俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

わたしが和式便器を避ける理由。

こんばんわ。リーリンチェイ改めジェット・リーたち。


初めにお断りしておくよ。今回の内容は下ネタじゃない。

記事のタイトルで警戒した人もいると思うけど、繰り返すね。今回の内容は断じて下ネタじゃないよ。

どうか安心して読み進めてください。

 


つい先日、わたしはショッピングモールで大便意を伴う腹痛に襲われた。


個室の空いているトイレを探したが、どこも空いていない。


大便は肛門へのノックを一向にやめようとしない。


初めは社長室への入室許可を求める秘書さながらの、おとなしいノックだった。


しかし今はまるで違う。お前はL⇔Rかとツッコんでしまうくらいの勢いでノッキンオンマイアヌスしてくる。


残された時はもう僅かしかなかった。

わたしは必死でモール内を駆けずり回り、やっと空いている個室を見つけた。


和式便器のトイレだった。


わたしは迷った。入るべきか入らざるべきか。

なぜならわたしは和式便器が苦手だった。


しかし事態は一刻を争う。

選り好みができる状況にはなかった。

便器の形態にこだわるあまり脱糞する事を選ぶなど、ハイリスクローリターンに過ぎる。

 

ちょっと待てこの野郎。お前の目はフシ穴で出来ているのか?


1.大便意をもよおす

2.便器の形態へのこだわりを貫き通す

3.和式便器を拒絶する

4.大便を漏らす


これの一体どこにローリターンがある?

教えてくれ。そのわずかなローとはどこだ?


自分のこだわりを貫き通せたことか?

確かにそこはリターンなのかも知れない。

だがそれが何になる?


漏らすぞ。


もう一回言う。


漏らすぞ。


いいか先生何回でも言うぞ。


モ・ラッスゾーン。


ゴメンちょっとフザケた。

何か急にアン・ルイスの『ラ・セゾン』っぽく言ってみたくなった。

 

てめえあのな。

この際ハッキリ言っておくぞ。

お前は便器の形態を選べるような立場ではない。

そんな贅沢は許されない。


お前もわたしもしがないいち庶民。

豪邸にトイレがいくつもあり、大便意に窮する経験などせずに生きてきたセレブとはワケが違う。


ウサギ小屋と揶揄される狭い家に大人数でひしめき合って暮らし。


一つしか無いトイレを朝な夕な奪い合い。


やっとの思いで勝ち取ったトイレは前利用者の悪臭にまみれ。


えずき涙しながら必死で大便をする。

それが我々だ。


何かにこだわることは悪いことではない。

それほどまでに和式便器が嫌なら、頑なに避けて通ってもいい。


しかしお前のそのこだわりは、ローリターンではなくノーリターンだ。

そしてその選択は、単にお前が人生において脱糞する確率を増加させるに過ぎない。


それでもお前にとっては、便器の形態にこだわった結果という納得と自負があるだろう。


だが周囲は違う。

周囲にとってお前はただ『ウンコしたくなると何かウンコ漏らしちゃう人』としか認識されていない。


お前はそれでもいいのか?

というか、そもそもお前は誰だ。

わたしは誰に向かって問いかけているのか。


ああ、わたしだ。

お前とはわたし自身のことだった。

良かった。これでやっと話を元に戻すことが出来る。

 

結局わたしは、その空いていた和式便器のトイレには入らなかった。

すぐに隣の洋式便器の個室が空いたため、事なきを得たからだ。

 

わたしが和式便器を避ける理由は三つある。


一つ。足がしびれる。


ズボンとパンツを膝辺りまで下ろした状態でしゃがむため、膝から下の血流が全て遮断される。

だから用を足し終わった頃には足がしびれている。

立とうと思っても容易に立てない。


過去に一度、立った瞬間に自制が効かなくなり、右足を便器の中に突っ込んでしまったことがある。

幸い何でも無い日だったから良かったものの、これが付き合っている彼女の実家に初めてお伺いする日だったらどうなっていた?


