俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

あの時。あの言葉を君に伝えられていたら、僕らの関係は変わっていたのかな。

高校3年生の時。わたしには同い年の彼女がいました。坂井真紀さんのアゴをちょっとだけアイーンとさせた感じの、ショートカットの小柄な女の子でした。

坂井真紀さんを知らない人は、うーんどうしようかな。お手数ですけど、ご自分で適当なショートカットの女性を思い浮かべてもらえます?

でもどんぐりさんと牧野ステテコさんだけはNGで。すいません全然キライじゃないですし、一定以上の好感も持ってます。ただ、見ていると何だか気持ちが不安定になるんです。漫☆画太郎画伯のマンガを見ているようで。珍遊記サイコー。過去に映画版もレビューしているので、よろしかったら読んでください。

 

 

 

 

わたしは高校入学と同時に始めた空手に、人生の全てを捧げていました。その事は自分でも誇りに思っていたし、もちろん後悔もありません。

でも高校3年生の秋になって、ふと考えてしまったんです。残り僅かな高校生活を、恋人もいないまま終わらせてしまっても良いのかと。

そんな時に友人の紹介で出会ったのが真紀でした。あ、坂井真紀さんに似ていたので、ここでは彼女の事を真紀と呼ぶことにしました。

わたしと真紀は互いに一定以上の好感を持ったので、すぐに付き合うことになりました。

 

そしてあれは確か3回目のデートの時。とあるファミレスで、テーブルを挟んで真紀と向かい合わせで座った時の事です。海老ドリアを注文する真紀の姿に、一つだけいつもと違う点がありました。真紀の鼻から鼻毛が出ていたのです。


見る者に畏怖の念すら抱かせるほどに長く真っ直ぐな鼻毛が、迷いの欠片もなく大地に向かって伸びていました。

もしかして真紀は意図的にこの鼻毛を伸ばしていたのでしょうか。 それならば、このレベルの長さの鼻毛が抜かれる事も切られる事もなく、今まで鼻の中で温存されていた事の理由がつきます。

だとすれば疑問が残るんですよ。真紀はなぜ今、このタイミングでその秘蔵っ子の鼻毛をわたしに披露したのか。

だってまだ3回目のデートですよ? 今はもう変なおじさんに成り下がっている46歳のわたしですけど、この時はキスはおろか手すら握っていない。そんな1/3の純情な感情しか持ち合わせていなかったプラトニックボーイのわたしに、この状況を打破しろとはあまりにヘビー過ぎるじゃないですか。


それともこの鼻毛には何か重要なメッセージが秘められているのでしょうか。それは鼻毛ではなくマザーシップとの交信に使用するアンテナで、地球侵略の指示を送受信しているとか。実は真紀は8代目鼻毛真拳の伝承者であるマキマーキ・マキマキとか。


ハッ! もしかしてわたし達(←達?)は重大な考え違いをしていたのかもしれない。鼻から出ている毛じゃない。毛こそが本体なんだ。即ち毛から出ている鼻…毛鼻か!? いや待て。もっと俯瞰で捉えれば、毛から出ているのは鼻ではなく真紀という事になる。そうか…これは鼻毛ではなく毛真紀だったのか!!


なんていう妄想をしてしまうほどに、わたしは現実に向き合うことを拒否していました。あぁ。ここに金八先生がいてくれたら良かったのに。そしてわたしを諭すように優しく、そして力強く言って欲しい。


「鼻毛は出ていません。もう一度言います。鼻毛は、出ていません。いいか先生何回でも言うぞ。鼻毛は、出て、いないんです!」


わたしは目を閉じる。意識を集中させる。自分に暗示をかけてゆく。ゆっくりと、ゆっくりと自分に言い聞かせる。鼻毛は出ていない。鼻毛は出ていない…。鼻毛は出ていないんだ……。よし。だいじょうぶだ。真紀を見る。うん。出てる。出まくりやがっている。そりゃそうですよね。現実逃避だけで鼻毛が無くなりゃ誰も苦労しないんです。


