俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

犬吠埼にゴジラが現れた。そしてコーヒーはやっぱり武藤が最高。

おはようございます烏合の衆改め皆の衆。

アイスコーヒーが美味しい季節になりましたね。

ちなみに我が家はコーヒーは無糖ですが……

 

それはそうと、2ヶ月ほど前の週末に、家族で千葉県の銚子にある犬吠埼灯台に行ってきた。

ゴメン突然に『それはそうと』過ぎたかもしんない。

以後注意するねせんべろ(てへぺろとせんべろを間違えたというジョークの意)。


展望台に昇って雄大な水平線に癒され、いい気分で降りてきたらハゲたオッサンが常軌を逸した怒鳴り声で誰かとケンカしてた。

 

勘弁しろよハゲじじい。

あーハゲは言い過ぎたわゴメン。

じじいはともかくハゲは本件には何ら無関係だった。

そこについてはハゲしく反省。素直に謝るね。


でもじじい聞いて?

俺はね。仕事で溜まりに溜まったストレスを発散させるために、わざわざ時間とお金を掛けてここまで来たのよ。


他の人達もいろんな理由はあるだろうけど、楽しむ事を目的としているという点において、恐らくは共通してるはずだと思うんだわ。


いずれにせよハッキリしてるのは、少なくともどこぞのじじいの頓狂な怒鳴り声を聞くために銚子まで来たわけじゃねえってことよ。


台無しなのよ。

たったいま俺が展望台で浴びてきた、マイナスイオンだか1/fゆらぎだか知らねえけど、なんかそういうミラコーなパワーが台無しなの。


返せ。

ここまでの時間及び心身的労力並びに消費したガソリン代に加えて灯台への入場料そして来る途中に丸亀製麺で食った担々うどんの代金を返しなさいよ。


イマイチ美味しくなかったんだよ担々うどん。

あんまりボケボケした味だったから、ただひたすらに淡々とうどんを啜るしかなかったわ。担々うどんだけに。ウフフ。

 

うるせえハゲじじい。そんな小粋なジョークが言いたかったわけじゃねえ。

ゴメン。ハゲはダメだったんだっけ。


あーもういいやめんどっけえ。

ハゲはハゲだろジタバタするなよ世紀末が来るぜ。シブがき隊がそう言ってた。昔。


もう以後は『ハゲじじい』で表記を統一するぞ。

いいんだよ知ったこっちゃねえ。

元々俺のブログなど、ハゲだのデブだのウンコやゲロが満載の汚ブログなんだから。

危うく初心を忘れるところだったけどこの初心は忘れていいの私のことなど一人で生きる術なら知っている悲しいけれどこの歳ならと知子と新司が言ってた。昔。

 

だからさ。

ハゲじじいと相手の人の間にどんないざこざがあったのかは知らないよ。知りたくもねえし。

どうせ大した理由でもないんだろうからさ。


どっちにしろ、そんなに怒鳴らなくてもいいでしょうよってこと。

俺の勝手な言い分なのは分かってるけど、お願いだからケンカするにしても静かにやって欲しいわけよ。端の方でひっそりと。


ケンカの仲裁をしてもいいんだけど、過去の経験からケンカの仲裁はしないことに決めているから。


それにとっくに引退したとはいえ、殴り合いのケンカになれば、元ボクサーという理由だけで正当防衛が成立しにくい厄介な身でもある。


そうじゃなかったら、今頃は高嶺竜児先生から伝授された最強のスーパーブロー『ウイニング・ザ・レインボー』をお見舞いしているところだぜ。


うん。そうだね。俺が過去にボクサーだった事実はないね。

 

そんな事をね。ハゲじじいを眺めながら思ってたのよ。

そしたら遠くの方からハゲじじいに近づく人影があって。


漆黒のライダースジャケットを着た、見たところ30代後半くらいの男性。

何となくロカビリーっぺえなって思ったから、ここでは便宜上『尾藤』って表記する。

イサオね。尾藤イサオ。ロカビリーの先駆けと言われたとか言われないとかのヒト。


尾藤がハゲじじいに言うんだ。


「みんな楽しみに来てんだからよ。うっせえんだよ静かにしろよオッサン」


最初は強気だったハゲじじいも、尾藤の迫力に押されて次第に小さくおとなしくなって、いずこへと消えてしまった。


拍手は起きなかったけど、周りからは「おぉー」みたいな声は上がって。

みんな突然現れたヒーローに温かい視線を送っていた。


その視線に答えるでもなく、漢・尾藤はその場を後にした。

そして少し離れた広場に停めてあった、まるでオーガズムを迎えた女性みてえに反り返ったバイクにまたがって、


「ウォンウォンウォンウォンウォーーーンッ!!!」


走り去っていった。

ハンドル超絞ってた。

 