母「あの彼って良い人そうだけど、足が異様にクサイのね。大丈夫?」


父「お前の連れてきた彼氏はアレだな。中々に良いヤツそうだが、いかんせん足が異様にクサイな」


妹「お姉ちゃんの彼って足がドブなの?」


婆「ナンマンダブナンマンダブ……」


ババアが断りもなく除霊し始める程の足の臭さを持つ男性に、誰が大切な娘を嫁にやるというのか。

結婚どころの騒ぎではない。

 

一つ。肛門まで手が届きにくい。


加齢と運動不足で最強に固くなった身体。そこに不摂生による肥満が加わる。

結果、ティッシュを持った右手を肛門まで到達させるのが至難だ。


満足にケツが拭けない。

拭けないから大便がパンツに付着する。

だから家に帰って、脱いだパンツをそっと洗濯かごの奥の方に滑り込ませることになる。


運動すればいい。痩せればいい。

言うは易しだこの野郎。


加齢によって基礎代謝が落ちまくったこの身体。容易なことでは体重が落ちない。


エアロバイクを買い、必死で500kcalを消費する毎日を1ヶ月も続けたのに、一切痩せなかった俺だぞ。一切だからな。


分かったかこの野郎。

基礎代謝をあげるためには辛いものを食べればよいという、正しいのか正しくないのか分からない理論により、異様な頻度で夕食時に激辛のスンドゥブが出されるようになった我が家をナメんなよ。

 

一つ。背徳感がすごい。


長らく洋式便器に慣れ親しんだせいか、今となっては和式便器というものが異質に思えてどうにもならなくなった。


洋式便器は問題ない。その深いボウル形状が『大便をトイレでしている感』を助長してくれている。


しかし和式便器にはそれが一切ない。

だってあれほとんど床だろ。

できる? 床にウンコ。わたしは出来ない。


え? いいの?


だって床だぜ?


こんなところに出していいの?


出すよ? ほんとに出すよ!?


出るっ!!

 

ふぅ……。

やっぱり下ネタはいい。


最後に。

便器に関する過去記事があることが驚異的だが、ちゃんとあるので下に紹介しておく。

屋台の焼きそばを食べさせるべきか否か。それが問題だ。

先日、知人(男性)から聞いた話。

 

知人の子ども(7歳 男)の誕生日。

お祝いに、ちょっといいとこでご飯を食べようと言う話になったらしい。

でもちょっとしたモメ事が発生。


その食事処に行く前に立ち寄った場所で、子どもがお腹を空かせてしまって。

屋台の焼きそばを指差して「あれ食べたい」と言い出した。


知人は食べさせなかった。

だってこの後、ちょっといいとこでご飯を食べるつもりだったから。

いま屋台の焼きそばで腹一杯になられちゃたまらんと。


だから知人は子どもに言った。

もうちょっと我慢しよう。このあと美味しいもの食べに行くからと。そう宥めた。


でも子どもは言うことを聞かなかった。

やだ。絶対に焼きそば食べたいとゴネだした。

だから知人は叱った。少しきつめに。

子どもは泣いた。


その後、ちょっといいとこに食事に行った。

そしてちょっといいご飯を食べた。

子どもは焼きそばが食べられなかったのでご機嫌斜め。

当然、美味しそうにも満足しているようにも見えない。


知人も「せっかく連れてきたのに」となった。

また子どもが泣いた。

暗いCry誕生日。


そんな話だった。

 

その話を聞いて、知人には「大変だったね」って言うに留まったけど、実は本音ではこう思ってた。


食べさせてあげても良かったんじゃないかねって。

屋台の焼きそばをさ。


だって、誕生日だから子どもに美味しいものを食べさせてあげて、喜んで欲しかったわけでしょ。


レストランを予約してて、コース料理が出てくるとかだったら仕方ないけど。

そうじゃないなら、別に屋台の焼きそばでも良くない?