めんどくせえなこの野郎。もうその鼻毛抜いちまうぞ忌々しい。それつまんでビッと引っ張った後に渾身の力を込めたデコピンでもお見舞いすりゃ、真紀も混乱して何が起きたかワケ分かんねえだろ。畳み掛けるように踊る大捜査線の和久さんよろしく少し溜め気味で「……なんてな」って言や、全て無かったことになるよ。きっとなる。和久さんの言葉にはそれくらいのパワーがあるんだ。

 

このまま気付かぬフリを続ける事は可能です。でもそれでは何も知らずに周囲から笑い者になってしまう真紀があまりに哀れじゃないですか。だからわたしは真紀に言いました。


「……トイレ行ってきなよ」


真紀は虚を突かれたような顔をしました。当然です。何の脈絡もなしに恋人にトイレに行くことを推奨されたら、誰でもそうなります。


「え、トイレ? 何で?」

「いいから。行ってきて。お願いだから。ダマされたと思って」


わたしの懇願が奏功したようで、真紀は腑に落ちないといった面持ちを見せつつも、トイレに立ってくれました。


きっと彼女は鏡を見て気づくでしょう。自分の鼻からものすごいモノが出ていることに。そしてトイレに行けと言ったわたしの真意にも。

真紀は恥ずかしさのあまり、そのまま店を飛び出してしまうかも知れない。或いはどうしてハッキリ言ってくれなかったのかと、わたしに怒りをぶつけてくるかもしれない。それが原因で、真紀との関係が修復不可能なものになってしまう恐れも。

でもわたしはそれでもいいと思いました。このまま彼女が周囲の笑いものになるくらいなら、わたしは喜んで汚れ役を演じようじゃないですか。

いや、綺麗事はもうやめましょう。真紀のためではありません。わたしがイヤだったんです。鼻毛を出している女子と一緒にいるところを周囲に見られるのが。

 

ほどなくして真紀がトイレから戻ってきました。


「おまたせー」


ルネッサーンス。どうしよう事情が変わっていない。

メーデーメーデー。何だチミは。トイレに行っても鏡を見ないのか? ミラーレス? ミラーレス一眼? ミラーレス真紀? カルーセル麻紀? もうどうでもいいや。


それからしばらくしてわたし達は別れました。

理由はハッキリと覚えていません。徐々に会う頻度が減っていき、それに対して少なくともわたしは何の危機感も感じていませんでした。恐らくは真紀も同じだったのでしょう。最後は自然消滅です。


真紀との別れに、あの鼻毛事件は一切の関わりがなかった。そう思いたいですが、言い切る自信はありません。きっとわたし達は別れるべくして別れたのだと思います。


でも一方でこうも思うのです。

もしあの日あの時「え、鼻毛出てるよ?」その一言を面と向かって真紀に伝える事が出来ていたなら。わたしにその勇気があったなら。真紀とわたしの関係は、何か変わっていたのだろうかと。


うーん。うまくオチがつかないですね。

でも大丈夫です。そういう時に使える最強の魔法をわたしは知っているんです。行きますよ?

 

だっふんだ!

 

……なんてな。

「人は欲しい時に欲しいものを手にする」

前回の続き。『ゲッターズ飯田のもっと運めくりカレンダー』の話。


31の言葉の内、21個はそれなりに心に響いたけど、残りの9個はそうでもなかった。

例えば20日の言葉。


「多くを得たいなら多くを手放せばいい」


何で。意味分からん。それただ言いたかっただけでしょ。何かイイ感じの言葉を思い付いちゃったもんだから。イヤだ。 得た物はこの両腕いっぱいに抱え込んで絶対に離さないからな。


