俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

長女(12)が今日から中学生です。

 長女は小学生の時、学校で自分を出すことが一切できませんでした。家ではうるさいくらいに饒舌だし、変な歌やお芝居をして家族を楽しませるムードメーカー的な存在で、誕生日や何かの記念日があると、自ら様々なイベントを企画し、100均で買った『私は司会者』のタスキをかけてMCをこなすようなめちゃくちゃ明るい子なんです。


 でも学校では、友達と話すことができないし、運動会では走るのも踊るのも全然体が動かせないし、いわゆる授業参観でわたし達が学校に行けば、能面のような顔で固まってしまう。そんな子でした。


 一度、授業を見に行った時、班の中でジャンケンをして何かを決めるという場面があったのですが、長女は恥ずかしさからか、そのジャンケンすらすることが出来ずに固まっていました。それを見たとき、正直言ってかなりショックでした。


 長女のそんな姿を見るたび、わたしは長女の努力が足りないんだと思い込んでいました。なぜなら家では全く真逆の長女を知っていたからです。

 なぜ学校でもっと自分を出さないのか、家ではこんなに自分を出せるのに。激しく叱ることもあれば、時には泣きながら『お願いだから学校で自分を出してくれ』と懇願したことも何度もありました。自然に自分を出した方が彼女にとって絶対に良いと思ったからです。


 ある時、奥さんが『場面緘黙』なるものがあると教えてくれました。強い不安や緊張から学校や特定の場面で話せなくなってしまうことです。長女はまさしくこれでした。今は育て方の問題ではないとされていて、脳の働きに起因しているとされているようです。

 それを知ってからは、長女に学校で自分を出せ出せ言うのはやめました。長女が学校で自分を出せないのは、本人の努力が足りないわけではないと分かったからです。


 そんな長女も明日から中学生です。ですが少し前、わたしは長女にこんなことを言いました。小学校で自分を出せなかったのはいい。だけど、せっかく中学校という、今までと違う環境でスタートできるのだから、はじめが肝心だぞ、と。はじめで自分が出せないと、中学校の3年間はズルズル行くぞと。そして中学生は小学生の時より精神が発達してくるから、小学生の時とは比較にならないくらい、クラスメイトも容赦なく厳しい言葉や行動を見せてくるぞ、と。

 また同じことを繰り返してしまいました。親として娘を心配するあまり、どうしてもそう言わずにはいられなかったのです。


 自分への戒めのために書かせてください。

 ありのままの子どもを受け入れられず、何が親かと。

 中学校で長女が自分らしさを出せなかったとしても、中学校で自分らしさを出せない長女は自分らしいのです。わたしはその長女をそのまま受け入れるべきでした。『べき』というより、そうであるはずなんです。


 今日の夜、上履きの試し履きをしている最中の長女に、私の思いをそのまま伝えました。オレは君に中学校で自分を出せるように気合を入れろ、初めが肝心だから頑張れと言ったけど、ゴメン間違ってたと。自分を出せない君はとても自分らしいのだから、オレはそのままの君を愛していると。だから明日は大いに緊張して不安を感じてそのままの自分で行ってきて欲しい、と。長女もわたしの言わんとすることは感じ取ってくれていたようでした。


 恥ずかしながら、わたしは今したたかに酔っています。酔っていなければこんな文章は恥ずかしくてとても書けません。いつもなら記事を公開する前に推敲を重ねるのですが、この記事は時間もかけずにスラスラとほぼ地の文章です。はじめて気が付きましたが、気持ちのいいものなんですね。思ったことを素直にそのまま書いていくというのは。


 読んでくださった方がいたとしたら、ありがとうございました。いつもそうかもしれませんが、今回は特にオチはありませんので。

 ちなみに『自分を出せない長女はとても自分らしいじゃないか』そう気がついたのは、今日、はま寿司に入る直前でした。備忘録として書いておきます。

  ふざけないと気が済まないところはどうしようもないですね。