本人が食べたいって言ってるんだから。きっと美味しがってくれるし、喜んでもくれるよ。


ダメかね。 それで目的は立派に達成していると思うんだけど。


だいたい子どもなんて、ねるねるねるねとか食って「おいしい」とかほざく生き物なんだから。

いいもん食ったって大して分かりゃしないし、特段に喜んだりはしないでしょ。


だってあいつらって、夢庵でも藍屋でも、なーんも反応変わらんもん。

つっても今はどっちもそんなに変わんないか。


その子どもにとってどっちに価値があるのか。

さんざん待たされて食べるちょっといい食事と。

お腹空いた時にすぐそこで買って食べられる屋台の焼きそばと。

わたしはこのケースだったら、屋台の焼きそばの方に価値があると思っちゃうんだけどな。

 

わたしもそうだから、多分に自戒の念も込められてんだけど、いつの間にか目的が『喜んでほしい』じゃなくて『喜ばせたい』になっちゃうんだよ。


喜ばせたいと思うから『ちょっといいとこでの食事』にこだわるし、それで子どもが喜ばなきゃ『せっかく連れてきてあげたのに』ってなる。

「せっかく連れてきてあげてるのに喜ばないとは何事か!!」って、何この恐怖政治。

本質を見誤っちゃってるんだ。

 

長女(13)の入れてくれたサクランボの紅茶を飲みながら、そんな事を思ったイブニング。

可愛 男吉。

わたしのはてなでのニックネームは『わいだん』だけど、実際のあだ名も『わいだん』だったりする。


これを期に公開してしまうけど、それがしの名は『可愛 男吉(かわい だんきち)』と申す。

以後お見知りおきを。


もうお分かりでしょう。

か『わい』『だん』きち=『わいだん』だ。


待って。一旦待って。疑う気持ちは分かる。

今までわたしの記事を読んでくれていた人なら、なおさらウソだと思うだろう。

でも騙されたと思って、取り敢えず聞いてほしい。


わたしは中学生の頃、両親を問いただしたことがある。

なぜわたしの名前をお笑いマンガ道場の『車だん吉』みたいにしたのかと。


父はわたしにこう言った。


「これからの世は、男らしい男というだけではダメだ。男らしさの中にも可愛らしさを備えていなければならない。お父さんとお母さんは、君にかわいい男性になって欲しいという願いを込めて『可愛 男吉(かわいだんきち)』と名付けたんだよ」


名前だけでなく名字まで一緒に名付けられてしまうという、わたしの出自が謎に満ち溢れてしまったところでウソぴょん。

 

本当のことを言うと、わいだんは『ワイルド』と『ダンディ』の、それぞれの先頭文字を組み合わせて決めた。


なぜワイルドとダンディから文字を拝借したのか。

それはわたしがワイルドでダンディだからだ。


うるせえ聞け。

ゴメン聞いて?

分かってる。言いたいことは分かってるから。


わたしとて一応の社会通念は持ち合わせているつもりだ。

このワールドワイドなエレクトリックオーシャンで、自らをワイルドでダンディなどと発信するほどのアイアンハートは持ち合わせていない。


話は長女(13)が幼稚園の頃。今から8年ほど前までさかのぼる。

いや頼むよ。さかのぼらせてくれよ。


わたしのニックネームの由来などに興味はないのは分かってる。

心の中でそう思うのも自由だ。

だがそれを言葉にする事はこの卑弥呼が許さぬ。

さあ。さかのぼりに付き合え民よ。

 

奥さんから聞いた話ね。

当時、奥さんが幼稚園のママ友達とランチをしていた時に、ママ友が言ったらしい。


「そういえば、パパさん(わたしのこと)ってダンディでワイルドだよね」

 


あどでー


んどでー


ぜんぜんわがんだいー


フザケやがってこの野郎。

折り合いが付かなさ過ぎて、貴乃花親方の幼少期になっちゃったじゃないかよ。


正直嬉しかったよ。ダンディもワイルドも。

そんな風に言われたことなかったし。

でもどっちかで良かった。二つは望まなかった。


だってダンディとワイルドって負の相関じゃないの?