似たような言葉で「自分を愛せない人は他人も愛せない」とかもあるけど、何が根拠かそれは。誰かを愛している人の全てが自分のことを絶賛肯定中だとでも思っているのか。そんな不自然な現象は幸せの国ブータンにもガンダーラにもない。バリバリ愛せるっつーの自分のことが嫌いでも。なおソースは過去のわたしダヨん。


それとか27日の言葉。


「言い訳をするためのプライドはいらない。欲しいのは言い訳をしないプライド」


だからそれも言ってみたかっただけでしょって。だいたいどうして言い訳しちゃいけないんだ。この謎の風潮はいつから始まった。言い訳って何だ。状況を説明して何が悪い。勝手にそっちが言い訳と捉えているだけかもしれないじゃないか。わたしは言い訳をしないプライドより、人の言い分を言い訳と思わない耳が欲しい。


それと31日の言葉。


「好きは深まり狭くなり、嫌いは広がり変化する。知るは少なく底があり、知らぬは無限でおもしろい」


分からん。いや言わんとする事は分かるけど。でも抽象的すぎてやっぱり分からん。もはや意味のある言葉なのかどうかすら怪しい。この言葉を聞いて「我が意を得たり」と膝を打つ人がこの世界にどれだけいるのか。北島康介さんならきっと「何も言えねえ」と言う。

 

このカレンダーに掲載されている言葉がゲッターズ飯田さんオリジナルなのか、それともすでに世の中にある言葉を集めたものなのか。それは分からない。でも2つの記事にまたがって書いておきながら告白すると、こういった金言格言が書かれた本やアイテム類は好きじゃない。視界に入れるのを意図的に避けてすらいる。


なぜならわたしの場合、いつの間にか金言格言を集めることだけが目的となってしまうから。そしてそれを集めただけで、まるで自分が何かを成し遂げ、ひとつ上のステージに到達したかのような錯覚をしてしまう困った男性だからだ。それは会社の女性社員に笑って挨拶されただけで「あいつオレにほの字だな」なんて思ってソワソワしちゃう実力を持つわたしには造作もない事。


それにこういう言葉の多くは、その人が悩んで壁にぶち当たって苦労して血を吐く思いで絞るようにしてやっと生み出された言葉だと思っている。参考にも行動理念になるし、時に自分を絶望の淵から救ってくれる事もあるかもしれない。でも前述のように、わたしにかかるとせっかくの金言格言もコレクターズアイテム化させてしまって本来の意義が失われる。


誰にでも一度は経験があると思うけど、金言格言を集めては紙に書き出して壁中に貼りまくった事があるでしょ。自分を戒め鼓舞するための金言格言も、ひと月もすれば過去の自分を恥ずかしさで打ちのめすだけのアイテムに成り下がる。そして剥がす。ペリペリ剥がす。うまく剥がれずに壁にベタベタが残ってストレスになる。留めていた画鋲がなくなって恐怖する。ロクな事がない。


その言葉が色褪せるのではなくて、こちらの心境がひと月前とは変化してしまっている。要するに今はもう響かない。こういう言葉はタイミングが全てだ。ものすごく真理を突いた言葉でも、興味がなければ全く響かない。高級なレストランの料理も、気分じゃなければ納豆ご飯に負ける。さっきまであれだけセックスしたかったのに、念の為と独りで増田米詩音してしまった後はもうセックスとかどうでもいい。


人は欲しい時に欲しいものを手にするだけなんだ。


そして先ほど、世界最大のコンドームメーカーであるカレックスが、近い将来に世界的なコンドーム不足に陥る恐れがあるとの記事を見た。

 

ヤヴァイ。数日前にコンドームなくなった。買っておかないと。マスクとうんこ紙と同じように買い占めが起こりそう。

人は欲しい時に欲しいものを手にするからね。でも欲張りすぎないようにしよう。

「嫌いな人に注目して生きるほど人生は暇ではない」

『ゲッターズ飯田のもっと運めくりカレンダー』

 

 


