洗練された野生。

洗練された野生。

有終の美を飾りたいブログ。

夏休み前の琴。

夏休み前の琴


夏休み明けの始業式。金色の派手な弦を張った琴が登校してきた。


クラス中が騒然となった。夏休み前までは学校指定の白い弦を張っていたはずの琴が。目立つことを嫌い、人目を避けるように隅の方で大人しくしていたあの琴が。


ざわついたのは生徒たちだけでなく、先生たちも同じだった。教室の外で担任の先生が私を手招きで呼ぶのが見えた。

先生は私に状況の説明を求めてきた。どうやら私と琴が中学3年の時に同じクラスだった事を誰かから聞いたらしい。


「いったい琴はどうしたんだ?」

「あんな事をする子じゃなかっただろう」

「夏休みに何かあったのか?」


私だって知らないよ。琴のことなんか。

高校に入ってから全然話をしてくれなくなったのは琴の方だもん。私だって何があったか知りたいのに。


先生たちだって、琴が地味で目立たない生徒だった時には、琴のことなんか気にも留めなかったくせに。目に付くようになったからって急にズルいよ。

琴もズルい。何かあったなら私に相談してくれたら良かったのに。何が琴をそんな風に変えちゃったの?


ううん。変わったのは私だ。高校に入ってから、スクールカースト上位のグループに入れるように、無理して陽キャな人たちとばかり付き合って。私、琴のことを蔑ろにしてた。私もズルい。私がズルい。


でも! それでも!!

琴。いったい何があったの?

琴。そんな派手な金の弦なんて琴らしくないよ。

琴。琴。戻ってきてよ。お願いだから夏休み前の琴に戻ってよ!!


夏休み前の琴・続く

 

というですね。

夏休み前は地味で目立たなかった琴が、夏休み明けに急に派手になって登校してくるという。俗に言う『ニ楽器デビュー』です。琴だけに。二学期じゃなくてニ楽器。フフ。


最近わたし、ちょっと小説なぞを書いてみようかなんて思ったりしていまして。冒頭の文章はその出だしです。どうですかね。


あとは江戸時代の遊郭を題材にした小説なんかも考えているんでありんすよ。

知ってます? 「ありんす」とか「おくんなんし」ってのは、江戸時代の遊郭で遊女が使っていた独自の言葉で、廓詞(くるわことば)って言うんです。


何で廓詞なんていう遊郭独自の言葉が出来たかというと、遊女のお国訛りを隠すためらしいですね。遊郭にはいろんな地方から遊女が集まって来るけど、お国訛りで喋ると上品に聞こえず、お客さんが興ざめするからなんだって。


なるほどなーとは思うけど、でもわたしなんかは東京の人間ですから、方言とかちょっと魅力的に聞こえたりします。特に関西、それも京都。情事(笑)の最中に「かんにんえー、もうかんにんえー』なんて言われたらもう。きっと吹き出しちゃう。


吹き出すと同時に勢い余って屁か精子も出ちゃう。被害が最小なら鼻水で済むけど、甚大なら脱糞。脱糞はヤバいですよ。二人の間に突然の別れが訪れます。男はそのまま何事もなかったかのように服を着て彼女の部屋を出る。つーか彼女の部屋だったのかよ。人様が金出して借りてる部屋で脱糞するなんてかんにんえー。


いや方言をバカにする気は毛頭ないんですよ。ただ堪忍って言葉は東京だと普段は使わないから、どうしても違和感がね。


それにしたって、およそ2ヶ月振りにブログを書いたかと思えば脱糞の話ばかり。47歳なのに。もしかしてわたしってバカだったのかな。前世は脱糞幕府の将軍? いや大老安政の大獄ばりの弾圧を実行して水戸藩の肛門、いや浪士にやられちゃう。


ていうのはウソぴょん。

いや何がウソかって。小説を書こうとしてるってことに決まってるじゃないですか。前世が脱糞幕府の大老とか、そんなの言うまでもなくウソに決まってるでしょ。人のこと何だと思ってんだよ。


本当は記事の出だしで『夏休み前の事』って書こうとしたのが、変換ミスで『事』が『琴』になっちゃって。いきなり躓いて悔しかったからそのままどこまで続けられるかなって試しただけです。許しておくんなんし。