ナメてんのかこの野郎。尾藤のくせに。

ウォーーーンじゃねえんだよ。

よくもそれでハゲじじいの事をうっせえだの静かにしろだの言えたな。


お前はゴジラか?

ゴジラまともに観たことないからよく知んないけど。

怪獣は倒すけど自身も怪獣という。

倒した怪獣と同等、あるいはそれ以上に自分も存分に街を破壊するという。

怪獣を倒してくれるのは嬉しいけど街が壊れるのは結果同じという。


立ち位置を明確にせえ尾藤。

こっちサイドの折り合いをどこにつけて良いのか分かんねえだろがよ。


武藤として生きるのか。


加藤として生きるのか。


我が家はコーヒーは武藤です。

『かがみの孤城』を読んだ。ネタバレはない。たぶん。

最近になって小説を読みはじめた長女(13)が、「すごく面白かった」と薦めてくれたのが、この『かがみの孤城』だった。

 

かがみの孤城

かがみの孤城

 

 


長女だけでなく奥さんも太鼓判を押していたので、それならとわたしも読んでみたら、とても面白かった。

 

新田真剣佑さんが初見から超絶イケメンであるのと同じように、面白い本も最初の数ページ、あるいは数行からもう面白い。

きっとそうあるべきなのだと思う。

いくら読み進めても物語に引き込まれない小説に、大切な時間を割くことはできない。だからこそ最初の数ページが肝要なのだ。


新田真剣佑さんがいかに超絶イケメンでも、初対面で大量の鼻毛を露出していたら、そんな人に今後の淡い恋心を向けるわけにはいかない。だからこそ初対面は重要なのだ。


初めが肝心とはよく言ったもので。

長女はこれまでほとんど小説を読んだ事がなかったから、初期段階でこういう面白い本に出会えた事は、とても運が良かったと思う。

わたしは26歳まで小説など読んだことがなかったが、27歳の誕生日を期に本を読む事を決意し、古本屋さんで手に取ったのがシドニィシェルダンの『ゲームの達人』だった。

この本がむちゃくちゃ面白くて、そこからわたしは本が好きになった。

最初にどんなものに出会うか。それはとても重要だ。


そう考えれば『ウニに人生の半分を捧げている人』の言うことも、あながち間違ってはいない事になる。


わたしが「俺ウニいまいち苦手なんだよね」と言うと「あー。それいいウニ食ったことないんだわ。人生半分損してるよそれ」と言ってくる人のことだ。一定数いる。


あなたの言う『いいウニ』の定義が分からないが、あくまでわたしの経済的事情としてはそれなりの金額を支払った上でウニを食べ、それでも残念ながらウニはわたしの口には合わなかった。

わたしはあなたがウニに自分の人生の半分の価値を見出す事は自由だと思うので否定もしないが、ウニ生産者でもないわたしはウニにそこまでの価値を見出だせるとは思えない。

よって今後二度とわたしに断りなく勝手にわたしの人生をジャッジするな黙れ小僧。そしてお前の言うその『いいウニ』の発注と代金はお前が負担してわたしの自宅に送付しろ。わたしに精神的苦痛を与えた賠償だ。


こういう人は大抵において他の食べ物についても同じような事を言うので、その人の人生のほぼ全てが何かしらの食べ物に捧げられていて幸せだと思う。

少なくともこういう毒にも薬にもならない屁理屈をこねるわたしなどよりは。

 