ダンディが増えればワイルドが減る。

ダンディが減ればワイルドが増える。


ダンディでワイルドってのは、分かりやすく言えば『竹野内豊みたいな竹内力』ってことだぞ。

何かすごいの想像したろ?

全然知らなかったけどわたしってそういうイメージなのか?  だったら何かゴメン。

 

今となっては、そのママ友たちが何をもってわたしをダンディでワイルドなどと評したのかは分からない。

 

でもわたしの中ではこう考えて折り合いを付けている。

きっとママ友たちは、わたしを揶揄していたのではないか。

竹野内豊みたいな竹内力』というより、

ダンディ坂野みたいなスギちゃん』という、からかいの意味で言っていたのだと。

わたし自身、その方が大いに納得できる。

 

だから『わいだん』が『ワイルド』と『ダンディ』から組み合わせたってのは本当だ。


でも読者登録をしてくれている方々の中には、わいだん=猥談と思っている方が多い。


そう勘違いされるんじゃないかとは思ってた。

でも最近は猥談なんて言葉は使わないから、まぁ大丈夫かなとタカをくくっていた。


ナメてた。

わたしのブログを読んでくれる方々のじじいエーンばばあ率をナメてた。

みんな普通に知ってんだもん。猥談って言葉を。


いまさらニックネームを変えるのもアレなんで、そんなわいだんを、これからもよろしくお願いします。


そして全宇宙の可愛男吉さんゴメンナサイ。

犬吠埼にゴジラが現れた。そしてコーヒーはやっぱり武藤が最高。

おはようございます烏合の衆改め皆の衆。

アイスコーヒーが美味しい季節になりましたね。

ちなみに我が家はコーヒーは無糖ですが……

 

それはそうと、2ヶ月ほど前の週末に、家族で千葉県の銚子にある犬吠埼灯台に行ってきた。

ゴメン突然に『それはそうと』過ぎたかもしんない。

以後注意するねせんべろ(てへぺろとせんべろを間違えたというジョークの意)。


展望台に昇って雄大な水平線に癒され、いい気分で降りてきたらハゲたオッサンが常軌を逸した怒鳴り声で誰かとケンカしてた。

 

勘弁しろよハゲじじい。

あーハゲは言い過ぎたわゴメン。

じじいはともかくハゲは本件には何ら無関係だった。

そこについてはハゲしく反省。素直に謝るね。


でもじじい聞いて?

俺はね。仕事で溜まりに溜まったストレスを発散させるために、わざわざ時間とお金を掛けてここまで来たのよ。


他の人達もいろんな理由はあるだろうけど、楽しむ事を目的としているという点において、恐らくは共通してるはずだと思うんだわ。


いずれにせよハッキリしてるのは、少なくともどこぞのじじいの頓狂な怒鳴り声を聞くために銚子まで来たわけじゃねえってことよ。


台無しなのよ。

たったいま俺が展望台で浴びてきた、マイナスイオンだか1/fゆらぎだか知らねえけど、なんかそういうミラコーなパワーが台無しなの。


返せ。

ここまでの時間及び心身的労力並びに消費したガソリン代に加えて灯台への入場料そして来る途中に丸亀製麺で食った担々うどんの代金を返しなさいよ。


イマイチ美味しくなかったんだよ担々うどん。

あんまりボケボケした味だったから、ただひたすらに淡々とうどんを啜るしかなかったわ。担々うどんだけに。ウフフ。

 

うるせえハゲじじい。そんな小粋なジョークが言いたかったわけじゃねえ。

ゴメン。ハゲはダメだったんだっけ。


あーもういいやめんどっけえ。

ハゲはハゲだろジタバタするなよ世紀末が来るぜ。シブがき隊がそう言ってた。昔。


もう以後は『ハゲじじい』で表記を統一するぞ。

いいんだよ知ったこっちゃねえ。

元々俺のブログなど、ハゲだのデブだのウンコやゲロが満載の汚ブログなんだから。

危うく初心を忘れるところだったけどこの初心は忘れていいの私のことなど一人で生きる術なら知っている悲しいけれどこの歳ならと知子と新司が言ってた。昔。

 

