俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

敬老の日。

 今日は敬老の日。もうすぐ終わるけど。


 義父母は、というか義母は敬老の日を祝われるのを嫌う。だから祝わない。自はともかく他に老扱いされるのが耐えられないらしい。

 例えばどこかの施設でシニア割引があった場合でも義母は頑なに使わない。あくまで自分は老人ではない体で振る舞う。いや老人だよ。あなたがどんなに否定しても、世界中の誰もがあなたを老人じゃないと言ったとしても、わたしだけはこう言う。あなたは老人だと。老人が嫌なら老い人、すなわち『おいんちゅ』でもいい。とにかく自分の老いを認めさせる。それがわたしなりの優しさ。だってそうだろう。あなた自身が自分で自分を認めないでどうするよ。あなたは老いてんのよ。エルサも言っている。ありのままの姿を見せるのよと。


 よく『老害』という言葉を目にするし耳にする。わたしは現実の世界でもすごく口は悪いが、老害という言葉は好きではない。

 確かに老いに起因する一方的で聞く耳を持たない厄介なガンコさや押し付けなどをしてくる老人はいる。それは確かに迷惑なこともある。

 でも老化によって頭や身体が以前より思うように動かせなくなった人に対してまで『老害』という言葉を使うのは違和感がある。


 例えば若い時にどれだけバリバリに働いていた人でも、年を取って全盛期を過ぎる時は必ず来る。それを見て老害という人がいる。あれか。その人が落ちぶれたら、その人が今まで達成してきた功績まで落ちぶれるのか。自分が散々お世話になってきたその恩すら、その人が年を取ると無かったものになってしまうのか。そりゃいいことも悪いこともあるけど、自分がいま生きているこの時代は、その老害と言われる人たちが頑張って作ってきたものだということは忘れてはいけないのではないかな。


ということを考えた今年の敬老の日


これは去年の敬老の日に、とあるショッピングセンターのイベントで描いたもの。


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