俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

スネ夫くんのママには説得力があるよね。

 少し前の話だけど、通勤時に利用しているバスから、とある回転寿司屋さんが見えてね。壁一面におばあさんの大きな顔写真が貼ってあって、そのおばあさんのセリフの体で「うまいよ」と書いてある。


 何が「うまいよ」って、お寿司だよねきっと。でも何で? おばあちゃんはこのお寿司屋さんと何か関係があるの? もしかしてこの回転寿司屋さんで提供している魚を獲っている人かな。生産者? でも写真で見る限りだと、何となくおばあちゃんは漁業な感じがしないんだよな。どちらかっていうと農業系だよね。ノギョジョ。ギョギョジョじゃなくてノギョジョ。


 知ってる。アレだよね。説得力をもたせるためでしょ? 分かるよ。だってしわくちゃのオバァが「うまいよ」と言っているだけに過ぎない写真だけど、問答無用の説得力があるもん。うまいかどうかは分からないけど、何だか新鮮で安心なのかなと思わせるだけのチカラはある。

 

 スーパーの青果コーナーには生産者の写真が掲示してあったりするけど、あれはきっと生産者の顔が見えることで、消費者の安心感を向上させる意味があるのでしょう?

 実際にそのくらいの説得力はあるんだよな。人の良さそうなおっちゃんの写真で「あたすが丹精込めて作りました」みたいに言われたら、そりゃもう安心安全間違いないと思っちゃう。


 でもね。その生産者が金髪でピアスだらけのタトゥーを入れたあんちゃんだったらどうなのさ。買う? 買う。きっとわたしなら面白がって買っちゃう。でも多分奥さんは買わないな。


 だって説得力ないもの。あなたアウトローでしょ。安心安全とは真逆の人でしょって思っちゃう。そりゃそうだよね。全く品質に差がない野菜だとして、生産者が牧歌的なおっちゃんと暴力的なにいちゃんなら、みんな間違いなくおっちゃんから買うでしょ。金髪ピアスタトゥーが良い悪いとか、そういう是非の話ではないよ。現実的にそういう外見から抱くイメージはみんなそんなモノだからしょうがないよねってこと。


 だからね。あれは生産者の顔が見えるから安心するのではないのであって。この野菜の生産者が自分のイメージするそれと合致するから安心するんだよね。そのイメージと合わなければ安心とは程遠いんだわ。そんで大多数の人のイメージする生産者は人の良さそうなおっさんなんだな。


 だからイメージってのは大切で。もしかしたら過去の記事でも書いたかもしれないんだけど、前に『博士の愛した数式』という小説を読んだんだけど、物語の初めから語り手でもある家政婦さんが登場すんの。家政婦さんっていったら、まぁ50代後半のおばさんをイメージしない? わたしはするんだけど。だからわたしもずっとそのイメージで読み進めてたんだけど、途中で若い女性であることが判明するんだ。確か20代後半くらいの。


 いやどうしてくれんのってハナシで。家政婦さんよ? 家政婦さんっていったらもう人類みな等しく絶対的に市原悦子さんでしょ。こっちはずっとそのつもりで、どのつもりかって、そりゃ柱の影みたいなところからひょっこりはんしてるおばさんのつもりで読み進めてんのに、いまさら若いって言われても折り合いが付かねーっつーのよ。


 薄暗い月明かりでセックスしてたのに、何かの拍子で明かりがついたら全然知らないババァだったとか。カレーだと思ってオイシイオイシイって食べてたら実はカレー味のウンコだったとかね。いまさら今までのことを水には流せないぞと。流させねぇよと。


 ついでに言ったら博士だって、わたしにとっては圧倒的にお茶の水だから。助手がいてね。やったぞ○○君、大成功じゃ! なんて。やりましたね博士! って。あとはこのスイッチを入れるだけじゃなんつってレバーを上げた瞬間に大爆発してアタマが具志堅のひでえやつみたいのになるまでがフルコース。

 

 自分のイメージ通り=説得力があるってことだと思うんだけど、厄介なのは説得力がある=正しいというわけじゃない。詐欺師なんてその典型。だから前述の家政婦さんの話みたいに、意図的にそういう印象操作をすることで、安易に人の心証などいとも簡単にダマせてしまう。


 例えばいかにも良家の坊ちゃんみたいな子が迷子になってて。わたしがたまたま保護してよ。この子の母ですってスネ夫くんのママみたいな女性が来たら絶対納得する自信があるもん。無条件でその子を引き渡しちゃう。でもジャイアンかあちゃんみたいのが来ても、もう全力で身分を証明させてもらうだろうね。その人が本当のお母さんだったとしても。なぜならわたしが勝手にイメージするこの子の母親とは合致しないから。


 この牛はわたしが大切に育てました、なんつって、人の良さそうなおっさんが生産者として笑って立っている写真。その後ろで、牛や豚がこれ以上ないくらいにうなだれてるかもしれないよ。

 逆に、金髪ピアスタトゥーにいちゃんが生産者として、竹刀片手にガンをくれている写真のその後ろで、牛や豚やニワトリまでもが、まるでこの世の春を謳歌するが如くスキップしまくってるかもしれない。


 だからね。疑ってかかることもある程度は必要だと思うんだ。わたしなぞ基本なんでも疑ってかかるから正しいこともいとも簡単に見落としちゃうけど。


 あぁ、結論なんてないよ。ただそういうお話ってだけ。