わたしが小学生の頃、周りの男子はみんな野球やサッカー、ドッジボールなんかで遊んでいた。今も昔もどうして男子はみな揃いも揃って球技が好きなのか。よほど前世に深い業があるとしか思えないが、誰かご存知なら教えて偉い人。
でもわたしは球技が好きではなかったから、積極的にそれらでみんなと遊んだ記憶など全っ然ない。
じゃぁ野球もサッカーもしない小学生のわたしは、一体どれほどにお上品なお遊戯をしていたかというと、泥でできたイビツな球体をダンゴと言い張ってみたりしていた。あるいはただひたすらに一人で走り回って虫を探していた。
虫といっても、わたしが住んでいた辺りにはカブトムシやクワガタなんかが生息するような雑木林はなかった。あったのは広大に過ぎるほどの草むらだったから、主なターゲットはトンボやバッタだ。コオロギはダメ。アイツらはライザップしたゴキブリみたいで昔から得意じゃない。
オニヤンマやギンヤンマみたいな大きなトンボはめったにいなかった。ごく稀に見つけても、スピード狂でトリッキーな動きをするアイツらには到底ついていけなくて、ついに捕まえることは出来なかったな。だからトンボならシオカラトンボが繰り上げ当選でいちばんの大物だった。学年1位じゃなくてクラス1位ってカンジ。
バッタなら何といってもトノサマバッタ。こちらは正真正銘の学年1位。大きくて力強くて、そして速い。ものすごい距離をジャンプする。ジャンプとは名ばかりで、あれはもうほとんど飛んでいるに等しい。「ヤベー全然勉強してきてねぇよー」とか「ヤベー昨日足痛めちゃってよー」とか言いながらテストやマラソン大会で上位に食い込んだりする、クラスに必ず1人はいる卑怯者、それがトノサマバッタ。
サイズだけならショウリョウバッタの方が大きいけど、アイツらはヌボォッとしていて何かあんまり得意ではない。
そんな各界のトップクラスであるシオカラトンボやトノサマバッタでさえ、両のカマでガッチリと押さえ込み、動きを封じて食べてしまうのがカマキリ。全校1位。もう別格といっていい。とくにオオカマキリ。強さの象徴。かっこよくてすごく好きだった。
でも見つけにくいんだカマキリは。トンボはそこいらに飛んでるからすぐ分かるし、バッタも草むらに足を踏み入れれば勝手にチチチッとジャンプしてくれるから居場所は特定しやすい。
カマキリは違うよ。アイツら動かないから。周囲の草木に擬態して獲物が近づいてくるのをジッと待っている系のハンターだから、とにかく探しにくい。やりたいことが分からない人が探す『自分』くらいに探しにくい。だからこそカマキリを見つけた時の喜びは格別だった。
カマキリといえば思い出す記憶がある。
小学生のわたしが広い草むらの真ん中に座って、トノサマバッタを食べるオオカマキリを日が暮れるまでずっと眺めている。それだけならよくある少年期のひとコマだ。でも不思議なのは、周囲の草の匂いとか、少し肌寒い空気の感じとか、少しずつ暗くなっていく空の様子とか、暗くなってきたからもう帰らないとって思っている不安な気持ちとか。そんな情景を妙に鮮明に覚えていること。
その記憶が30年以上経った今でもなお鮮明すぎるので、カマキリに対してはものすごくノスタルジアを覚える。そういう意味でも、わたしにとってカマキリは特別な虫。
だからだろうか。大人になってからも、それらしい草むらを見つけるとカマキリを探してみたりしていた。でも全然見つからなかったけど。そんなことを何となく15年くらいは続けていたと思う。どうやらわたしとカマキリはあまり縁がないらしい。
それが今年になって突然だ。なんの前触れもなく、『そうだ 京都、行こう」の12倍くらいの温度で『そうだ! カマキリ、見つけに行こう!!』という強い衝動に駆られた。理由は分からない。自分でも戸惑うくらいだが、あまりに思いが強すぎたので、もしや死期でも近づいているのかと思ったほどだ。
だから今年は例年以上にたくさん遠出をした。そしてカマキリがいそうな草木があれば、足を踏み入れて探してまわった。ある時は炎天下の中を。ある時は小雨そぼ降る中を。草むらの奥深くまで入り過ぎて、朽木の隙間にできたアシナガバチの巣を蹴っ飛ばしてしまいそうになった時は、危うく脱糞しそうになった。
でも見つかるのはいつもバッタばかり。しかもショウリョウバッタ。違うんだ。もういいんだ。悪いけどお前ではないんだわ。
「OK Google」と話しかければ、近くのラーメン屋から遠くのラーメン屋まで、何でも教えてくれる今のご時世だ。遠くのラーメン屋を調べることはあまりないと思うけど。
だからネットで調べれば、カマキリがいる場所も何となく分かるのかもしれない。でもそれはしたくなかった。いるとわかっている場所に行くのは、もはや見に行くのであって見つけに行くわけじゃない。動物園に行って「野生のゴリラ発見した!!」などと叫ぶヤツがいるか? もしいるとするならそいつはとても幸せな者だからぜひ友達になりたい。
そんなわけだからネットでは調べない。それをしてしまうと、わたしのカマキリに対する大切な想いを確実に壊してしまう。
思ったより冗長になってしまったので、ここいらで結論を言いたい。
カマキリは見つけることが出来た。どこでかというと、最後にダメ元で行ってみた、地元から少しだけ足を伸ばしたところにある公園で。お花畑の近くの植え込みにチョコンと乗っていた。3匹も。たぶんオオカマキリ。
たかがカマキリ。されどカマキリだ。あしかけ15年近く探し求めたものに出会った瞬間のわたしは、半ば放心状態だった。そしてひと言「……いた」と。さらには頬を伝う一筋のティアー。
これマジ。マジでティアー。マジティアーCL。でもカマキリを見つけたことに対するティアーではない。家族への感謝に対するティアーだ。
カマキリを見つけたいとか、40歳を過ぎたとっちゃん坊やがほざく、取るに足らない戯言ではないか。なのに奥さんも娘たちも、何度も何度も草むらに足を踏み入れて一緒にカマキリを探してくれた。娘たちなんかは小さな虫が近くを飛んだだけで怖がるくらいに虫が苦手なのに。
出かける場所が遠くても。その日が暑くても雨でも風でも。綺麗なものもないし遊具もない全然楽しくない場所でも。全然ブーブー言わないで「絶対にカマキリを見つけさせてあげたい」と、家族総出でサポートしてくれた。
そんな献身的なサポートに対するピュアでビュリフォーなティアーだ。この調子ならきっと老後も安泰。笑いが止まらない。
こうして、わたしの長きに渡る旅は終わりを迎えた。
今後はもうカマキリを探して回ることはないだろう。やりきった。燃え尽きた。虫捕り人生で最高の経験をしてしまった以上、もう残された道は引退しかない。例え今後カマキリを見つけたとしても、今回の記憶に勝ることはないだろう。
カマキリと言えば、絶対的に前述した少年期の記憶だったが、これからは44歳の秋に起きた、家族4人が共有するこの素晴らしい記憶に変わるのだ。
もしわたしが現役復帰することがあるとしたら、それは孫ができた時かもしれない。でもそれはまた別のお話。
長いあいだ探していたカマキリは思ったよりずっと近いところにいたけど、家族の愛も同じくらい近いところにあった。そんなことを再認識させてくれるとは。さすがカマキリ。ナイスマンティス。ありが蟷螂。
最後の最後で意味不明。無念。