誰がどうやって手に入れたのか、わたしの知らない内にダイニングテーブルの端に鎮座していた卓上カレンダーがそれ。そこは食事の際にわたしイチオシの青じそドレッシングを置く場所だから、本当は退けて欲しいんだけどな。


ゲッターズ飯田さん。正直よく知らないけど占い師か予言者かな。帽子を被って赤いマスカレードマスクを付けていた気がする。その出で立ちで人様の未来をズバズバと言う人。わたしの知識ではそういう人だけど違うかも知んない。


よく知らないだらけでゲッターズ飯田さんには誠に申し訳ないけど、わたしは占いの類は一切信じていないし忌み嫌っているというか憎んですらいるので興味がない。


でもゲッターズ飯田さんの事が嫌いなわけではないので誤解しないで欲しい。こういう事を書くと「ゲッターズ飯田」「嫌い」みたいに勝手に言葉を組み合わせて騒ぎ立てる人がいるからあらかじめ言っておいた。でも誤解するのも騒ぎ立てるのも批判するのも自由だから知ったこっちゃないのでどうぞ。


カレンダーは1〜31日までの日めくりになっていて、1日ごとに運気が上昇しそうな金言格言的な言葉が書かれている。31日までめくったらまた1日に戻ってめくり始めるシステム。


全部のページを見てみた。31の言葉の内で、何となくも含めて響いてきたのは21。約70%。なかなかに好成績。

特に響いたのは22日の言葉。


「嫌いな人に注目して生きるほど人生は暇ではない」


これは本当にそう思う。

わたしは前回の記事でも登場した会社の上司が大キライだ。もし罪に問われないのであれば、ゼンマイを最大限に巻いた状態をキープしたチョロQのタイヤをヤツの肛門にそっと、本当にそっとあてがい、躊躇なくゼンマイを解き放ってマキシマムパワーの摩擦を肛門に与えてやる。


わたしの基準ではその上司は人間的に下の下の下の下であり、あまりに下過ぎてもはやゲゲゲの上司という妖怪に成り果ててしまっている。ちなみに超弱い。

そういうお前はどれだけ偉いんだと言われても知らん。そんな話は初めからしていない。わたしがその上司をキライだという話をしているんだ。それ以上でもそれ以下でもない。


それほどまでに大キライな人物の事を、家のお風呂で湯船に浸かっている時にも、週末にじゃが湯りこをおつまみに美味しいお酒を飲んでいる時にも考えている自分がいる。これはまったくもってムダであり、精神衛生上よろしくもない。


わたしにとってこの上司が存在する唯一の意義は、奥さんとセックスしている時だけだ。挿入時にイキそうになった時にこの上司の顔を思い浮かべると、取り敢えず射精感が遠のくから助かっている。

ただ、時にその不快感を上回る快感に飲み込まれ、人類史上最もキライな人物の顔を思い浮かべながら射精に至るという痛ましい事故も過去に数回は発生している。

だから世の男性にはこの方法はオススメしない。

代わりといってはなんだけど、じゃが湯りこをオススメする。牛乳を混ぜて作るとより一層美味しいヨ。

 

カルビー じゃが湯りこ ポテトサラダ 48g ×12個

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  • 発売日: 2020/04/20
  • メディア: 食品&飲料
 

 

「プロの言う事も一理ある」だそうです。

新しくなる会社カタログの表紙案がデザイン会社から送られてきた。ほぼ最終校の案だ。


それを見て上司が首を傾げている。イマイチお気に召さないらしい。「この文字の色がなぁ」とか「この文字はもっと大きくした方が絶対いいよなぁ」と、大きな独り言を連発している。


上司は数人の部下を席に呼びつけ「これを見てどう思うか、率直な意見を聞かせて欲しい」と言った。そしてたったいま自分がつぶやいていた独り言を部下たちに力説した上で「俺は絶対にその方が良いと思うんだよなぁ。どう思う?」