何の話か。

本の話ではなかったか。

本題に戻ろう。


物語の仔細に触れてしまうのは避けたいのだが、一つだけ。主人公の女子中学生は学校に行っていない。


以前の記事でも触れたように。長女は場面緘黙症なので、学校ではほとんど話せないし動けない。

それでも懸命に中学校に通い続けている長女は、本当にすごいと思う。

わたしが長女と同じ境遇なら、間違いなく学校には通えていない。

もう人として尊敬している。


長女には、学校に行けなきゃ行けないでいいとは伝えている。無理だと思ったら行くのをやめてもいいと。宿題がイヤで行きませんじゃ困るが。


逃げられる環境なら逃げてもいいじゃん。

逃げると言うとネガティブにしか聞こえないが、場合によっては逃げる事は何かに立ち向かう事と同じくらいの勇気が必要だと思っている。

なぜなら逃げるということに立ち向かっているわけだから。


だから敢えて『逃げる』という表現は改めない。逃げるでいい。逃げるがいい。

これは自分も苦手とすることだが、人は逃げるということをもっと上手になった方がいい。逃げた後のことは逃げたあとで考えたらいい。取り敢えず危険なところからは離れて身の安全の確保を。向こうに熊がいるのに「逃げちゃダメだ」などと言うつもりか? そういうのはサードチルドレンの碇シンジ君だけでいい。


仮にこの先に長女が逃げるという選択をしても、絶対に責めたりせず、逃げることを選択したその勇気を褒めてあげたい。

出来るかどうか分からないが。


そのためには「弱音を言っても逃げても責められない」という家庭の空気づくりが大切だと思っている。

一番怖いのは、学校であったことを気軽に家庭で家族に話せないことだ。

わたしは会社での愚痴や弱音を家族の前で言うのを良しとしないが、それでも夕食の場などで敢えて口にすることがある。


親がそういう姿を見せることによって、そういう事を言ってもいい空気ができる。

そうすれば娘たちも同じ様に学校のことを話してくれるかも知れない。話してくれれば、そこに含まれている大切なことやトラブルへの対処も出来る。


だからわたしは定期的に会社をズル休みしちゃったりする。

これも、そういう親の姿を敢えて娘たちに見せることが目的だ。あぁ疲れたら休んでも良いんだと言うことを分かってもらいたい。切に。本当だ。

 

なんて事を、鏡の弧城を読み終わって思った。

本を読んだのは久しぶりだ。面白い本を読むと、途端に読書のスイッチが入る。


でもなかなかに本を読む時間が取れなかったりする。こんなわたしでも日々それなりに忙しかったりするからだ。

ゲームをしたり自慰をしたり映画を観たり自慰をしたりスマホをイジったり奥さんをイジったり自慰をしたり。忙しい。


するよ自慰。普通に。老いたとはいえ40代。まだまだ現役だし原液。ナメんな。チャンスさえあれば毎日だってする。

Hey Jii。エッチな動画を再生して。


どこで歯車が狂ってしまったのか。図らずもわたしはここに自慰の表明をするに至ってしまったわけだが、わたしのようなジジイのジイはともかくとして、ここ最近奥さんのことはイジってない。


仕方がない。

ウチは家族4人が一つの部屋で寝ているから。身体が触れるくらい近くに娘たちがいたら、そりゃそんな簡単にはコトに及べない。

だから決して奥さんに魅力を感じなくなったとか、わたしの精力が減退したとか、そんな話ではない。


つーかウチの夫婦のセックス事情など放っておけ。

だいたいこれは本の話ではなかったか。

実写版『アラジン』を観る時は、ジーニーの頭に気を付けろ。ネタバレはないです。たぶん。

 

以前に実写版の『美女と野獣』を観ました。ハーマイオニーが出ているやつです。



映画館じゃなくて家のテレビで観たのですが、ものすごく映像が綺麗で感動しました。

城の食器たちがベルを迎えて『ビー・アワ・ゲスト』を歌うシーンなど、32インチのテレビで観てすら圧巻の一言。実写がアニメを超えたと思いました。


しかし感動と同時に激しく後悔もしたわけです。なぜわたしはこの作品を映画館で観なかったのかと。

決して観に行く時間が無かったわけではなくて。日常の雑務に追われている内に、いつの間にか公開が終了してしまったのです。

公開だけに後悔したというわけですね。ウフフ。


わたしはこの界隈では『決して同じ轍を踏まない男』として全然有名じゃないんですよ何言ってんですか。

放っておくと何回でも同じ過ちを繰り返す愚か者。近藤真彦翁もクリビツテンギョー。それがわたしなんです。

だから今回は、映画の公開後すぐにチケットを予約して観に行ったのです。

あ、ちなみに吹き替え版です。

 

