俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

『きもちのかたち』を読んだ時に感じた違和感の正体。

 家でお腹を空かせてピィピィと鳴いている愛しい妻と娘たちのために、わたしは会社帰りにマクドナルドに立ち寄った。


 注文を終えたあと、商品を提供されるまでの待ち時間があったので、ハッピーセットでもらえるという絵本のサンプルを手にとって読んでみた。


 『きもちのかたち』という、○△□の3つのカタチが登場する絵本。読んだのは少し前なので内容はうろ覚えだけど、覚えている限りで書いていく。


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 山の頂上にいる ○と△が『かけっこ』をすることになり、2人が頂上から駆け下りる。

 ○は転がれるので速いけど、△は角張っているので遅い。

 △が先を行く○に「まってよー」と叫ぶけど、○は待たないので△が「えーんえーん」と泣きだす。

 ○が「ゴメンね」と謝り、△が「うん。かくれんぼしよ」で仲直り。


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 ○と△が波乗りをして遊んでいるところに□が登場。「いっしょにあそぼ。いーれーて」と言う。

 ○と△は「いまは二人で遊びたいからヤーダーよ」と断る。

 □は「え? ぼくもいっしょにあそびたいよ?」とびっくりした顔になり、「えーんえーん」と泣きだす。

 ○と△が「ごめんね」と謝り、□が「いいよ。いっしょにあそぼ」で仲直り。


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 サンブルで読めるのはここまで。細かいところでは違うかもしれないけど、大筋は間違っていないと思う。

 

 この絵本を読んで感じた正直な感想は「気持ち悪い」だった。


 人間性でグルーピングするなら、わたしは間違いなくひねくれ者の部類だ。それに幼児教育のプロでもないので、この絵本が言わんとすることを何一つ理解できていないのかもしれない。

 それでも2人の娘がいる父親として思う。何なのこの絵本。『泣けば何でも思い通りになりますよ』って言いたいの?


 もし△がわたしの娘だったら?


△「今日ねー○ちゃんとかけっこしたんだけどー全然追いつけなかったからー待ってよーって泣いたらー○ちゃん謝ってくれたんだよー」


 いや泣きゃいいってもんじゃねえべ。まず「待ってよー」と懇願して泣く意味が分からん。キミたちはかけっこをしていたんでしょう? かけっこってナニよ? みんなで歩調を合わせて横一列に並んで走ることかい? 違うよね。だってそれはかけっこではなくて『ジョギング』だもの。それに走るのが速い子や遅い子がいるのが当然であってね。じゃぁ速い子は遅い子に合わせて速度を落とさなければならないの? 遅い子はそれで満足かもしれないけれど、本当は速く走れるのに遅い子に合わせて走らなければいけない子のストレスはどうフォローすんのさ。みんなで足並み揃えて走りましょうってルールなら、そりゃ待たないとダメだけど。でもこの場合の○ちゃんは何にも悪くないじゃない。謝る必要なんてどこにもなくない?

 

 もし□がわたしの娘だったら?


□「今日ねー○ちゃんと△ちゃんにー仲間にいれてーって言ったらダメーって言われてー泣いたら謝ってくれたー」


 いやだから泣きゃあいいってもんじゃねえべっつーのよ。○ちゃんや△ちゃんだって2人だけで遊びたい時があっても何ら不思議ではないでしょう? どうしてそこに自分も混じって遊べることを当たり前だと思うのさ。「え? ぼくもいっしょにあそびたいよ?」知らないっつーの。そりゃ○ちゃんと△ちゃんは、もう少し優しい断り方が出来たとは思うよ。「やーだーよ」じゃなくて、「いまは2人であそびたいからゴメンね」とかね。それはそれとして、当たり前のように仲間に入れてあげる、当たり前のように仲間に入れると思い込んでいるのはおかしいんじゃないかな。

 

 何度考えても、この絵本が言わんとしていることは、結果的には『泣けば何でも許される』だとしか思えなかった。


 でも今日突然に、もし逆の立場だったらどうなるのか考えてみた。

 逆の立場というのは、もし自分の娘が泣かれた側だったとしたら、ということ。


○「今日ねー△ちゃんとかけっこしたけどー△ちゃん走るの遅いからー先に行ったら待ってーって泣いてたんだよー」


 いやもう少し△ちゃんに合わせてあげても良かったんじゃないの?