なのでそろそろ本題に入ろうと思います。もう誰も読んでないかもだけど。


えーと、夏休み前の琴なんですけど。

あー。ずっと琴琴って入力してたから、琴がデフォルトの変換候補になってしまっているー。

もういいや。何かめんどっこくなっちゃった。


さいなら。

スコーンを眺めながら思ったこと。

自宅でリモートワークをしている時、奥さんがスコーンの生地を捏ねていた。娘たちのおやつに焼くのだという。


「焼くと膨らむ?」と聞いたら「膨らむよ」と言うので、リモートをサボってオーブンの中のスコーンを観察してみた。


3分くらい目を離さずに見ていたけど、全然膨らまなかった。通りかかった奥さんに「膨らまないよ?」と言うと、彼女はオーブンの中を覗き込んで「膨らんできてるよ」と言った。


我が子を間近でずっと見ていると、その成長ぶりが分からなかったりするけど、たまに会う知人には「娘さん大きくなったねぇ!」と言われたりする。


我が子の成長を感じるには、たまには少し目を離してみるのがいいのかもしれない。

オーブンの中のスコーンをぼんやりと眺めながら、そんな事を思った。


わたしもスコーンもらった。イエーイ。


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娘たちから父の日のプレゼントをもらえなかった。

先週の日曜日は父の日だった。でも娘たちからプレゼントはもらえなかった。ヤダこんなの初めて。


プレゼントを渡すタイミングはいくらでもあったはずだ。おはようの後でも朝食の後でも「ちょっと目を閉じてて」と言ってくれれば、ケーン平井の力を借りずとも瞳を閉じる準備が出来ていた。何ならもう最初から半眼気味だったし。


うっかり父の日を忘れていたのかもしれない。でもまだ間に合ったはずだ。お出かけ先のショッピングモールには、至るところに父の日コーナーが設置されていたのだから。


夜になった。夕食の後に渡されるのではないか。お風呂から出てきたらテーブルの上に手紙とプレゼントが置かれているのではないか。渡された時のリアクションをイメトレしている内に「おやすみなさい」と言い残し、娘たちは自分の部屋に戻ってしまった。


その日、ついに娘たちからプレゼントを渡される事はなかった。バレンタインデーの男子中学生くらいに一日中ずっとソワソワしていたのに。その夜わたしはマッカラン12年を抱えるようにして、朝まで浴びるほどに飲んだ事は想像に難くないだろう。


というのはウソだけど。と言ってもウソはマッカラン12年うんぬんのあたりであって、父の日に娘たちからプレゼントをもらえなかったのは事実だ。

でも厳密にはプレゼントがもらえなかったというのもウソで、父の日のプレゼントはいらないと事前に断っていたのが真実。


だっていらない。父の日のプレゼントなんて全く求めていない。くれるのならもらうし感謝もするけど、正直こっちの気持ちは全然追いついていないのが本音だ。

父親は仕事ではないので。娘たちにお願いされて仕方なく父親業に精を出している訳ではない。わたしは自分の意志で父親になったのだから、わざわざ父の日なんぞにプレゼントをもらういわれはない。


例えばわたしが我が身の危険も顧みず、見ず知らずの人を暴漢から救ったとかなら、そりゃ感謝状の1枚くらいもらってもいいかなと思える。でも目の前で落としたハンカチを拾ってあげただけなのに菓子折り持ってお礼に来られたら、いやいや戴けませんと。ごく当たり前の事をしただけですと。その感覚にとても近い。


だからわたしは今年から父の日はいらない。プレゼントも不要だ。前もって娘たちにそう宣言していた。
そこまで言い切るわたしだけど、義父にはしっかりとプレゼントを差し上げた。

なぜなら義父はプレゼントを欲しがる人だから。義父に対しては普段から大げさなくらいに謝意を示しているけど、義父は分かりやすい形の感謝を求める人なので。


そういう訳で、今年の父の日は娘たちからプレゼントをもらえなかったのではなく、もらわなかった。これが来年も続いてくれると、わたしとしては非常にありがたい。


そもそも、年に一度の由来も知らない父の日に感謝してもらわなくても、娘たちの感謝は普段から充分に感じている。むしろ娘たちの父親でいられる事の感謝として、逆にこっちがプレゼントをあげたいくらいだと思ったけどめんどいからやっぱいいや。

