俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

自分を認めよう。

とあるトイレの消臭スプレーの香り『イオンシトラス』が苦手です。


あ。文章が敬体なのは気にしないでください。わたしはブログを始めて2年以上が経過しますが、未だ自分の文体というものが確立しておりませんで。

なので時々、今回のように文体がまるっと変わる時があるのです。

 

話が脱線したので仕切り直しましょうか。


とあるトイレの消臭スプレーの香り『イオンシトラス』が苦手です。

 

単体としての香りは良いのですが、大便のオイニーとミックスされる事により何かしらの化学反応が生じ、結果ものすごくミステリアスでオリエンタルな耐え難い臭気を放つのです。オリエンタルかどうかはゴメンナサイ知らないです。


自分のブツのオイニーですらそうなのですから、自分以外なら言わずもがな。それが例え愛する妻や娘のオイニーであっても。いや、愛する者達であるからこそ耐え難きと言うべきでしょうか。愛情と憎しみは背中合わせなのです。


愛情の度合いは関係ありません。そういうものなのです。自分の大便のニオイは平気でも、他人のそれはダメなものです。自分のワキや足のニオイも同じ。それは悠久の時を刻んできたこの世界の理なのですか? スイマセン急に疑問形になってしまいました。


考えてみました。なぜ自分のニオイは許せるのでしょうか。大仰な言い方をした割には答えは簡単でした。

自分を認めているからです。言い換えれば、自分という存在を自分自身が認めているということなのです。1ミリも言い換えることが出来ていませんね恥ずかしいです。


あれ? ということは、あの問題はどうなるのでしょうか。あれですよあれ。ハンバーグだよぉっ!!!

違います。あれですよホラ。『大便をした後にトイレを出たけどスマホとかを忘れた事に気づいてまたすぐトイレのドアを開けた瞬間、あんなにも許せていた自分の大便のオイニーが他人のソレに変わってしまっている現象』のことですよ。


予想するにこれは、娘が嫁いでしまったようなものなのではないでしょうか。昨日まで大切に育ててきた愛娘が、今日はどこの馬の骨かもしれない男の嫁になっているという。おいお前俺の娘じゃなかったんかえーいという。

この問題は難しいし、今回の議題からは少しズレてしまうので次回までの宿題とさせていただきます。

 

話を戻しまして。

自分のニオイを悪臭として認識しない理由が自分を認めているからであるならば、妻や娘のニオイが耐えられないと公言して憚らないわたしは、妻や娘を認めていないという事になるのでしょうか?


違います。妻と娘は認めています。でも妻や娘の大便やワキや足を認めていないのです。

わたしは奥さんも娘も愛していますが、大便とワキと足を除外した70%分を愛しているのです。分かりますね?

酷くはないです。こういうものなのです。ここに股ぐらを含めて60%にしないだけ、わたしは愛情に溢れているのです。感謝されこそすれ非難されるいわれはありません。

 

わたしは大いに問題のある人間であると自認していますが、それでもわたしはわたしを最大限に認めています。他の誰よりも。
だからわたしは自分のワキのニオイも足のニオイも大便のニオイさえも受け入れられるのです。


ですから自分のことが嫌いで自己肯定感が低い人は、大便をするたびに「ぐあー何だこの耐え難き悪臭はー」となるし、夏になってワキからスパイスィーなフレグランス効果が発せられると「ぐあー目がっ目が痛えー」ってなって、仕事から帰ってきて靴下を脱ごうとした瞬間に、そのスーパースメルで気を失っているのです。

それはとても辛いことです。


ですから自分を好きになりましょう。自分を認めましょう。

そうすれば、めくるめく素晴らしい世界があなたを待っているのです。

具体的には自分のウンコのニオイを愛せるようになるのです。こんなに素晴らしいことはありません。

 

さぁ、レッツトライ!!