肝心の内容なんですけどね。

レビューをすると言っておきながら、まぁ例によってわたしは詳細なレビューはしませんし出来もはん。

あぁすみません。鹿児島暮らしが長かったもので、ちょっと気を抜くとすぐに薩摩弁が出てしまうのでごわす。ウソでごわす。


えーとですね。そう、レビューね。

この映画を観る上での注意点があるんです。

それはね。歌です。

劇中の歌の歌詞がね。8割くらい聞こえねえんでありんすよ南方先生。


このアラジンは、物語の合間でキャラクター達が突然狂ったように歌い出す、そんなディザスタームーヴィー。

なのに肝心の歌の歌詞がよく聞き取れないんですよ。何か大きい声でガーガーモニャモニャ歌ってるんですけどね。あれ多分みんな本番中に熱々の揚げ出し豆腐を食べているんだと思いますネ。


和尚がね。和尚が法事で念仏唱えてるんじゃないんですから。はっきり聞こえるように歌いましょうよ。


和尚も和尚だよ。あいつらだってあんなもん、なに喋ってんのか分かったもんじゃないですからね。念仏唱えるフリしてオリビア・ニュートン=ジョンのフィジカル歌ってても分かんないですよ。木魚ポクポクして。故人の霊に対してフィジカルも何もあったもんじゃないっつーの。


あれ? なんだっけ。あ、歌が聞こえないということですよね。そう。

もちろんちゃんと聞き取れる歌もあるんですけどね。たぶん映画館の大音量が反響して聞き取りにくいんだと思うんです。知らないですけど。


なのでこれから観に行かれる方は、ぜひその事を念頭に置いていただいてですね。

わたしのように『8割は聞こえない』とネガティブに考えず、『2割は聞こえる』と思うようにすると、ご家庭でも美味しいビーフストロガノフが出来ると思いますよ。

レッツポジティブクッキング。

 

あと和尚といえば。すいませんあとちょっとだけ和尚を引っ張るんですけど、ウィル・スミスさん演じるジーニー。ジーニーのスキンヘッドがすっごい綺麗。


あれほどに優秀なスキンヘッドは、和尚か西遊記の時の夏目雅子さん以来じゃないですかね。マジ一見の価値ありますよ。

わたしなんて気づいたら、途中からジーニーの頭しか見てませんでしたからね。

あぁ、歌がよく聞こえなかったのはそのせいだったのかな。


ということで。

この映画を観る上での注意点がハッキリしましたね。


ジーニーの頭には気を付けろ』


以上。スタジオにお返しします。


 

余談ですけど、本編が始まる前の予告でライオンキングのフルCG版の映像が流れていました。

すっごいリアルでしたよ。まるで実写でした。でもコレ単なる『野生の王国』になっちゃいませんかね。

いいのかな。あれはあれで。CGスゲーってなるからね。


今後ディズニーは、こうして昔のアニメ作品を実写化し続けていくつもりなのですかね。

でも今の技術のままでは、実写がアニメを超えていくのは限界があると思うんですよ。まぁ別に超えなきゃならない義務はないですけど。


記事の冒頭で、実写版の美女と野獣を「実写がアニメを超えた」って書きましたけど、あれって正確には「CGがアニメを超えた」ですよね。ハーマイオニー綺麗だったけど、別にそこに感動したわけじゃないですから。


例えばラプンツェルとかアナ雪なんて、あれフルCGでしょ。そうすると『アニメ対CG』の構図じゃなくなりますよね。

じゃあ『CG対実写』かっていうと、そうでもない。だってキャラクターだけ実際の役者さんに変えても絶対面白くないもの。

だからこの先の実写化は『CG対CGを超える新しい表現技術』という構図にならざるを得ないのではないでしょうか。結構難しいですよね。


それでもあくまで実写版の制作を続けるというのなら、わたし提案あります。

ベイマックスを実写化する際は、どうかハリセンボンの近藤春菜さんを起用していただきたい。


クライマックス、異次元空間に消えていくベイマックス


ヒロ「ベイマーックス!!」

春菜「いやベイマックスじゃねえよ!」

ルイ「違うんかーい! ルネッサーンス!