あの時『ストッパ下痢止めEX』があったなら。

朝からお腹の調子が優れない。

 

こんな書き方をすれば体裁が良く聞こえるかもしれないが「要はただの下痢したおっさんだろ」と言われてしまえばグウの音も出ない。

 

その意見は圧倒的に正しいが『下痢したおっさん』を直訳すれば『ゲイリー・オールドマン』となる。つまりは現時刻を以てわたしが晴れてハリウッドスターの仲間入りを果たした事を意味する。これはすごい。

 

そんなすごいわたしだが、あと5分で自宅トイレから出なければならない。出勤のためだ。ハリウッドスターでも出勤はする。プライベートジェット? いや、ジャパンレールウェイだ。うん、そう。JR。

 

トイレにこもってから20分は過ぎているが、いまだお腹が落ち着いたとは言い難い。

だが出勤時間は刻一刻と迫っている。わたしは一抹の不安を覚えながらも、その不安を振り払うかのように、勢いよくパンツとスボンを引き上げた。

 

いつもより2分ほど遅れて駅に着いたが、無事に電車に乗る事ができた。

ほっと胸を撫で下ろしたわたしは、リュックから読みかけの本を取り出した。芦沢央さんの小説『悪いものが、来ませんように』だ。

 

 

 

 

奥さんに薦められて読み始めたが、これが面白い。ページをめくる手が止められない本に出会ったのは久しぶりだった。これだから読書はやめられない。

しかし物語がようやく佳境に差し掛かったところで、下腹部に突然のビッグウェンズデーが襲来した。

 

腹が痛い。すごく痛い。何だこの異常な痛みは。襲来したのは本当にビッグウェンズデーなのか? 蒙古だろ。これもはや襲来したの蒙古だろ。肛門に蒙古。コウモンニモウコ。ダメだ微妙に回分にならない。

しからば『来週肛門に蒙古襲来』ではどうか。ライシュウコウモンニモウコシュウライ。非常に惜しい!!

 

何がしからばだ。回文なんてどうでもいい。わたしはお腹が痛いんだ。

なぜだ。痛いぞ。親父にもぶたれたことないのに。いやこの際親父は関係ない。この際というか一切関係ないんだ親父は。

 

猛烈な腹の痛さに、さっきまで軽快にページをめくっていた手は完全に止まり、今は油汗が止まらない。もはや一刻の猶予も許されない。

 

この電車が次の駅に到着するまで約2分。扉が開いた瞬間にダッシュしてトイレに駆け込めば、あるいは間に合うかもしれない。

しかしそれは個室が空いていればの話だ。駅のトイレは争奪戦。空いている可能性は低い。

そうなれば終わりだ。トイレまでのダッシュに全ての力を使い果たしたわたしに、もはや肛門の括約筋を締めるだけの余力は残されていないだろう。

 

だが、このまま何もせずに会社に辿り着けるか? 会社までは電車にバスに徒歩、諸々であと1時間はかかる。イケるか? イケるわけがない。リームー。次の駅までの2分すら凌げる気がしない。

 

「漏らそう……」

 

わたしは覚悟した。覚悟せざるを得なかった。苦渋の決断だった。もうダメだ。とても耐えきれそうにない。わたしは47歳にしてウンコを漏らさなければならないのか。

 

ウンコか。そういえばウンコとウンチって消化した物が肉が野菜かで呼び方が変わるって日本医師会で決められているらしいねーなんて走馬灯なのかウンコ灯なのかよく分からないモノが頭の中でクルクル回り出した頃に思い出した。

そうだ。わたしはストッパを持っていたではないか。

 

 

 

 

これだよこれ。わたしが求めていたのはウンコとウンチの違いなどというボンヤリした豆知識ではない。突発性の下痢にLIONのストッパ下痢止めEX。これなんだよ。

神仏を一切信じないこのわたしですら、この時は神に祈りを捧げたい気持ちでいっぱいだった。神様ありがとうラスカルに会わせてくれて。

 

ストッパを取り出してみると、大きめのラムネのような黄色の錠剤が入っていた。説明によると水無しで服用できるらしい。嬉しいじゃないか。ストッパ最高。

 

説明にはさらに『嚙みくだくか、口の中で溶かして服用してください』とあった。ちょっとストッパ。いやストップ。フザけるんじゃない。ストッパのくせにお前はこの状況が全く分かっていない。人としての尊厳を無くすか否かの瀬戸際だぞ? 嚙みくだくに決まっている。一択だ。なにを悠長に口の中で溶かす事を勧めているのか。さてはお前は下痢の手先か?

