俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

わたしが予想する新元号は『余有』。

先日、我が家と親類縁者でファミレスに行った。

長女の13回目の誕生日だったので、平均的庶民の我が家にとっては、ちょっとお高めのファミレス。


あえて店名の明言は避けるけど、我が家がよく利用させてもらう激安イタリアンレストランの3倍は値が張るんじゃなかろうかという、わたしがもし連邦だったら畏怖の念を込めて「あ、赤い彗星……!!」と恐れおのののかざるを得ない、そんなファミレス。

あれ。理由は分からないけどビールが飲みたくなっちゃったな。急に。東京ドームで。


料理を注文して軽く談笑などカマしているうちに、40代前半くらいのメガネをかけた女性の店員さんが、料理を運んできてくれた。


「ピザでーす」

「パスタでーす」


おのれ。でーすじゃないでしょ。

ちょっとフザケないでもらってもいい?


マクドナルドに行って「バーガーでーす」とか、すき家に行って「丼でーす」とか、そんな提供のされ方ってある?

ないよね。知ってるよそんなのってならない? わたしはなるんだけど。

だってそりゃバーガーでしょ。そりゃ丼でしょうよ。

そうじゃなくて。『何の』が重要のんじょのいこ(”なんじゃないか”のえなりかずき味)。


6つ子のおそ松さん達が自己紹介する時に、


「松野でーす」

「松野でーす」

「松野でーす」

「松野でーす」

「松野でーす」

「松野でーす」


って言う?

言ってもいいよ。だけどもし言うんだったらそれなりの覚悟はして。わたしは3人目が「ま…」って言った刹那に平手で相手の頬の部分に打撃を加える自信があるよ。そうだね。いわゆる一つのビンタってやつだね。


そうじゃないじゃない。

『何松か』が重要のんじょのいこ(復習:”なんじゃないか”のえなりかずき味)。


「ピザでーす」とか「パスタでーす」とか。

「加・賀・谷でーす」だか「釈迦でぇーす」だか知んないけど。

何なの? 何のピザなの? どんなパスタなの? って話。


まぁいいんだけどね。正直少しも腹は立てていないから。

結果的に同種の料理でかぶっている人がいなかったしね。だからこそ店員さんも省略して言ったのかもしれないし。


でも食べ始めてから「あれ? これって自分が頼んだパスタじゃなくない?」なんて事だってあるわけじゃないの。

悪いけどこっちはそこまで自分が注文した料理を観察して食べているわけじゃないから。


わたしなどは過去にフィレオフィッシュって言われて渡されたチキンタツタを、最後まで食べきってから「これお肉じゃね?」って気づくという、そんな、あそんなおちゃめな貧乏舌の持ち主だから。お肉が食べられないわたしがだよ? つーか食えるんじゃんわたし。肉。


まぁそんなわけもあって、やっぱり料理名はあんまり略し過ぎて欲しくないのがわたしの本音。

 

ただ、その店員さんの勢いは留まることを知らない時の中でいくつもの移りゆく街並みを眺めていて。


「サラダでーす」

「スープでーす」


だからセットのでしょ? それってセットのサラダとスープだよね?

だったら「セットのサラダでーす」とか言ってもらうわけにはいかないの? ただサラダでーすって言われても、申し訳ないけどこっちも一瞬「あー、誰だっけ?」ってなっちゃうんだよ。


自己紹介する時には社名とか肩書きも合わせて言うでしょ?


「こぉんちには。ぼぉくルフィです」

「オッス! オラルフィだ!」

「やぁ!ぼく ルフィ。ハハッ」


これじゃナニ帽子のルフィさんなのか分からないでしょ? ヤベーやつも1人混じってるみたいだし。

 

