俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

(食事時閲覧注意)わたしはトイレットペーパーのようになりたいと思ったんだ。

 ささくれ? さかむけ? どっちでもいいんだけど、アイツら一体どこまでムケ続けていくのかな。

 左手の中指にちょっとしたささくれができたからムイたら、そこからさらにムケた。それをムイたら、もっともっとムケた。

 地味に痛いし、そのうち第二関節くらいまでムケちゃうんじゃないかと思って、今すごくムカついている。肝心なトコロは一向にムケないことにも、ずっとずっとムカついている。

 

 つい先日のことなんだけど、自宅のトイレで用を足している時に、ふと思ったことがあって。

 トイレットペーパーってカッコいい。わたしはトイレットペーパーのようになりたい。トイレットペーパーのように生きたい。

 フザケていると思われるかもしれないけど、半分くらいしかフザケてない。


 用を足し終わっておしりを拭こうとトイレットペーパーを掴んだら、「カラッ」と回って一切れで突然無くなった。ヒュゥ。これって最高にイカしてるぜぇ。


 だってそれまで当たり前の顔をしてそこにいたんだよ? 「ワテまだまだイケまっせぇ。何やったらあと100人くらいのケツ拭いて見せますさかいにぃー」みたいな素振りでナチュラルに佇んでいたクセに、いざ手に取ったら一切れで無くなってんの。笑える。「カラッ」でなくなってんじゃないよ早漏かよ。それはわたしだよ。

 でもカッコイイ。痛快。分かる? 分からないの? 何で分かんねんだコラぇー。


 いいかい? トイレットペーパーの無くなり方はいつだって突然なんだよ? いつどの瞬間に無くなるのかは誰にも分からないんだよ? だからトイレットペーパーの最期は世界中の誰にもに等しく『突然』に訪れるんだよ? しっかり捕まえててくれないと、アタシいなくなっちゃうんだよっ!?


 例えば、命あるものは人間でも動物でも年老いて徐々に体が弱っていき、最終的にはヨレッヨレで最期を迎えるでしょ。

 でもトイレットペーパーは違うよ。アイツらは最後の最後まで全力で現役バリバリだから。やせ細っていくにしたがってヨレヨレになって、今際の際にはまるで綿あめみたいにスッカスカな紙質になって、それをケツにあてがった刹那に紙が破れて中指で肛門を直に触ってしまい、中指が『ヤ○ヤンつけボー』と化しちゃうとか、そういうことがないんだよ。


 しつこいようだけど、なぜならそれはトイレットペーパーが最期まで現役バリバリだから。何なら最初から最期までバリバリ。幼少期とか高齢期とかないの。この世に誕生した瞬間から100%現役バリバリで働き盛りの若者。消えて無くなる瞬間まで若者。キモ。生命の運命(さだめと読む)に全力で逆らってんじゃないよ。


 でもその散り際が美しい。儚くない。最期の瞬間まで生命力に満ち溢れている。だからわたしはトイレットペーパーになりたい。違うやトイレットペーパーにはなりたくない。トイレットペーパーのように生き、そして散ってゆきたい。

 

 たかがトイレットペーパーだけど、されどトイレットペーパーだからね。当たり前のように我々のケツを春のそよ風の如く優しく包んでくれているけど、もしトイレットペーパーが発明されていない世界だったら、いったいどうなっていたんだろう。


 トイレットペーパーが存在しないということは、紙でケツを拭かないということだよね。となれば、トイレットペーパーがないその世界は、そもそもの製紙技術自体が向上していないということになる。

 この仮説から導き出されることは、つまりその世界では、記録なども紙ではなく石版だということに他ならない。


 製紙技術とトイレットペーパーの発明が密接に関わっているとするならば、紙ではなく石版を使っているこのイフの世界では、石工技術が発達している。それは即ち、人々は排便後のケツを石で拭い取っていることを示唆している。いいんだ。示唆しているんだ。


 トイレの一画に積まれた石の山から手頃なものを取り、ケツを拭く。使った石を都度水で洗っていたのでは手間がかかって仕方がない。だから恐らくその石は一時置き場に置かれる。そしてまた新しい石を取ってケツを拭く。その動作を数回繰り返して排便終了。輪廻。これまさに輪廻。


 きっとその石は有料だ。『便取り石』とでも言うのかな、それを扱う専門の業者がいる。なぜならケツを拭いても痛くない表面粗度に加工するには、熟練工の技術が必要だからね。素人がその辺の河原から適当に調達してきた石では血まみれエイヌスが一丁上がりになっちゃう。


 そしてその石はレンタルだね。便取り石業者から定期的に適量をレンタルする。使用後の石は便が付いたまま返却し、便取り石屋は付着した便を洗浄してまたレンタルに出す。そのサイクルが出来上がっている。輪廻。これまさに輪廻。

 だからそれぞれの家庭では現在と同じように「石使いすぎ!!」とか「一回に付き石3個まで」とかいうやり取りがあるねきっと。


 しかしその内、石ではなく木を使う新人類が現れるよ。柄の長い木べらのようなもので肛門に付着した便を拭い取るの。大便用スパチュラの爆誕だよ。それらは大便用のスパチュラだから『ベンチュラ』って名付けられることになるよ。


 昔、ジム・キャリーの『エース・ベンチュラ』って映画を観たけど、くだらなすぎてとても楽しい映画だった。いま調べたら監督がトム・シャドヤックという、わたしの好きな『パッチ・アダムス』という映画と同じ監督だった。さらに調べたら、ベンチュラはイタリア語とかで『幸運』って意味だった。これはまさに「ウン」が付くね。よく覚えておいてよ。ここ絶対試験に出ないからね。


 ベンチュラ。これはあっという間に爆発的ブームになったね。処理時の摩擦係数が少ないので石より痛くないし、あらかじめ準備してあるバケツの水で都度洗うことで、衛生面も飛躍的に向上したから。


 そうなると家族で一本のベンチュラを共用するわけにもいかなくなるので、トイレには洗面所の歯ブラシよろしく、家族分のベンチュラがスタンドに立てられるようになった。

「おとうさんアタシのベンチュラ使ったでしょ!!」とか言うやり取りもある。きっとね。あと彼氏の部屋に行ってトイレ入ったら見慣れないベンチュラが置いてあって「ちょっと何これ誰の? アタシのオイニーじゃないよね」とか。


 少し経つと技術革新が起きたんだ。

 ベンチュラを洗うのにわざわざバケツに水を用意するのは面倒だから、便器のノズルからベンチュラを洗浄する水が出る機構が発明された。これによって利便性は飛躍的に向上した。


 さぁここで天才が誕生するよ。「あれ? ベンチュラを洗ってるその水を、そのまま直接肛門に当てれば良くね?」とか考えちゃう。柔軟。アタマが柔軟だよ。しかも「冷たいとヒャッてなっちゃうからお湯にしね?」ってことで、ここに温水洗浄便座の誕生。


 便座から肛門に向かって温水を照射させるほどの技術を得ても、なぜかトイレットペーパーを生み出す製紙技術は一向に発達しないという、とことんベクトルの異なるアンバランスな文明だから、このイフの世界では未だ記録は石版。


 まだまだ発展する余地は残されている。がんばれイフの世界の住人。

 

 久々に、久々にクッソどうでもいい最低の記事を書き上げることができた。便だけに。とてもうれしい。

 あとは肝心なトコロがムケてくれると、もっともっとうれしい。