俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

ドラゴンクエスト1をクリアしたけど、何が言いたくてどこを話の落としどころにするのかよく分からなくなっちゃったけど別に良いじゃん。

 先日、『ドラゴンクエスト1』をクリアしました。ファミコン時代のゲームです。でもクリアしたのはNintendo3DSのリメイク版。ダウンロードで648円(税込)。高いと思うかどうかはあなた次第です。ハロー関。そしてバイバイ。


 ドラクエ1は今から30年以上も前に発売されたファミコンゲームです。従ってわたしがクリアしたのも30年以上前。そのゲームを今になって再びクリアしたのは、長女(12)がやってみたいと言い出したからです。


 これもつい先日、わたしはNintendo Switchで『ドラゴンクエストビルダーズ2』というゲームをクリアしました。長女と次女(9)がいつもわたしのプレイを横で観ていたので、わたしはプレイしながら自身のドラクエに関する思い出をポツポツと娘たちに話して聞かせたのです。

 このドラクエビルダーズ2は、ドラクエ2のお話が元になっているんだよ。お父さんは今まで1〜11すべてのドラクエをプレイしたんだよ。10はオンラインゲームだから別だけど、他のドラクエは2以外は全部クリアしたんだよ。2だけクリアできなかったのは、子どもだったお父さんがドラクエ2の最後のダンジョンを進んでいる時、その横でお父さんのお母さんとお兄さんがケンカを始めて、兄さんのデビルキックがファミコンにクリーンヒットして画面がツーッてなってフリーズして「んだよもー」ってお父さんが泣いて、しょうがないからリセットして再開するために復活の呪文を入力したら画面に「じゅもんがちがいます」の文字が出て「んだよーどうしてくれるんだよー」って泣いてお兄さんに文句を言ったら「うるせぇこの野郎。復活の呪文を写し間違えたお前が悪いんだろ!!」と逆ギレされて心が折れたからだよ。これまでのゲーム人生には満足しているけど、唯一悔いが残っているとしたら、このドラクエ2だけクリアできていないことかな。でもさすがにもう一度初めからプレイする気力はないんだよと。


 そしたらそれを聞いた長女が「私がドラクエ2をクリアしてお父さんにエンディングを見せてあげるっ」と言ってくれまして。その気持ちは本当に嬉しかったんですけど、まぁ待ちなさいと。慌てるでないと。キミはドラクエ2というものを分かっていない。歴代ドラクエシリーズの中で最凶の名を欲しいままにするあのドラクエ2だよ。生半可な気持ちでは心が折れるよ。あとリメイクとはいえ見た目も地味だし、下手をするとドラクエ自体を嫌いになってしまう恐れアリだよと。


 それでも長女の決意が固かったので、じゃあまずリメイク版のドラクエ1を一緒にプレイしてみないかと提案しました。1を飽きずにプレイしてクリアできるようなら2もイケる可能性はあると。長女は分かったじゃぁドラクエ1から始めると納得してくれまして。

 わたしも一緒にプレイしたのは、長女はショッピングモールなどで一人でトイレに行くと、トイレから出てきた瞬間に自分がどこから来たのかをきれいさっぱり忘れてしまうピアノマンみたいな女性だからです。一緒にプレイしてナビゲートしてやる必要があるのです。


 そして先日、苦労の末に二人同じタイミングでラスボスを倒すことに成功したのです。長くなりましたがこれが再びドラクエ1をクリアしたきっかけです。

 

 で。今はわたしと長女、そして次女の3人が3DSのリメイク版ドラクエ2をプレイしています。918円(税込)。高いと思うかどうかはあなた次第です。ハロー関。そしてバイバイ。

 そう。次女が参戦したのです。きっと長女とわたしが楽しそうにドラクエ1をプレイしていたので、寂しさと羨ましさと心強さを覚えたのでしょう。いや心強さは覚えない。覚えるなら疎外感。

