俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

21世紀の世界ですら、思い通りにならないことがある。

 21世紀の世界っていうのは何というかこう・・・もうちょっと『来ている』感じだと思っていた。


 ドラえもんは22世紀の世界から来るのだけど、わたしが子どもの頃はずっと21世紀から来たものと勘違いしていた。というか最初の設定では21世紀だったような気がするのだけどな。まぁそれはいいや。


 そういうわけで、わたしが子どもの頃に思い描いていた21世紀の世界は、ドラえもんが生まれた世界そのものだった。行き交う車は空を飛び、人々はピッチリした全身タイツのような服に身を包んでツチノコを散歩させている。日常生活から地球規模の問題まで、全て便利な道具やシステムで解決され、快適な環境が実現されている。

 そしてその世界には当然に子守用猫型ロボットのドラえもんがいる。これがわたしの思い描いていた21世紀なのだが・・・。


 なんか違くない? 21世紀に突入してからもうじき20年が経とうというのに、空を飛ぶ車社会が到来する気配はまだないぞ。

 人々は一定サイクルで繰り返すファッションに身を包んでいるけど、全身タイツはいつになったら世界のスタンダードになるのよ?

 ツチノコなんてペットどころか発見されてもいないじゃないか。いやツチノコはどうでもいい。あんなボンレスハムなど発見されてもキモいだけで何の足しにもならん。


 それより何よりドラえもんはどうした? 机の引き出しから飛び出してくるはずだろう? 四次元ポケットからひみつ道具を出してわたしを助けてくれるんじゃなかったのか?

 ペッパー君しかいないじゃんかよ。アイツこないだ 『はま寿司』 で予約の受付させられてたぞ。「イラッシャイマセゴヨヤクハコチラデウケタマワリマス」とか言って。これが21世紀のロボットなの? 同じロボットでもドラえもんと違いすぎるぞ。場末のピンサロかよ。ホームページで見たあの娘とは完全に別人だろアレは。


 ドラえもんを望むのはさすがに酷だけどね、でも21世紀だよ? いいかげん便意くらいは何とかならないの? 医療の発達で様々な病気を克服している現代に、いまだ人間は便意すらコントロール出来ずに苦しんでいるのだぞ?


 なんで突然に便意の話になるのかというと、先日の月曜日も強烈な便意の中で出勤せざるを得なかったからだ。もう嫌なんだよこういうのは。


 駅のトイレは全然空いてないし。空いててもすごく汚ないし。それでもまだトイレがあるだけいい。 わたしの出勤ルートで最も過酷なエリアである、バスを降りてから会社までの1km15分の徒歩。これがツライんだよ。


 郊外なのでバス停から会社までの間には何もないんだもの。去年まではちょうど中間あたりにコンビニがあったので、いよいよの時はそこでトイレを借りる事ができた。でも今年の1月にそのコンビニは移転してなくなってしまった。

 

wp-dandy.hatenablog.com

 


 あとはバスを降りたすぐ近くにファミレスがあるから、入り口で真っ先に「モーニング!!」と叫んでトイレに駆け込む手もあるけど、食べたくもないモーニングを食べなければならず経済的ではない。


 最終手段として、道の途中にある『米ぼうやくん』という精米小屋の裏で事に及ぶ手もあるにはある。しかし現場を見られた時に崩れ去る男としての尊厳に見合わない。


 要するにバス停から会社までの間は、己の括約筋と精神力以外に頼れるものは何もないということだ。

 妻よ。娘たちよ。君たちの夫は、父は、このようにして毎日を戦い抜いているのだぞ。

 

 まぁ医学で何とかならないにしても、わたし自身は便意は精神力である程度は克服できると信じている。

 その証拠に、経験豊富な皆様に置かれましても、突発的に襲いくる便意の猛威にさらされたことは一度や二度では無いはず。しかしその中で本当に漏らしてしまった人はどれだけいるだろうか。恐らくそれほど多くないはずだ。


 わたしだって例えば電車の中で大の大人が「あーだめだー」とか言って大便を漏らす場面に出くわしたことなど無い。みんな何だかんだで我慢できているのは、取りも直さず精神力が便意を凌駕しているからだ。


 便意に精神力で打ち勝つことが出来る可能性がある以上、わたしは常に便意に勝負を挑んでいたい。だからわたしは強烈な便意に苛まれた時でも、途中下車してトイレに行くということは原則しない。必ず目的地までたどり着くという鉄の意志で会社まで向かう。


 なにせわたしには秘奥義があるから。わたしとてダテにこのルートを長年通い続けていたわけではない。これまでの幾多の戦いの中で、わたしは我流ではあるが便意に打ち勝つためのノウハウを掴んでいた。

 

 わたしはそれを『肛門弛緩術』と呼んでいる。

 素人がやりがちなのが、便を出すまいと肛門を固く閉め過ぎてしまうこと。これは愚策だ。なぜなら重要なのは『いかに便意から気を逸らすか』にあるからだ。極論すれば便意など忘れてしまえばもはや便意ではないのだ。しかし肛門にフルパワーを割り当てることで、どうしても意識が肛門と押し寄せる便意から離れられなくなってしまう。

 それでも持てるパワーの全てを肛門に注ぎ込み、かつそれを目的地まで維持できるのであれば良いが、力尽きたら最後、敵は一気に攻め入ってくるぞ。そうなったらもう奴らを止める術はないと知れ。

 

 ではどうすればいいか。逆にまず全身の筋肉を弛緩させるのだ。どんな時でも力んでいる状態は好ましくない。リラーックスリラーックス。ただし肛門の筋肉までダラッダラに緩めちゃダメなんだよ。出ちゃうんだから。

 全身の筋肉は弛緩させておきつつ、肛門だけは大便が出るか出ないかギリギリのパワーで閉めておくこと。何だったらちょっと出てもいいくらいの力で閉める。これがコツ。

 そうすることで、まず便意への意識を最小限にすることができる。意識を最小限にできれば自然と便意も遠ざかる。便意か遠ざかることでよりリラックスできる。こういう寸法だ。


 いやちょっと出ちゃってるじゃんって思うかも知れないけど、そりゃそうだよ。大義を成すのにノーダメージで辿り着こうなんて甘い考えは早々に捨てた方がいいよ。多少の便とオイニーは厭わないくらいの覚悟が必要だ。肉を切らせて骨を断つだよ。よく分からないけど。

それに小出しにすることで目的地のトイレまでの延命効果も期待できる。多少の漏れなど大事の前の小事。気にするな。パンツは奥さんに謝って洗ってもらえ。それか捨てろ。


 『肛門弛緩述』の他にも『目標先延術』『遅歩鎮静術』などいくつかの技があるのだが、書いている途中であまりのくだらなさに飽きるというわたしの悪いクセが出たのでもうやめたいからやめるのです。


 そしてこんなにもくだらなくて薄汚い文章を、マイルス・デイヴィスのトランペットに耳を傾けながら書いているわたしはやっぱりどこかおかしいのだろうな。


 ※最近ジャズを聴き始めました