わたしがそんな事を考えているなんて、きっと店員さんはつゆほども思ってないんだろうね。まだまだ店員さんの猛威というか暴威は衰えを知らなくて。

もうこの辺りになってくると、わたしの中では店員さんではなく『メガネブー』に変わっていて。

ホントに失礼なんだけど。こういうのがいけない事は分かっているんだけど。でもわたしはそう思っちゃう性格なのでメガネブーになっちゃって。

で、そのメガネブーが言うんだよ。


「お子様でーす」


違う。お子様ではない。

もはや料理名ですらねえだろ。年齢区分だそれは。

お子様はわたし達側のメンバーの一人であって、あなたが持ってきてくれたのはお子様ではなく『お子様向けの料理』だろ。

しかも正式名称は『キッズカレー』であって、お子様なんてワードは入っていないんだぞ。


あと一切の確認もせずにたまたまスペースが空いていたという理由だけで頼んでもいないキッズカレーを45歳男性の前に置くのはやめるんだよーしいい子だ。

まさかわたしがキッズに見えたわけではあるまい。

そりゃ『少年の心しか持たない軌跡の40代』と罵られたことが無いわけではないけれども。

 

で。

こういう事をされると、わたしはすごく短絡的になっちゃうから。

おこがましくも、ここまでの言動でこの店員さんという人間を断定してしまうんだな。

あー、この人きっと普段からあんまり気が回らない人だわって。

分かるはずがないんだけど。わずか数分程度の接触で、一人の人間を断定することなんて出来るはずがないんだけど。

でも断定してしまう。それがわたし。


わたしが小学生の頃。

宿題を忘れたわたしに、担任だった女性の先生がこう言った。


「アンタ将来ロクな大人にならないよっ! これ絶対だからね!!」


そういうのって大人になっても忘れないもので、言われた当時は、


テメ分かんのかぇ。

テメ俺が将来どんな大人になんのか、これだけで分かんのかぇ。

テメノストラダムスかぇ。

それか五島勉かぇ。


って思った。

この時の担任の先生と、今のわたしは全く同じだ。わずかな情報のみで一人の人間を断定している。

まぁ宿題をやっていかなかったわたしに非があるのだし、ロクなかどうかは分からないけど大した大人になっていないのは事実だけど。

それでもわたしはそんな自分が大好きだけど。


そんなわけで。

食事を終えたわたし達は、レジ前の大きな水槽にザリガニの親分みてえなエビ達がひしめき合っている風景が壮観な、そんなファミレスを後にしたわけだけど。


少し話が変わって。

先日、たわむれに、会社帰りに駅から家に帰るまで、何人の歩きスマホ人とすれ違うかを数えてみた。ガッツリ目に歩きスマホしてる人ね。


結果、10人だった。

ざっくり数えて100人くらいとすれ違った中の10人だったから、約10%。

1人だけ歩きスマホじゃなくて春巻きみてえの食ってるだけの紛らわしい人がいたけど、歩き春巻きは罪には問わないので。


10%。これが多いかどうかはモノサシを持っていないから分からないけど、この10%の人たちは、わたしの中で「こらえ性のないバカ」というミもフタもないあだ名と共に最低の評価が下されている。


だってそうじゃない。少しの時間すら堪えることができずに歩きながらゲームだかSNSだかをガッツリやるっつーのは、もうこらえ性のないバカ以外の何者でもないじゃない。


今まで歩きスマホに起因した悲惨な事故のニュースがどれだけ流れてきたと思ってんのさ。いやどれだけか分かんないけれども。


それでもやるんだもの。

歩きながらちょっとスマホ見るとかじゃないんだよ。もうガッツリ画面に食い入って歩いてるんだもの。

どれだけひいき目に見てもバカ以外の評価にはならない。

だからこの10%の人たちは、わたしにとっては『こらえ性のないバカ』。


ていう人たちに対してだって。

前述の店員さんと同じように、わたしはほんの一部分しか見ていないのに、その人たちを最低最悪のバカとまで蔑むんだから。

これはむしろわたしがバカなんだな。

バカっていう人がバカなんだよって、よく次女(9)に言われるけど、あれってホントだったんだな。

ちょっと反省せねばなるまいね。


でも。

イヤホンして左手を上着のポケットに入れて右手でスマホを見てハンドルから手を離して自転車を走らせていたボウズのあんちゃん。

ゴメン君だけは断定させてもらうね。


お前はバカだわ。

 

いろいろ書いてきたけど。

何ていうか、もう少し心に余裕を持ちたいよねって、最近はよく思う。

自分としても。

よく分からないけど日本としても。

だから新しい元号は『余有(よゆう)』が良いなんて思っている。

『余裕』だと『裕』の画数が多いからね。


余有……。良い。

余有元年……。良いわぁ。