これが観たい。

わたしは長女の運動会に行けない。

この時期に運動会を開催する小中学校は多い。

ウチも先週に次女(10)の運動会が終わって、今日は長女(13)の中学校が運動会だった。

わたしは観に行けなかったけど。


運動会というのは、運動が得意な人にとっては楽しい行事なんだろう。

次女なんかは比較的運動が得意だし好きだから、運動会を楽しみにしていた。


でも長女はそうじゃない。運動神経が鈍いというより、無い。

加えて場面緘黙症だから、学校では自分の感情を出せないし喋れないし動けない。

長女にとって、大勢が見ている前で飛んだり跳ねたり走ったり踊ったりする運動会など、地獄に等しいはず。


長女が場面緘黙だと気付くまでに、わたしはかなりキツい事を言った。

長女が小学生の時、運動会が終わるたびに説教した。


出来ないんじゃない。やらないだけだ。

お前の努力が足りないからだ。

甘えてんじゃねえ。

根性出せ。

情けねえ。


場面緘黙症というものを知らなかったとはいえ、本当に酷かった。


今はもう、うまく出来なくても何でも良くて。

学校に通っていると言うだけで拍手喝采すごいすごいという心境になれた。


でも長女には「出来れば運動会には来ないでほしいかな」って言われていて。

やっぱりわたしが行くと緊張するし、小学生の時みたいにまた怒られるんじゃないかと思っているらしい。


だからわたしは長女の運動会には行けない。

仕方ない。今までが酷過ぎた。気付くのが遅過ぎた。

これから少しずつ罪滅ぼしをしていかないと。


あ、今日はヒトカラに行ってきました。


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猛烈な強さの恥ずかしさ。

トイレの端の方でひっそりと佇んでいる小さい箱。

突然にそれが気になって。


いや、主に何を捨てるための物なのかは知ってんだ。

だから内容物が気になるとかそういう変なアレじゃなくて。


名前がね。そういやあれってなんて名前なんだろうと。

だから奥さんに聞いてみたんだ。


「え、汚物入れのこと?」


あの小さなゴミ箱に、どれほどの美しい名前が付いているのかなんて、そんな事は微塵も期待してなかったよ。


でもだからといって、汚物入れって。

いくらなんでもミもフタもなさ過ぎない?

神も仏もあったもんじゃないんだよね。


でも閃いてしまったから、わたし奥さんに言ったんだ。


トイレという場所にあってなお、汚物呼ばわりされるその箱は、まさに『オブツ オブ オブツじゃん』と。


得意げに。少しドヤ顔で。

 

下劣な冗談だってのは自覚してるんだ。でも閃いちゃったものは仕方がない。


で。わたしが考案したこの冴えに冴えた冗談を、ぜひ長女(13 )にも聞いてもらいたくなったんだよね。


で、話しかけたんだ。お風呂上がりで髪を乾かしている最中の長女に。


私「ねーねー。トイレの床にさー。小さいゴミ箱みたいのがあるじゃない?」


長「サニタリーボックスのこと?」


私「そう……え? サニ? なに?」


長「え、サニタリーボックスじゃないの?」


私「そう、サニタリーボックス。よく知ってるじゃーん!」


わたしは何だか猛烈な強さで恥ずかしくなってしまったよ。

わたしを課金にいざなって。

長女(13)が課金をしたいらしい。

今ハマっている『ポケコロ』というスマホゲームでガチャを回すために。


「したいらしい」ってのは、長女自身も気持がどこにあるのか分からないんだって。

本当に課金したいのか、したくないのか。

 

それは多分だけどね。お父さんこう思うんだけど。

課金をしたいかどうかが分からないんじゃなくて、きっと課金はしたいんじゃないかな。

課金はしたいんだけど、していいものかどうかを悩んでいるんじゃないかな。

なぜなら、君の中で何となく課金=悪って思っているでしょ。今までスマホゲームに課金したもことないしね。


いいよ。課金すればいい。

お父さんはスマホゲームとかの課金は別に禁止していないもの。

むしろ課金をしてみればいいと思っているし、常々そう言ってるでしょ?