意見を求められた部下たちは「ホントッすよねえ」「自分もそう思います」と口々に上司に賛同した。「これホントにプロの仕事ですか?」とまで言う人も。これが本心か忖度かは分からないけど、ここに彦摩呂さんがいたらきっと「同調圧力の宝箱やぁ」と言うのだろうな。上司は率直という言葉の意味を知らないらしい。


ちなみにわたしは意見を求められていない。直接的にカタログ改訂の仕事に関わっていなかったし、何よりわたしはこの上司に絶賛嫌われ中。4年前に仕事上で意見が対立して以来、ずっと無視され状態なーのだ。バカボンのパパなーのだ。ウソなーのだ。


それはそれとして。もしわたしがこの上司に意見を求められていたなら、きっとこう言ったはずだ。「ここまで来たらプロの提案を信じましょうよ。そしてあなたには胸毛が生えていますね。モサモサのやつ。臭そう。」後半は単なるわたしの悪意に満ちた罵詈雑言だから軽蔑してくれて構わぬ。


プロにはプロのメソッドがある。文字の色も大きさも配置も、それに基づいて効果的に考え作られているはずだ。最終校の段階に至ってシロウトが文字の色や大きさに口を出すのはどうかと思う。だって多分だけど、上司や上司が呼びつけたその部下たちより、それを作ったデザイン会社の人の方がセンスがいい。


芸術の神に認められしセンスを持つ人1人がAを選んでも、センスの欠片もない99人がBを選べばBが採用される。反対にセンス抜群の99人がAを選んでも、決定権を持つノーセンスな1人がBを選べばBが採用だ。


昔、テレビでファミレスの新メニュー開発の特集を観た。名だたる名店で働いてきた実績を持つプロの料理人が、あれこれ創意工夫を凝らして作り上げた新メニューも、結局はオジイ社長の試食が最終ジャッジだった。結局こういうのは、多数あるいは決定権を持つ人が納得するかどうかでしかない。


公募なんかでも同様の傾向があるように思えてならない。キラキラ輝くイメージで商店街のネーミングを募集していたとする。アタマをひねって「シャイニーロード」とかで応募しても、普通に「ニコニコ商店街」が最優秀賞を取る。それ公募する意味あったか? オジイどもがしるこサンド食いながら番茶すすって片手間に決めているんじゃないだろうな。


わたしも過去、社内のプレゼン資料などを一手に任されていた時期があるけど、依頼者は「ここの文字は目立つように赤にして」「ここの文字は強調したいからもっと大きくして」などと言ってくる。

いやご希望には沿えるように努力はしたい。でも言う通りにあれもこれも真っ赤に大きくしていたら、聴衆者は一体どこに目をやって良いのか分からない。初めて蛍光ペンを買った中1がほぼノートの全部にマーカーを引いてしまって最終的に何が大事か分からなくなる例の現象と同じ。わたしはそれを『中一病』と提唱したい。


カタログは無事に新しくなった。デザイン会社の人にことごとく論破された上司の辞世は


「プロの言うことも一理あるな」


一理しかねえんだよ。

水漏れしたからトイレを交換したけど、いまトイレがないらしい。

3週間くらい前にトイレを交換した。ちょっと気分を変えたくなって。思い切って換えてしまった。


ウソぴょん。リビングのカーテンを替えるのとはワケが違うんだ。気分なんかでトイレを交換するわけないじゃない。便器と床の境い目から水が漏れるようになってしまったんだよ。


漏れる水は無色透明で無臭だったし、量も多くはなかった。でも用を足してミスを流す度に漏れた。心の広いトイレだな。ミスを流してくれるらしい。トイレだけに水に流すってことかな。じゃあわたしの誤変換も水に流しておいて。あと20年以上前に東京駅に向かう電車内で大便を漏らしちゃった事も水に流してくれると嬉しい。その時の大便も無色透明の無臭だったじゃん? だから事なきを得たけど、あれ何だったんだろうね。髄液?

