その女性の言い分だった。横にいた女性の友達も「女はその一言を待ってるんだお」とか言ってきた。

お?何だこの野郎うるせえなバカ。自分の考えを披露してなんで泣かれなきゃならないんだ。「優しくしてるのはお前のカラダが目当てだ」とか「お前の財産が目当てで優しくしているんだ」などと言ったのならば泣かれるのも殴られるのも受け入れるが、「優しくしたいから優しくしているだけだ」と言って何が悪い。なにが『待ってるんだお』だたわけが。待つんじゃないよ勝手に一言を待つんじゃない欲しくば自分でつかみ取れ。

ホントにこれくらいのことは言った。わたしも20歳そこらだし融通が効かないことで有名だったし、大体何を泣いてるのか本当に理解ができなかったし、自分の考えを否定されたことに腹が立ったから。40代になった今なら、考えはともかくもう少し言葉を選べよと思うけど。


そんな風に、基本的に自分のためにやっているという考えだからお礼を言われたりするのがとても苦手だ。
例えば誕生日に義父母や甥っ子にプレゼントをあげる。当然お礼を言われるわけだけど、自分がプレゼントをしたいという欲求を満たしただけだから、嬉しいけどどうも気持ちがついていかない。イヤソンナトンデモナイってなる。だから誰かにプレゼントをあげる時は奥さんに渡してもらう。
もちろん相手の喜ぶ顔を見たいけど、それすら『喜ぶ顔を見たいという自分の欲求を満たすため』にやっていると思ってしまう。


かといえば、全く感謝されなければ『何だこの野郎』って思うんだろうな。

よく分からない。わたしは何かがズレているのかもしれないな。