 

わたしはさっそく一錠取り出し、親のカタキほどの勢いで噛み砕いた。

すると1分も経たないうちに奇跡が起こった。お腹の痛みが消えた。信じられない。さっきまでの便意がウソのように消え去ったではないか。

 

……ウソなんじゃないか? ウソのように便意が消えたのではなく、便意が消えたのは本当にウソで、実はわたしは既にウンコを漏らしている……。その事実に気が付かないようにするために開発された新薬、それこそがストッパ下痢止めEXか。おのれLION、図ったな!!

 

そんな訳はない。わたしはストッパに救われた。

その後は便意に苛まれることもなく、無事に会社に辿り着いた。

 

とはいかなかった。さすがにそこまで順風満帆ではなかった。その後、バスの中で再び激しい便意に襲われたわたしは、バスを降りてから会社までの徒歩15分を、ひたすらデューク更家の内股歩法で歩き続けた。

 

会社に着いてすぐにトイレに駆け込んだ。パンツを下ろすのと肛門からケルヒャーみたいな大便が噴射されたのは、ほぼ同時だった。

危ないところだった。もしストッパを飲んでいなかったらと思うとゾッとする。

 

そこまで考えて、ふと疑問が頭をよぎった。結論としては間に合ったが、これは本当にストッパの効果によるものなのか?

 

今回のような経験は初めてではない。今までも激しい腹痛に襲われた事は幾度となくある。しかし一度として漏らしたことはない。小学5年生の林間学校で日光の戦場ヶ原でウンコを漏らしたのに何食わぬ顔をしてバスに乗り込み車内を異臭で充満させて周囲をざわつかせたあの時以来、わたしは一度としてウンコを漏らしたことはないのだ。

 

では今回、もしストッパを飲んでいなかったらわたしはウンコを漏らしていたのか? ストッパを飲んだからこそ、今回はギリギリ何とか間に合ったのか?

もし本当にストッパがそれほどまでの効果をもたらすのなら、わたしは今すぐタイムマシンで小学5年生のあの時に戻り、ウンコを漏らす寸前の自分にストッパを渡したい。

 

いや。起きてしまったことは今さら変えられない。しかしこれからの事は変えられる。今わたしが出来る事、それはタイムマシンに戻って過去を変える事ではなく、あの時同じバスに乗っていた人たち全員を訪ねて、あの異臭の原因をわたしの隣りにいた中本優子のせいだと吹聴して回ることだろう。それで過去には決別だ。

 

とにかくわたしが助かった事は事実だ。

これからはストッパに頼らなくても済むように、下痢そのものを避けなければならない。

 

そもそも今回の激しい下痢は何だったのか? 原因は分かっている。週末に義実家に行ったことだ。

日曜日の夕食後にケーキが出てきた。ショートケーキかモンブランかと言われたのでショートケーキを選んだ。

ケーキを食べ終わる寸前にたい焼きが出てきた。普通のあんことずんだがあるらしかったが、とっくに腹が膨れていたわたしには、どちらを食べてもさして変わりはない。ずんだを選んだ。

ようやくたい焼きを食べ終えたところで大量のエクレアがテーブルに並べられた。エクレアが一本糞に見えたのはこの時が初めてだ。

 

こんな食べ方をしていれば、ドラえもんひみつ道具をもってしても下痢は避けられない。それなのに最後にスニッカーズが出てきた。

 

「好きだったわよね、スニッカーズ

 