 

まぁいいや。

ネットで調べてみると、トイレの水漏れ修理は2万円程度が相場だった。すぐに適当な修理業者さんを探して連絡すると、その日の内に来てもらえる事と相成った。


ほどなくして修理業者さんが現れた。白髪短髪の50代後半と思われる男性。

修理業者さんはトイレを見た瞬間


「あー! これは漏れてますねぇ!」


教えて欲しいんだけど、これってわたしだけなのかな。こういう業者さんって、みんなサギ師に見えない? わたし見えちゃうんだよね。言ってる事が全部ウソに聞こえるの。


漏れてるのは知ってるよ。だから来てもらったんだからさ。じゃなきゃわたしは見ず知らずのオッサンを家に上げる頓狂な趣味があるオッサンって事になっちゃうでしょ。

「あー! こーれは漏れてますねぇ!」って。何でこんな当たり前のことを、さも大変な事が起きたような言い方するのかな。いちいち大層な表現してバカ高い修理代でもせしめようとしてんじゃないの?

言わないよ。言わないけどね。そういう風に思っちゃうんだな。きっと性根が腐れてるんだと思う。


修理業者さん曰く、


「やっぱり水が漏れていました。恐らくトイレの配管が割れていると思います。ただお宅のトイレはタンクと便器が一体で外せないので、新しいトイレを設置させてもらって……」


ちょっと待って。なに新しいトイレを設置するって? いいよそんな大層なことしなくても。配管が割れているんでしょ? なら配管だけ直して欲しいんだけど。


「いや、このトイレ外せないんですよね。一体型だから」


何で? 何で外せないの? 一体型でも分離型でも、組み立てた時と逆の手順をたどれば外せるハズでしょう?


「ですから外そうとすると色んなところをバラさないといけないから大変なんですよ」


ですからじゃないのよ。なに軽くイラッとしてんのよオジイ。オジイが言ってんのは「外せない」じゃなくて「面倒だから外したくない」でしょう? 怠慢ブッこいてないでバラしなさいよ。ネジは反時計回りに回せば外れるよん。


わたしとオジイがこんな会話を繰り広げていたところに「大丈夫?」と奥さんが登場したからバトンタッチした。


奥さんによると、修理オジイの提案は以下のようなものだった。

トイレを外して配管を直して再びトイレを設置し直すと、工賃なども含めて数万円は掛かる。そこに数万円を掛けるのであれば、すでに今のトイレは10年以上が経過している事だし、いっその事トイレごと替えてしまってはどうか。


何だよ。そういう事なら修理オジイの提案にも一理ある。わたしはトイレを替えたら費用は全部でいくら掛かるかを聞いた。


「15万円ですね」


バッカオジイてめえ往復ビンタすっぞこの野郎。ウソじゃん。最初に相場を調べた時は2万円だったんだぞ。何で13万円も上乗せになるんだよ。この修理オジイに13万円の価値があるとは到底思えない。吉原の高級ソープ2回行けるじゃん。行ったことないけど。

いやもうアタシ洗面器でいいですわ。そんで自分で風呂場に流しますから。どうか15万円なんて言わんといてください。


わたしがうなだれていると、勝手に何かを察した修理オジイが13万円まで値を下げてきた。

違うんだよオジイ。わたしは別に値切ってるわけじゃないんだ。糞便を垂れ流すためだけの器に15万円も掛けるのが、ただひたすらに心の底からイヤなんだよ。


でも覚悟を決めてトイレの交換をする事にした。13万円のトイレとは、どんなトイレが設置されるのか。


TOTOですね」


それは単なるメーカー名でしょ? そうじゃなくて、どんな形とか機能のトイレなの?