ドンドンやれとまでは言わないよ。

けど節度を保って出来るなら、課金なんて何の問題も無いと思っているんだけど。

薬だって飲み過ぎれば害になるんだし、何だってやり過ぎなきゃいいんだよ。


だから取り敢えず、自分の持ってるお金の範囲内で自由に課金してみ?

一週間にいくらとか、一ヶ月にいくらとか。そんなルールは設けないから。

自由に。使えるだけどうぞ。

 

……。

 

どうだった? 課金してみて。

最初の課金はドキドキしたでしょ。

でも2回目の課金は、最初よりドキドキしなかったでしょ。

そうなんだよね。三回目はもっとドキドキしないよ。

そうやって課金を続けていくとね。だんだん課金することについて、無感覚に近くなっていくかもしれないよ。

知らない内に、自分でもビックリするくらいの金額を課金しているかもしれない。

きっとそういう一面もあると思うんだよね。課金って。


一度受けた刺激はもう後戻りできないっていうか、麻痺しちゃうから。

お父さんが性に目覚めた頃はグラビアアイドルの水着姿で興奮してたけど、その内それじゃ何とも思わなくなったからね。その刺激はもう知ってると。俺はもっと過激なモノが見たいんだと。

今時グラビアの水着を見て「うぉーすげーぜー!!」とか感動できるのは、べーしっ君(目森べーしっ)くらいだよ。


まぁ、お父さんくらいになるとね。今じゃもう一周回って水着でも興奮しちゃうから。それくらいの性の境地には到達してっから。フフン。

フフンじゃないっての。そういうことが言いたかったんと違うけどね。まぁいいや。


とにかく。

だから今してみた方がいいと思うんだよ。課金。

こういうものを節度を保ってやるのは思ったより難しいのよ。大人だって出来ない。いや、ヘタに経済力のある大人だからこそたちが悪い。


君も気づいていると思うけど、大人って思ったよりアホだったでしょ? 小さい頃は何でも知っていて、頼れる立派な人間が大人だと思っていたかもしれないけど、案外そうでもなかったでしょ? もちろんお父さんも含めてよ。


大人って、アホやっても誰も止めてくれなかったりするのよ。叱ってくれたり止めてくれるヒトが周囲にあんまりいなかったりするの。

だから子どもよりも大人の方が始末に負えないんだわ。


でも君らは違うじゃん。お母さんとかお父さんが近くにいてあげられるじゃん。君らがおかしなことになりそうになったら、親がとめてあげられるでしょ。

だから課金するなら今なのよ。


親の目が届く内にそういった懸念のあるものから一切を遠ざけるのは間違いだと思っていて。

親の目の届く内だからこそやるべきなんだよね。もちろん法を逸脱しない範囲の話としてよ。


親が子どものそばにいるのは、暴走しそうな時にブレーキをかけてあげるためであって、そもそもアクセルを一切踏まないように監視することではない気がする。

そんなことをしたらアクセルの踏み方自体を学べないじゃない。

弱く踏めばスピードも遅いけど、ベタ踏みすれば急加速で制御不能になるってことを知ってもらわないと。


それをそばで見てあげられるのは子どもたちが子どものうちであって。

成長して親元を離れ、親の目の届かないところで踏み方も知らないアクセルを全開に踏まれても困っちゃうもの。


じゃあ節度って何だろうね。

例えば同じ1,000円でも君とお父さんとでは価値感が違うしね。

例えば君が全財産課金しても、なんの後悔もなく満足していれば、それはある意味では健全なのかもしれないし。


例えばさ。こないだこんなことあったじゃない。


次女ちゃん(10)が100円ショップで氷のうを欲しがって。かわいい水玉の袋状のものに氷を入れて体にあてて冷やすやつね。

昔のマンガとかで、熱を出した人が頭に乗せられる肉まんみてえなやつよ。


あれを4個買うと言い出して。

なぜ4個か? 2個でいいでしょって言ったら、いやどうしても4コだと。

じゃぁ聞くけど、実際にその4コをどのように使うのか説明してみてと。

そんなのちゃんと考えていると。おでことほっぺと首と腕にそれぞれあてがうと。

だから2コじゃ足りないのだと。どうしても4コ必要なのだと。

たわけ。足りないのは氷のうじゃなくてお前の腕ぞ。お前はアシュラマンか何かにでもなったつもりかフザケやがってぇ。


これ。この買い方は節度ないよね。

あ、分かりにくかった。じゃいいやもう。


多分だけど、節度を保つためには基準となるルールが必要なのかも。そのルールを守れない時は節度を保てていないってことで。


でもまぁそれはおいおいで。

今はとにかく自由にやってみ。

課金してみてどうなるか。君がどう感じるのかを見ていかないと分からないから、とりあえず続けてみよう。

お取り寄せグルメ『アンパサンド』をご存知?

