俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

あの時、あの体育の授業で。

昔はこぶし1コ分の幅(約8センチ)を『一束(ひとつか)』として、長さを測る目安にしていのだとか。『束の間』の語源でもあるらしい。身近に便利なモノサシがあったものよ。

わたしも過去に一度だけ、こぶしをモノサシとして使ったことがあった。カカトを揃えて立った時のわたしの両脚の間を、縦にしたこぶしはなんなく通過した。
そう、わたしはO脚だ。

 

自分がO脚だと気付かされたのは小学4年生の時だ。誰に気付かされたか? そんなの決まってんじゃん、小野君にだよ。

「ねえ、タモさんってすっごいO脚なの知ってる?」

体育の授業の時、小野君が突然わたしの前に立って説明しはじめた。

「こうやって両脚をくっつけようとするでしょ? そうするとフツーは脚と脚がくっつくの。でもO脚の人はくっつかないの。アルファベットのOみたく隙間が空くの。タモさんがそうなの」

そう言って実演した小野君はO脚ではなかった。完全に両脚がくっついていたわけではなかったが、少なくともO形状のスキマは空いていなかった。

興味を持ったわたしも立ってやってみた。なかなかにO脚だった。小野くんにすごく笑われた。

とても恥ずかしかった。説明のときに小野君が言っていた「フツーは~」という言葉が、わたしは普通じゃないんだと絶望させた。この瞬間、わたしにとってO脚はコンプレックスとなった。

 

それからのわたしは、ただひたすらに人前で脚を閉じて立つことを避けて生きてきた。
電車の中で立っている時も、レジでお金を払う時も、会社の発表会でプレゼンをする時も。どんな時でも脚の開きは「肩幅」が基準になっていた。

その内わたしは会社の中で『常に脚を肩幅に開いている男』として有名になった。
一度同僚に聞かれたことがある。どうしてあんなに脚を開いているんだと。なにか深いワケがあるのかと。

「O脚だから」などとは口が裂けても言えないわたしは、苦し紛れにこう言った。「いつ敵に襲われても対処できるように」と。

それからのわたしは『常に脚を肩幅に開いている男』から 『常に見えない敵と戦っている脚を肩幅に開いている男』として改めて有名になった。出世しちった。

 

さて。

そうやってO脚とネガティヴな付き合いをしてきたわけだが、わたしとていつまでも手をこまねいていたわけではない。実はかれこれ10年ほど前から独自のO脚矯正法を実践してきた。それを今から紹介しよう。

その理論に気付かせてくれたのは、異様に外側がすり減った自分の靴底だった。
理論の詳細はこうだ。

・O脚は脚の外側に重心が掛かるため、靴底の外側だけが顕著にすり減る。
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・外側がすり減った靴を履き続けることで、より外側に力が掛かった状態が続くことになり、O脚に拍車が掛かる。
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・したがって意識的に脚の内側に力を入れて歩けば、靴底は逆に平行ないし若干内側がすり減るようになる。

・そうすると自然に脚の内側に力が掛かるようになり、やがてO脚が矯正される!!
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この理論を発見したとき、わたしは思わず身震いした。これでO脚が治るかもしれない。人前で脚を閉じられる日がくるかもしれない。見えない敵に備えているフリをしなくてもよくなるかもしれない。

 

それからわたしは、どんなときも脚の内側に力を入れて歩き続けた。雨の日も風の日も。ウンコがしたくて最高速で家路についている時でさえ。

そしておよそ10年が経過した現在。わたしが得たものは、靴底を外側にすり減らさせない技術のみだった。O脚は今も治っていない。そしてこれからも治らないだろう。

 

あの時、あの体育の授業で、小野くんがわたしに話し掛けて来なければ。きっとわたしは自分がO脚であることを知らずに、一生コンプレックスを感じることなく気楽に生きられただろう。

おのれ小野くん。君は今どこの空にいるのか。君が30年以上前に発した何気ない言葉が、未だ1人の男に悩みを抱かせ続けているとは、つゆほども思っていないのだろう。

人は罪深い。