「タンクとトイレと便座が別になった3点式のやつです」


なぁさっきからナニ言ってんのマジで。そうじゃねえよ。オジイはデリヘル頼む時に店側に「目と鼻と口がある女の子が行きますので」って言われて納得するのか? 大抵の女の子はそうなんだよ。いいからカタログ見せて。


「ないです」


メニューもなく手オーダーするバカがいるかこの野郎。何でカタログがねえんだよクソジジイ。話にならん帰れ。


結果としてカタログはあったので、そこから具体的な打ち合わせをして、最終的にこの修理オジイに13万円でトイレ交換してもらった。


これは交換前のトイレ。


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これが交換後のトイレ


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デザイン的には劣化しているけど、まぁ満足している。


本当ならこんな疑わしいオジイにお願いはしたくなかったけど仕方なかった。

理由はトイレがないからだ。コロナの影響で中国で製造している部品の供給が滞り、交換したくてもそのトイレがないらしい。

確かにそういうニュースは読んだことがある。この修理オジイの会社もトイレはTOTOのトイレが2個あるだけとの事だった。ウソかホントかは知らないけど多分ウソ。


トイレの入手困難がここまで深刻化する前に替えられたのは、運が良かったと考える事にした。トイレだけに。フフ。

でも新しいっていいね。糞便を垂れ流すためだけの器だけど。13万円の。

ブタメンを外で食べたら、小学生の頃の記憶がよみがえった。

今日の朝は寒かった。

わたしが出勤する時間帯の気温は3℃だよ。ついこないだまで10℃を超える日々が続くようになったので、着る服も春の装いに入れ替えたばかりだというのに。気まぐれなのは女心と秋の空だけにして欲しいものだよ。ウフフ。


先週の土曜日も寒かった。雪まで降ったからね。

あまりに寒かったからエアコンにセラミックヒーター、ハロゲンヒーターに電気毛布など、一度は引退しかけた暖房器具たちが一斉にフル稼働する状態に。暖房たちの「もう一花咲かせてやるぜ!」感がヒシヒシと伝わっては来たけど、残念ながらそれは狂い咲きだ。


夜になって雪は止んだけど、それでも寒さは続いていた。

お酒を飲んでいたわたしは、おつまみの代わりにブタメン(カレー味)を食べる事にした。


ブタメンの準備をしながら、ふと思い出した事があった。

子どもの頃、駄菓子屋で買ったミニカップ麺。駄菓子屋のおばちゃんにその場でお湯を入れてもらい、北風の吹きすさぶ公園で震えながら食べた事を。あれは美味しかった。いろいろな物を食べてきたと思うけど、ふとした時に引っ張り出される記憶は、結局こういうチープな思い出だ。

 

やってみようかな、40年近くぶりに。外でブタメンを食べてみようかな。お風呂も入ったしパジャマ姿だし、お酒もしたたかに飲んだけど。ついでに言えば46歳のオッサンだけど。


わたしはブタメンにお湯を入れ、お箸を持ち、まるで死地に赴く戦士のような面持ちで「行ってくる」とだけ家族に告げた。パジャマだし全然戦士じゃないけど。持っているのは銃ではなくブタメン(カレー味)だけど。


テレビを観ていた奥さんと娘たちの「え、どこに?」という当然かつ正当な問いかけをなぜか背中で華麗に受け流し、わたしは玄関のドアを開けた。


時刻は22時過ぎ。外はまだ少し雨が降っていた。吐く息が白くなった。我が家には庭がないので、わたしはブロック塀に囲まれた自転車置き場に移動した。


ブタメンのフタを開けると、立ち上る白い湯気が鼻腔をくすぐった。わたしはブタメンをすすった。おいしい。おいし過ぎるやないかい。家の中で食べたらこうはいかないぞ。


寒さによるものかブタメンの湯気か、鼻水を出しながら食べている内に、不意に目頭が熱くなって涙がシミだらけの頬を伝った。


小学生の頃。

三浦屋という駄菓子屋で買ったミニカップ麺を三丁目公園で食べていた。あの時も今日と同じように寒い日だった。

友達のよっちゃんに「スープくれ」と言われた。絶対に麺は食べない条件で、ひと口だけ許した。よっちゃんはスープを飲んだ。わたしにはよっちゃんは麺も一緒にすすったように見えた。いま麺も食べただろ。食べてないよ。食べたってば。食べてないってば。いつの間にかわたしはよっちゃんとローキックの応酬を繰り広げていた。