だからさ。

ハゲじじいと相手の人の間にどんないざこざがあったのかは知らないよ。知りたくもねえし。

どうせ大した理由でもないんだろうからさ。


どっちにしろ、そんなに怒鳴らなくてもいいでしょうよってこと。

俺の勝手な言い分なのは分かってるけど、お願いだからケンカするにしても静かにやって欲しいわけよ。端の方でひっそりと。


ケンカの仲裁をしてもいいんだけど、過去の経験からケンカの仲裁はしないことに決めているから。


それにとっくに引退したとはいえ、殴り合いのケンカになれば、元ボクサーという理由だけで正当防衛が成立しにくい厄介な身でもある。


そうじゃなかったら、今頃は高嶺竜児先生から伝授された最強のスーパーブロー『ウイニング・ザ・レインボー』をお見舞いしているところだぜ。


うん。そうだね。俺が過去にボクサーだった事実はないね。

 

そんな事をね。ハゲじじいを眺めながら思ってたのよ。

そしたら遠くの方からハゲじじいに近づく人影があって。


漆黒のライダースジャケットを着た、見たところ30代後半くらいの男性。

何となくロカビリーっぺえなって思ったから、ここでは便宜上『尾藤』って表記する。

イサオね。尾藤イサオ。ロカビリーの先駆けと言われたとか言われないとかのヒト。


尾藤がハゲじじいに言うんだ。


「みんな楽しみに来てんだからよ。うっせえんだよ静かにしろよオッサン」


最初は強気だったハゲじじいも、尾藤の迫力に押されて次第に小さくおとなしくなって、いずこへと消えてしまった。


拍手は起きなかったけど、周りからは「おぉー」みたいな声は上がって。

みんな突然現れたヒーローに温かい視線を送っていた。


その視線に答えるでもなく、漢・尾藤はその場を後にした。

そして少し離れた広場に停めてあった、まるでオーガズムを迎えた女性みてえに反り返ったバイクにまたがって、


「ウォンウォンウォンウォンウォーーーンッ!!!」


走り去っていった。

ハンドル超絞ってた。

 

ナメてんのかこの野郎。尾藤のくせに。

ウォーーーンじゃねえんだよ。

よくもそれでハゲじじいの事をうっせえだの静かにしろだの言えたな。


お前はゴジラか?

ゴジラまともに観たことないからよく知んないけど。

怪獣は倒すけど自身も怪獣という。

倒した怪獣と同等、あるいはそれ以上に自分も存分に街を破壊するという。

怪獣を倒してくれるのは嬉しいけど街が壊れるのは結果同じという。


立ち位置を明確にせえ尾藤。

こっちサイドの折り合いをどこにつけて良いのか分かんねえだろがよ。


武藤として生きるのか。


加藤として生きるのか。


我が家はコーヒーは武藤です。

『かがみの孤城』を読んだ。ネタバレはない。たぶん。

最近になって小説を読みはじめた長女(13)が、「すごく面白かった」と薦めてくれたのが、この『かがみの孤城』だった。

 

かがみの孤城

かがみの孤城

 

 


長女だけでなく奥さんも太鼓判を押していたので、それならとわたしも読んでみたら、とても面白かった。

 