義母はわたしの好きなものを覚えていてくれる。好きだ。確かにスニッカーズは大好きだ。でもケーキにたい焼きエクレアと続いたあとのスニッカーズの存在に、一体どんな意味があるというのか。義母は知らない。スニッカーズのキャッチコピーを。『お腹が空いたらスニッカーズ』だぞ。お腹が空いていない時のスニッカーズなど、ただの粘ついた棒だ。全世界の歯医者さんの敵、それがスニッカーズだ。

 

義母に食べなさいと言われれば、それはもう食べないわけにはいかない。わたし達のためにわざわざ買ってきてくれたのだから。

 

義実家にさえいかなければ下痢にはならない。それは明白だが、何と今週末も義実家に行く。義父母が金曜日にコロナワクチンを打つからだ。接種後の体調など、万が一を考えて義父母の側にいてあげたいのだ。

 

色々美味しいものを食べさせてくれて、いつもありがとう義父母。

義父母が何で演歌が好きなのか分かった。

少し前から娘たちの影響でボカロを聴くようになった。だから少しだけフフンなんだけど、YOASOBIもAdoさんも、今みたいに話題になる前から知っていた。

 


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初めこそ無機質な甲高い声で歌うボカロに、何の魅力も感じなかった。

でも先入観を取り払って聴いてみると、当たり前にボカロも一つの音楽なんだと再認識した。それからはボカロ好き。


ただ、歌詞にはあまり共感できないのが正直なところだ。そもそも今の若者が作る歌詞に47歳の自分をシンクロさせられる方が不自然。家族から『永遠の5才児』と揶揄されるわたしをナメるなよ。


逆にわたしが娘たちにaikoさんの曲を聴かせたりすると「悪くはないけど昭和っぽい」の一言で切り捨てられる。aikoさんは昭和の歌手じゃないんだけどな。


娘たちは古い歌=良くないと決めつけているフシがある。でもわたしだってボカロの良さに気づけたんだから、娘たちにも良い歌に古いも新しいもないんだって事に気づいて欲しい。


とはいえ、無理からぬ事とも思う。わたしだって演歌の良さはよく分からなかったりする。


前に義実家でテレビを観ていた時、演歌歌手の福田こうへいさんが『筑波の寛太郎』という歌を披露していた。それを観ていた義父母が「この歌は良いねぇ」ってしみじみ呟いたんだ。

 


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世にあるほとんどの演歌はメロディと歌詞に90%以上の類似性が見られるから『演歌はこの世に一曲でいいんじゃないかな会(演世会)』の副会長代理補佐を務める立場として言わせてもらうけど、いや良くないでしょ。良くないは語弊があるけど、正直そこまで感じ入ってはいないでしょ。


誤解されてもいいけど炎上したくないから言うけど、福田こうへいさんやこの歌がどうこうじゃなくて。

ただこの『筑波の寛太郎』って歌に対して「いい歌だねぇ」って感慨深げに呟けるほど、あなた達はこの歌の良さを理解できるのかって話。


人って無意識だけど、歌に対して自分自身や大切な誰か、或いは過去の出来事なんかを重ねたりしていると思うんだよね。だからこそいい歌だと思えたりするわけで。


でも『筑波の寛太郎』の歌詞ってこんなのなんだよ。


♪筑波颪(おろし)を合羽でよけて

♪肌でぬくめたお六櫛

♪笠に一輪 竜胆挿して

♪赤い夕日に背を向ける


ちょ待てよ。こんばんは。チョ・マテヨです。韓国でアイドルやってます。

それはいいとして。チョ・マテヨは全然いいとして。一体この歌詞のどこに自分を重ねられるのかって話。


義父母はあるのかな。 筑波颪を合羽でよけた経験。きっとないよね。

たぶんだけどお六櫛って物体を肌でぬくめた経験もないし、当然ながら笠に一輪の竜胆を挿した事もないはずだ。

赤い夕日に背を向けた事はあるかもだけど、意図的ではなく偶発的なものだろうし。


こんなに自分を重ねられず、まして筑波出身でもない義父母が、何でこの曲を「いいねえ」って言えるのか。それが疑問なの。


だから義父母に聞いてみた。ホントにこの歌を良いと思ってる? 無理してない? 70過ぎのくせして中学生がイキってタバコ吸って「く〜、やっぱメシの後の一服やめられねえわ〜」みたいに背伸びして分かったフリしてんじゃないのって。