何だこのクソメモリー。思い出すんじゃなかった。こんなくだらない思い出は即刻消去してえ。わたしのセーブスロットは3つしかないんだぞ。


それ以来、よっちゃんとは一緒に遊ばなくなった。中学生になっても一言も口を聞く事はなかった。子どものケンカは侮れない。幼さからすぐ親友になれる半面、昨日まで親友だったはずの友達が一夜で敵にもなる。

 

でもブタメンを外で食べるのはオススメ。たまに童心に返るのも悪くない。

通り過ぎる人たちが志村けんばりの二度見で過ぎ去っていく事を除けば、うん。オススメ……かな。

回転寿司屋さんで、ちょっとフに落ちないことがあったので。

週末に家族で回転寿司屋さんに行った。


うん知ってる。

いまだ新型コロナウイルスの感染拡大が続くこの時期、不要不急の外出は避けた方が無難。それは分かっている。


でもそんな事ばかり言っていられない。

娘たちは休校だから平日は外に出ないけど、週末も出られなきゃ彼女たちは腐ってしまう。そんな娘たちを見て親だって腐るし、その親を見て娘たちもさらに腐る。およそ健康的とは言い難い。


心も体も表裏一体。心が崩れれば体も崩れる。バランス良くこなしたい。コロナに対してもそう。適切に怖がりつつ適度に鈍感でありたい。そのくらいでないと自分が病んでしまう事をわたしは知っているから。

 

で。週末に家族で回転寿司屋さんに行った。

14歳の誕生日を迎える長女に、何か好きなものを食べさせてあげたかったんだ。希望を聞いたら、それがとある回転寿司屋さんだった。


いつもなら予約しないとすぐには入れないこのお店も、恐らくこの時期は逆に空いているだろう。そう思いつつも一応は予約して向かったが、予想通り店内はガラガラだった。


受付を済ませて指定された席に行くと、すでにファミリーらしき人達が2組、先客でいらっしゃった。いちばん奥の席に1組、その隣に1組。わたし達はその隣に案内された。店内を見回すと、どうやらわたし達を含めたこの3組の他にお客さんはいないようだった。


どういう意味? つもりを教えて欲しい。ガラッガラじゃない。他にお客さんいないじゃない。何でワザワザこの3組を奥から順に詰めて密集させてるの? 離そうよ。席を一つ開けて案内するとか、何なら通路ごとに1組ずつの配置でもイケたでしょ。


どうして今このお店がこんなにガラガラだと思ってるの? コロナだよコロナ。違うよ給湯器とかビールじゃなくてよ。新型肺炎のやつ。さっき立ち寄ったショッピングセンターだって、休憩エリアのテーブルを2メートル間隔で配置していたよ。もうスッカスカ。でもそういう事でしょ今って。 本社からの指示なのか店員さん個人の裁量なのかは知らないけど、これは勘弁して欲しい。


あとそのショッピングセンターのゲームコーナーは鬼滅の刃のグッズが超充実してたけど、悲鳴嶼行冥だけが超余っててアイツ超泣いてたぞ。いやいつも泣いてるけどさ。超可哀想だから誰か取ってやれ。


最初は別の席に代えてもらおうかと思った。でも客が一箇所に集中していた方が店員さんが動きやすいのかなとか考えたり、「いま席を代えてもらったら隣のお客さんに失礼だよ」という長女の懇願に近いウィスパーとか、いろいろ考慮して結局はそのまま座って食べた。でも正直、ちょっとフに落ちなかった。


そんなこと言うぐらいなら初めから外に出ず自宅で大人しくしてろなどと言う奴がいたら、今すぐ一歩前に出ろ。そして目をつむれ。歯を食いしばれ。

そのままお前を放置して家に帰って夕飯を食べようっと。