新田真剣佑さんが初見から超絶イケメンであるのと同じように、面白い本も最初の数ページ、あるいは数行からもう面白い。

きっとそうあるべきなのだと思う。

いくら読み進めても物語に引き込まれない小説に、大切な時間を割くことはできない。だからこそ最初の数ページが肝要なのだ。


新田真剣佑さんがいかに超絶イケメンでも、初対面で大量の鼻毛を露出していたら、そんな人に今後の淡い恋心を向けるわけにはいかない。だからこそ初対面は重要なのだ。


初めが肝心とはよく言ったもので。

長女はこれまでほとんど小説を読んだ事がなかったから、初期段階でこういう面白い本に出会えた事は、とても運が良かったと思う。

わたしは26歳まで小説など読んだことがなかったが、27歳の誕生日を期に本を読む事を決意し、古本屋さんで手に取ったのがシドニィシェルダンの『ゲームの達人』だった。

この本がむちゃくちゃ面白くて、そこからわたしは本が好きになった。

最初にどんなものに出会うか。それはとても重要だ。


そう考えれば『ウニに人生の半分を捧げている人』の言うことも、あながち間違ってはいない事になる。


わたしが「俺ウニいまいち苦手なんだよね」と言うと「あー。それいいウニ食ったことないんだわ。人生半分損してるよそれ」と言ってくる人のことだ。一定数いる。


あなたの言う『いいウニ』の定義が分からないが、あくまでわたしの経済的事情としてはそれなりの金額を支払った上でウニを食べ、それでも残念ながらウニはわたしの口には合わなかった。

わたしはあなたがウニに自分の人生の半分の価値を見出す事は自由だと思うので否定もしないが、ウニ生産者でもないわたしはウニにそこまでの価値を見出だせるとは思えない。

よって今後二度とわたしに断りなく勝手にわたしの人生をジャッジするな黙れ小僧。そしてお前の言うその『いいウニ』の発注と代金はお前が負担してわたしの自宅に送付しろ。わたしに精神的苦痛を与えた賠償だ。


こういう人は大抵において他の食べ物についても同じような事を言うので、その人の人生のほぼ全てが何かしらの食べ物に捧げられていて幸せだと思う。

少なくともこういう毒にも薬にもならない屁理屈をこねるわたしなどよりは。

 

何の話か。

本の話ではなかったか。

本題に戻ろう。


物語の仔細に触れてしまうのは避けたいのだが、一つだけ。主人公の女子中学生は学校に行っていない。


以前の記事でも触れたように。長女は場面緘黙症なので、学校ではほとんど話せないし動けない。

それでも懸命に中学校に通い続けている長女は、本当にすごいと思う。

わたしが長女と同じ境遇なら、間違いなく学校には通えていない。

もう人として尊敬している。


長女には、学校に行けなきゃ行けないでいいとは伝えている。無理だと思ったら行くのをやめてもいいと。宿題がイヤで行きませんじゃ困るが。


逃げられる環境なら逃げてもいいじゃん。

逃げると言うとネガティブにしか聞こえないが、場合によっては逃げる事は何かに立ち向かう事と同じくらいの勇気が必要だと思っている。

なぜなら逃げるということに立ち向かっているわけだから。


だから敢えて『逃げる』という表現は改めない。逃げるでいい。逃げるがいい。

これは自分も苦手とすることだが、人は逃げるということをもっと上手になった方がいい。逃げた後のことは逃げたあとで考えたらいい。取り敢えず危険なところからは離れて身の安全の確保を。向こうに熊がいるのに「逃げちゃダメだ」などと言うつもりか? そういうのはサードチルドレンの碇シンジ君だけでいい。


仮にこの先に長女が逃げるという選択をしても、絶対に責めたりせず、逃げることを選択したその勇気を褒めてあげたい。

出来るかどうか分からないが。


そのためには「弱音を言っても逃げても責められない」という家庭の空気づくりが大切だと思っている。

一番怖いのは、学校であったことを気軽に家庭で家族に話せないことだ。

わたしは会社での愚痴や弱音を家族の前で言うのを良しとしないが、それでも夕食の場などで敢えて口にすることがある。


親がそういう姿を見せることによって、そういう事を言ってもいい空気ができる。

そうすれば娘たちも同じ様に学校のことを話してくれるかも知れない。話してくれれば、そこに含まれている大切なことやトラブルへの対処も出来る。


だからわたしは定期的に会社をズル休みしちゃったりする。

これも、そういう親の姿を敢えて娘たちに見せることが目的だ。あぁ疲れたら休んでも良いんだと言うことを分かってもらいたい。切に。本当だ。

 