オッス! ワシ悟浄!

来週も西遊記、ぜってえ観てくれよな!



「オッス!」と来たら反射的に「オラ悟空!」って言ってしまうところを、敢えて猪八戒でもなく沙悟浄を選定してくるこの卓越したセンスは唯一無二で古今東西例を見ぬ。

 

ところでご存知?

孫悟空猪八戒沙悟浄も、みんな名前に『悟』が付くことを。

いや八戒には付いてねえじゃんって考えるアナタは、きっとイチを聞いてイチしか知らない可愛い人だ。

お母さんがジャガイモとニンジンと玉ねぎをカゴに入れているのを見て

 

「やった今日カレーだ。よおしいっぱい食べるぞぉ!」

 

そういう可愛らしい人。

実はシチューなのに。しかもビーフ。ホワイトじゃなくてビーフシチュー。ざまぁ。

あまり馴染みはないが、猪八戒には観音菩薩から与えられた『猪悟能』というありがたい名前がある。

 

ここで問題だ。少し難しいが考えてみてほしい。

孫悟空に猪悟能に沙悟浄。この三人の妖仙たちに共通して『悟』という字が使われているのはなぜなのか?

 

いやわたしは知らない。知らないから聞いたんだ。誰か教えてくれないかな。

アレかな。三人とも元は天界の住人だったくらいだから、悟っちゃったりしているのかな。

 

それと突然ではありますが、この場をお借りして皆さんに重要なご報告をさせていただきます。

この度わたしは、西遊記猪八戒左とん平ではなく西田敏行派です。

そしてエンディング曲はガンダーラよりホーリー&ブライト推しです。



ここまでいろいろ書いてはきたけど、早い話が冒頭のアレには何の意味もない。無意味なることSTAP細胞の如し。

ただ何となく、鬼のようにどうでもいいオープニングを飾りたい気分だったりもしたけれど、わたしは元気です。

 

魔女の宅急便大好き。ジブリ作品の中では紅の豚と一、二を争うほどに好き。

落ち込んでどうしようもない時に観る映画は、以前はドラえもんやパッチ・アダムスだったけど、今は高確率で魔女宅。

 

あとアンパサンドってご存知?

アンパンを食パンでサンドした千葉のお取り寄せグルメで、最近テレビで紹介されてからその人気に火が付いたっていうのは真っ赤なウソで、『&』の正式名称みたいだ。

初めて知った。知らないことってまだまだあるものだネ。



知らないことと言えば、このアプリはご存知?

 

play.google.com



スマホのゲーム。

数日前から長女(13)がプレイし始めている。ポケコロってやつ。

小学校の時によく遊んでいた友達がやってるのを知って、自分もやりたくなったんだって。

面白くて続けられそうなら、ゆくゆくはその友達とフレンドになりたいらしい。

 

わたしもインストールしてプレイした。

無理解による誤解などを避けるため、娘たちが触れるものは可能な限り自分も触れてみるのがわたしの信念だ。うーむ素晴らしい父親。

 

ただこのゲーム。面白くないとは言わないが、50の声を聞くおっさんが電車の中でプレイしているところを女子中高生に見られでもしたら、何かしらの冤罪に巻き込まれそうな、そんなゲームどす。



で。こないだ長女が奥さんにこんな事を聞いていた。

 

「ねぇお母さん。あたしこのゲーム続けられるかな?」



オーケー話はそこまでだ。わたしにも意見をさせてもらっていいかな?

 

あのね。君はなぜそれをお母さんに聞く?

お母さんがその問いに対する有意な答えを持っていると思ったのか?

いや持っていない。持っているはずがない。

なぜならゲームを続けられるかどうかは、プレイしている本人にしか分かり得ないことだからだ。

 

それとも君は外的要因の心配をしているのか?