そしたら「この訛りがいいんだよ」だって。歌詞とかメロディとか、そんなの全然関係ないスタイルだった。


いやもう好きにせえって。訛りがいいなら吉幾三だけ聴いてろよってサジ投げかけたんだけど。でもよく考えたらわたしもボカロの歌詞に共感できていないのにボカロが好きだ。これでは義父母と何ら変わらないじゃん。


その事実に気付かされたわたしは、衝撃を禁じ得なかった。

それからすぐさま、自分が提唱した理論の綻びを明らかにすべく考えた始めたけど、よく分かんなかったから一瞬で考えるのをやめた。

家のトイレで立って小用を足す男はアホだと思う。

わたしは男だけど、小便器のない家のトイレでは座って小用を足す。立ってする方が楽ではあるんだけど、座ってする方がトイレを衛生的に保てるからそうしている。


だから家のトイレで立って小用を足す男を、割とマジでアホなんじゃないかと思っている。言葉が過ぎる事は承知しているけど、わずかな手間を惜しんでトイレを不必要に汚しているのだから、愚の骨頂と言わざるを得ない。


そのわずかな手間というのは、あなたのその粗末なイチモツをチョロっと出す事だよ。ズボンとパンツを脱いで便座に座るのと、大した手間の差はないはずだろ。


100歩譲ってあなたがビル・ゲイツならね、1秒間で100万円くらい稼ぐような人だから。「おしっこくらいでパンツ下ろしてられるか!」となっても、まぁ分からなくはない。


でもあなたはビル・ゲイツじゃないし、100兆歩譲っても何ゲイツですらないから。あなたがパンツを下ろして便座に座るその数秒に、惜しむほどの価値があるとは到底思えない。


謎の結社に命を狙われてパンツすら下ろすヒマがないというのなら、もう警察に行け。そして警察署の個室トイレで立ってオシッコしてビシャビシャにして捕まれ。罪状? 知らん。公然御小水散布罪かなんかでいいよもう。それがイヤなら素直に座ってしなさい。


自分で掃除するからいいとか、そういう問題じゃないんだよ。不衛生だから立ってするなっての。ただ単純にそれだけの問題なの。


こうやって丁寧に説明してみても、立ってする人って謎に頑固でやめないんだよな。そのガッツを仕事にも活かせば、あなたもビル・ゲイツにはなれなくても一財産くらいは成せると思うよ。

中村倫也さんのメガネ姿が素敵すぎて夏。

このところずっと、SEKAI NO OWARIの『silent』という曲を聴きながら通勤している。

とてもいい曲だ。

 


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しかもリピート再生をオンにして聴いているからサブリミナル効果が著しく、今わたしの世界は確実に終わり始めている。セカオワを好きになりかけている。

 

このsilentは、わたしがつい先日に観終わったばかりの森七菜さん主演『この恋あたためますか』の主題歌だった。

 

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森七菜さんを知らなかったわたしがこのドラマを観たのは、大好きな中村倫也さんが出演していたからに他ならない。

 

わたしが映画やドラマを観る時は、基本的に出演者で選んでいる。好きな俳優さんが演じていれば観るし、そうでなければ観ない。単純にして明快。知名度や内容は作品を選ぶ基準にならない。

 

だから里見浩太朗さん演じる『水戸黄門』より中村倫也さん演じる『見ろ肛門』を選ぶし、高橋克典さん演じる『サラリーマン金太郎』より中村倫也さん演じる『触り医・万金太郎』を観る。

 

もちろん中村倫也さんがそれらのAVじみた作品に出演する予定は断じてない。ただ、わたしがいかに中村倫也さんが大好きかを伝えたかっただけだ。

 

中村倫也さんが好きすぎて、彼が劇中で見せたメガネ姿にハートを射抜かれたわたしは、アラフィフにして初めてメガネを掛けたいという欲求にかられた。いわゆる伊達メガネだ。

 

100%ファッションなので度は入ってなくていい。なのでWEGOという洋服屋さんで1,000円出してこのメガネを買ってきた。

 

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Before

 

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After

良い。ありだと思う。