なんて事を、鏡の弧城を読み終わって思った。

本を読んだのは久しぶりだ。面白い本を読むと、途端に読書のスイッチが入る。


でもなかなかに本を読む時間が取れなかったりする。こんなわたしでも日々それなりに忙しかったりするからだ。

ゲームをしたり自慰をしたり映画を観たり自慰をしたりスマホをイジったり奥さんをイジったり自慰をしたり。忙しい。


するよ自慰。普通に。老いたとはいえ40代。まだまだ現役だし原液。ナメんな。チャンスさえあれば毎日だってする。

Hey Jii。エッチな動画を再生して。


どこで歯車が狂ってしまったのか。図らずもわたしはここに自慰の表明をするに至ってしまったわけだが、わたしのようなジジイのジイはともかくとして、ここ最近奥さんのことはイジってない。


仕方がない。

ウチは家族4人が一つの部屋で寝ているから。身体が触れるくらい近くに娘たちがいたら、そりゃそんな簡単にはコトに及べない。

だから決して奥さんに魅力を感じなくなったとか、わたしの精力が減退したとか、そんな話ではない。


つーかウチの夫婦のセックス事情など放っておけ。

だいたいこれは本の話ではなかったか。

実写版『アラジン』を観る時は、ジーニーの頭に気を付けろ。ネタバレはないです。たぶん。

 

以前に実写版の『美女と野獣』を観ました。ハーマイオニーが出ているやつです。



映画館じゃなくて家のテレビで観たのですが、ものすごく映像が綺麗で感動しました。

城の食器たちがベルを迎えて『ビー・アワ・ゲスト』を歌うシーンなど、32インチのテレビで観てすら圧巻の一言。実写がアニメを超えたと思いました。


しかし感動と同時に激しく後悔もしたわけです。なぜわたしはこの作品を映画館で観なかったのかと。

決して観に行く時間が無かったわけではなくて。日常の雑務に追われている内に、いつの間にか公開が終了してしまったのです。

公開だけに後悔したというわけですね。ウフフ。


わたしはこの界隈では『決して同じ轍を踏まない男』として全然有名じゃないんですよ何言ってんですか。

放っておくと何回でも同じ過ちを繰り返す愚か者。近藤真彦翁もクリビツテンギョー。それがわたしなんです。

だから今回は、映画の公開後すぐにチケットを予約して観に行ったのです。

あ、ちなみに吹き替え版です。

 

肝心の内容なんですけどね。

レビューをすると言っておきながら、まぁ例によってわたしは詳細なレビューはしませんし出来もはん。

あぁすみません。鹿児島暮らしが長かったもので、ちょっと気を抜くとすぐに薩摩弁が出てしまうのでごわす。ウソでごわす。


えーとですね。そう、レビューね。

この映画を観る上での注意点があるんです。

それはね。歌です。

劇中の歌の歌詞がね。8割くらい聞こえねえんでありんすよ南方先生。


このアラジンは、物語の合間でキャラクター達が突然狂ったように歌い出す、そんなディザスタームーヴィー。

なのに肝心の歌の歌詞がよく聞き取れないんですよ。何か大きい声でガーガーモニャモニャ歌ってるんですけどね。あれ多分みんな本番中に熱々の揚げ出し豆腐を食べているんだと思いますネ。


和尚がね。和尚が法事で念仏唱えてるんじゃないんですから。はっきり聞こえるように歌いましょうよ。


和尚も和尚だよ。あいつらだってあんなもん、なに喋ってんのか分かったもんじゃないですからね。念仏唱えるフリしてオリビア・ニュートン=ジョンのフィジカル歌ってても分かんないですよ。木魚ポクポクして。故人の霊に対してフィジカルも何もあったもんじゃないっつーの。


あれ? なんだっけ。あ、歌が聞こえないということですよね。そう。

もちろんちゃんと聞き取れる歌もあるんですけどね。たぶん映画館の大音量が反響して聞き取りにくいんだと思うんです。知らないですけど。


なのでこれから観に行かれる方は、ぜひその事を念頭に置いていただいてですね。

わたしのように『8割は聞こえない』とネガティブに考えず、『2割は聞こえる』と思うようにすると、ご家庭でも美味しいビーフストロガノフが出来ると思いますよ。

レッツポジティブクッキング。

 