自分自身はゲームを続けたいけど、突然スマホが壊れてしまわないかとか。

ゲームのやり過ぎでこの父にスマホを取り上げられはしまいかとか。

 

スマホの故障は如何ともし難いから、修理するか新しいものを買うしかないけど。

でもわたしがゲームやスマホを絶対に取り上げることがないのは知っているだろう?

従って外的要因で君のプレイを阻害するものがあるとは思えない。

 

というかだよ。

君はお母さんが「続くと思うよ」と言えば続けるのか? 自分では面白くないと思っていても?

逆に「続かないんじゃない?」と言ったら、自分では面白いと思っていてもやめてしまうのか?

だとしたら君のアイデンティティはどこにあるんだい?

 

あんちゃん(現・江口洋介)なら、きっとこう言うぞ。

 

「そこに愛はあるのかい?」

 

ちぃにいちゃん(のちの福山雅治)ならこう言うだろう。

 

「やぁめろよあんちゅあぁぁん。小雪が可哀想だろぉぉ」

 

あぁ。全然関係ない。今のは忘れてくれていい。

小雪? いいんだ。君は知らなくていい。



とにかく。ゲームが続くかどうかなど、100パーセント自分で判断すべきことだ。

よしんばその質問を良しとしたとしても、まずは自分なりの考えを導き出した上で人に問え。

思考停止をするんじゃない。いつも言っていることだぞ。

 

おっと。背中を押して欲しかったなどと言うなよ?

あれは今まさに一歩を踏み出そうとしている人の背中だからこそ押す意味があるのだ。

お前のように自分で考えることを放棄した人間の背中など押す価値はない。

100歩譲って父親としてのわたしは押せたとしても、医師としてのわたしが押すことを絶対に許さないだろう。

 

あぁ。わたしは医師でも何でもない。今のは忘れてくれていい。

チームバチスタ? チームメディカルドラゴン? そんなものに所属した覚えなどない。



みたいなことをね。厳しい言い方はしていないけど長女に言ったんですわ。

聞かれたのはわたしじゃなくて奥さんだったんだけど。どうしても我慢できなかったから。

長女は「別にそういう話じゃないのに」とか言ってたかな。

 

そしてわたしは奥さんに聞いた。長女のこの質問どう思うと。

奥さんならなんて答えると。

 

奥「どうだろうね。もう少しやってみてから決めたらいいんじゃない?」

 

いや甘いぞ。こんな答えのない禅問答みたいな質問に真面目に回答する必要はない。

「退かぬ!」の一言でいいんだ。間違えたそれはサウザーの言葉だった。

そうじゃなくて「知らぬ」の一言で良いんだよ。だって事実知らないんだから。



それから奥さんとお風呂の中でその話になった。

あ、ウチは未だに一緒にお風呂に入るラブラブ夫婦だ。

 

長女はただ普通のコニュニケーションとして、軽い気持ちで聞いてきただけだからと。

別に明確な答えは求めていないし。「うーんどうだろねー」みたいな会話をしたかっただけだと。

 

あそうなの? そういうアレな感じでいいの?

なんかムキになってゴメンね。これは謝った方がいいよね長女に。

 

で、お風呂出てから謝ったと。



わたしの悪い癖で。今回に限らずわたしはいつもそう。

悪い癖と言っても、自分では至ってふつうのコトと思ったりしているんだけど。

でも周りによく指摘されるから、まぁ悪いことなんだと思う。

 

例えばわたしと長女の会話でよくあるのがこういうの。

 

私「その宿題、あと何分くらい掛かるの?」

長「今日は数学のプリントが1枚と英語の書き写しが2ページあって……」

私「ゴメン宿題の種類とか量じゃなくて、終わらせるのに掛かる時間を教えてくれるかな?」

 

とか。

 たぶん長女は「英語の書き写しが2ページあって……」の後に、掛かる時間をちゃんと言おうとしてると思うんだよね。

でもわたしはそこに辿り着くまでガマンできずに遮っちゃうんだわ。

ものすごいせっかちってわけじゃないんだけど、そのくだりはムダでしょって。端的に結論を言おうよって思ってしまう。

自分のブログはムダだらけなんだけどな。

 

もう少し余裕を持って会話を楽しむってことをしたい。