△「今日ねー○ちゃんと2人で遊んでたらー□ちゃんが入ーれーてって来たけどー入れてあげなかったら泣いてたー」


 □ちやんも仲間に入れてあげたら良かったじゃん。みんなで楽しく遊んだらいいのに。

 

 オイオイ。何だい立場を真逆にした途端、わたしの反応はまさにあの絵本に描かれていることそのままになってしまったぞ。

 じゃあどうしてあの絵本を読むとわたしは気持ち悪くなるんだ?

 

 この現象の理由を自分なりに分析した結果、一つの結論に至った。

 この絵本は、待ってもらえなかった△、仲間に入れてもらえなかった□の視点でしか描かれていないからではないかな?


 例えばケンカをした2人の子がいて、片方が泣いている。それを見て泣いている子の話だけを聞いた先生が、ホームルームでそのことを議題にし、「泣いている子の気持ちを考えましょう。もっとみんなで楽しく遊びましょう」と締めくくる。いや泣いていない子の言い分だってあるでしょうよ。そっちを聞かずに一方だけの意見で何をどう判断しているのさっていう。そんな感じと似てる気がする。


 絵本は小さい子に読み聞かせることもあるし、限られた文字数とページ数で簡略化する必要があるのでしょう。言いたいことの全ては描けないから、何かをちょっとずつ削らないと収まりきらないのかも。

 でもそうやって削って削って簡略化した結果、視点がどちらかに偏ったものになって、真意が歪んで伝わってしまうこともあるのではないかな。


『こころのかたちは一人一人違うから、みんなが笑顔になるのは難しいけれど、みんなで笑顔になりたいというきもちは忘れないでいたいです。』


 この絵本について、マクドナルドのホームページに書かれていた文言だ。

 どうやらわたしには多少歪んだかたちで伝わったらしい。


 娘たちが小さい頃は、わたしもよく絵本を読み聞かせた。その時に大切にしていたのは、絵本をそのまま読んでおしまいではなくて、絵本を読み終わったあとに、その内容について娘たちと話すことまでをセットで行うということ。そんなことを思い出した。


 いま、娘たちは放っておいても勝手に自分一人で自分の時間を自分だけで上手に使うようになっている。

 もう娘たちに絵本を読み聞かせることもなくなった今、わたしは絵本の読み方がすっかり下手っぴになってしまっていたんだな。

 

 読み聞かせといえば、おとといくらいに夜ご飯を食べたあと、お布団に横になっていたわたしに、中学一年生の長女(12)が教科書に載っている物語を2つほど読み聞かせてくれた。

 2つめのお話を聞いている途中でわたしは寝てしまったらしく、長女が後で教えてくれたことには、寝ているわたしのホッペにチュウをしてくれたらしい。


 何というか、悪い気はしない。というよりかなり嬉しい。そんな関係は作ろうと思ってもなかなか作れないと思うから。長女はわたしのことをまだ好きでいてくれているらしい。


 でもちょっと不安ではあるかな。口では未だに好きな男の子はいないと言っているし。長女は年齢の割に幼くて、好きなアイドルとかもいないし、ちゃんとした恋愛ができるのかしら。

 


 そしてそんな幼い長女でも、たまにわたしのことを子どもを相手するような感じで接してくることがある。きっと彼女が中学3年生、いや、中学2年生になったら、わたしは彼女に精神年齢で逆転されるだろう。わたしにはその自信がある。


 その時は長女に絵本を読み聞かせしてもらおう。そして絵本の内容について2人で語り合うんだ。長女がまだ小さかったあの頃のように。