あと和尚といえば。すいませんあとちょっとだけ和尚を引っ張るんですけど、ウィル・スミスさん演じるジーニー。ジーニーのスキンヘッドがすっごい綺麗。


あれほどに優秀なスキンヘッドは、和尚か西遊記の時の夏目雅子さん以来じゃないですかね。マジ一見の価値ありますよ。

わたしなんて気づいたら、途中からジーニーの頭しか見てませんでしたからね。

あぁ、歌がよく聞こえなかったのはそのせいだったのかな。


ということで。

この映画を観る上での注意点がハッキリしましたね。


ジーニーの頭には気を付けろ』


以上。スタジオにお返しします。


 

余談ですけど、本編が始まる前の予告でライオンキングのフルCG版の映像が流れていました。

すっごいリアルでしたよ。まるで実写でした。でもコレ単なる『野生の王国』になっちゃいませんかね。

いいのかな。あれはあれで。CGスゲーってなるからね。


今後ディズニーは、こうして昔のアニメ作品を実写化し続けていくつもりなのですかね。

でも今の技術のままでは、実写がアニメを超えていくのは限界があると思うんですよ。まぁ別に超えなきゃならない義務はないですけど。


記事の冒頭で、実写版の美女と野獣を「実写がアニメを超えた」って書きましたけど、あれって正確には「CGがアニメを超えた」ですよね。ハーマイオニー綺麗だったけど、別にそこに感動したわけじゃないですから。


例えばラプンツェルとかアナ雪なんて、あれフルCGでしょ。そうすると『アニメ対CG』の構図じゃなくなりますよね。

じゃあ『CG対実写』かっていうと、そうでもない。だってキャラクターだけ実際の役者さんに変えても絶対面白くないもの。

だからこの先の実写化は『CG対CGを超える新しい表現技術』という構図にならざるを得ないのではないでしょうか。結構難しいですよね。


それでもあくまで実写版の制作を続けるというのなら、わたし提案あります。

ベイマックスを実写化する際は、どうかハリセンボンの近藤春菜さんを起用していただきたい。


クライマックス、異次元空間に消えていくベイマックス


ヒロ「ベイマーックス!!」

春菜「いやベイマックスじゃねえよ!」

ルイ「違うんかーい! ルネッサーンス!


これが観たい。

わたしは長女の運動会に行けない。

この時期に運動会を開催する小中学校は多い。

ウチも先週に次女(10)の運動会が終わって、今日は長女(13)の中学校が運動会だった。

わたしは観に行けなかったけど。


運動会というのは、運動が得意な人にとっては楽しい行事なんだろう。

次女なんかは比較的運動が得意だし好きだから、運動会を楽しみにしていた。


でも長女はそうじゃない。運動神経が鈍いというより、無い。

加えて場面緘黙症だから、学校では自分の感情を出せないし喋れないし動けない。

長女にとって、大勢が見ている前で飛んだり跳ねたり走ったり踊ったりする運動会など、地獄に等しいはず。


長女が場面緘黙だと気付くまでに、わたしはかなりキツい事を言った。

長女が小学生の時、運動会が終わるたびに説教した。


出来ないんじゃない。やらないだけだ。

お前の努力が足りないからだ。

甘えてんじゃねえ。

根性出せ。

情けねえ。


場面緘黙症というものを知らなかったとはいえ、本当に酷かった。


今はもう、うまく出来なくても何でも良くて。

学校に通っていると言うだけで拍手喝采すごいすごいという心境になれた。


でも長女には「出来れば運動会には来ないでほしいかな」って言われていて。

やっぱりわたしが行くと緊張するし、小学生の時みたいにまた怒られるんじゃないかと思っているらしい。


だからわたしは長女の運動会には行けない。

仕方ない。今までが酷過ぎた。気付くのが遅過ぎた。

これから少しずつ罪滅ぼしをしていかないと。


あ、今日はヒトカラに行ってきました。


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