 だから次女が「ドラクエ2をやりたい」と言った時、わたしは「いいよ。三人で一緒にやろうぜ」と言いました。長女の時はドラクエ2は難しいから出来るかどうか分からないなどと散々言いましたけどね。疎外感を感じて寂しがっている次女に「難しいからダメだ」と言えるほどの鬼はわたしの心には棲んでおらなんだ。

 たぶん次女はドラクエ2はクリア出来ないです。ゲーム自体をほとんどしないし、この手のロールプレイングゲームはやったこともないので。でもそこはわたしと長女が教えてあげながら進めればいいハナシ。親子姉妹のコミュニケーションとしては最適じゃないですか。

 

 こんな風に、二人の娘たちと一緒に思い出のゲームができるという事実は、わたしは今のところ娘たちと良い関係が築けているということでしょう。そしてそれは、今のところわたし達の子育てがそこそこうまく行っていて、わたし達自身も親として少しずつ成長出来ているということでもあるのでしょう。

 そう思う半面。これは親の成果によるものではないとも思っています。なぜなら親の成長以上に子どもの成長の方が圧倒的に早いから。それは今までの子育てを通して思います。あいつら成長早え。小学校低学年の子でも、大人顔負けにいっぱしの事を考えています。そして子どもは敏感。親が不機嫌だったりするとすぐ察知しますから。物心がついているくらいの子なら親を刺激しないようにするし、もっと小さい子なら親を健気に慰めようとしてくれたりします。


 敏感な子どもが親に合わせるようになるんです。親は総じて鈍感で、子どもをいつまでも小さいままだと思いがちだから、そんな子どもの変化とかに気づきにくい。だから前より子どもを怒る回数が減ってきたりすると「自分が親として成長したんだ」と思いがちですけど、そりゃ子どもが思っているよりオトナになって空気を読めるようになったから、炎上する前に自然鎮火できているだけ。わたしはそう思っています。わたし達の子育てや親としての成長がなかったとは言いません。でもそれ以上に娘たちが成長したからこそ今の良好な関係が築けているだと。親としての自信を持つのも大切ですが、親として謙虚でいることも同じくらい大切だもの。


 親はついこないだまで単なる普通の夫婦でしたからね。生まれてきた人間を育て教え導く能力なんてハナから持ち合わせちゃいないですよ。ムリ。或いはリームー。でも懸命にそれをしようとすることで少しずつ親として成長できるのであって。

 まだまだ子育ての途中ですけど、これまでにはいろいろあったわけです。優しく理想通りに接してこられたわけが無い。100%自分の怒りのみで娘たちを怒鳴ったことなど数えきれない。そのたびに「これは娘たちのためなんだ」と自分を正当化するけど、分かってるから単なる自分本位の怒りだということが。だからすぐに自己嫌悪ですよ。手を出したことだって何度かあります。

 もっともっと遡れば、まだ1歳にも満たない長女を抱っこしながら、子育てが思いどおりに行かない怒りから長女をこのままソファに叩きつけてやろうかと思ったことも何度かあります。


 残念ながらわたしは、微笑ましく娘たちに話せるような綺麗な子育ての歴史ばかりではないです。思い出したくもない、娘たちに土下座して謝りたくなるような至らない過去ばかり。一度本当に娘たちに土下座したこともあります。一般論にすり替えるつもりは毛頭ないけど、恐らくわたしだけでなくて、皆さんそれくらい紙一重のところで子育てをされてきたのじゃないですかね。


 こういうことを何も考えずに指が動くままに書いていくと、わたしの能力では結局みなさんに何をどう伝えたかったのかが分からなくなって落としどころも無くなってしまうんです。でも落としどころを考えてブログを書いていたらそんなん疲れちゃうし、落としどころなんてそんなのは比較的どうでもいいと思っているから、結局のところわたしは娘たちによって生かされているということです。


 信じるか信じないかはあなた次第です。ハローセキルバーグ。そしてバイバイ。