俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

雛人形を処分してしまった事を後悔している。

先日は雛祭りだった。


我が家には娘が二人いる。かわいい娘たちだ。こんなにも愛らしい天使がわたし達の元に舞い降りて来てくれた事は奇跡だ。


そんなミラコーエンジェル達のための雛人形は、我が家には無い。奥さんの祖父母が昔に買ってくれた七段飾りの雛人形があったけど、ゆえあって数年前に処分してしまった。



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これは処分する前の写真。

飾り方はムチャクチャ。フィーリングだ。何かあったよねそういう言葉。DA PUMP? 違うそれはFeelin' Goodか。プリキュアか。それも違うな、あれはヒーリングっどだ。

まぁいいや考えるのはやめよう。ブルース・リー先生も仰っていた。「Don't Think. Feel!」だ。フィーリングフィーリングゥ!

 

7段飾りだ。とにかく場所を取る。東京の家にこんな巨大な物を飾れる部屋なんてあるはずがない。神様に大きなイチモツを願う前に、まず大きなイチモツがコンニチハしないパンツを買え。


仕方なく2階の廊下に飾っていたけど、衣川の戦いで立往生した武蔵坊弁慶の如く堂々たる姿に、藤原泰衡の軍にいたわたしは当時を思い出して身震いしてしまう。もう800年も昔のことなのに。


みたいな事を一度でいいから言ってみたい。悠久の時を生きる存在に憧れる。うしおととらの白面の者や、鬼滅の刃の鬼舞辻無惨のような。

わたしは違う。無病息災でもきっと80年やそこらで死す。手相占いでは70歳まで生きられないという結果すら出ている。社内にいるババアの鑑定だけど。

宇宙誕生から138億年という時の流れからすれば塵芥に等しい刹那オブ刹那を生きるただの陸上脊椎動物。それがわたしだ。


だからこそ今を一生懸命に生きよう。過去を思い悩み未来に絶望するヒマなど我々にはない。またたく間に過ぎ去ってしまうこの儚き人生を、またたく星の光のように美しく綺羅びやかなものにしようではないか。


要するに雛人形が大き過ぎる。この時期は2階への行き来がすっごい不便。ハッキリ言えば邪魔。


保管場所にも困る。ひな壇のフレームにひな壇の板7枚。各種人形たちと無数のアイテム。32インチの液晶テレビくらいの大きなダンボールが3つだ。

こんなの奥歯ショアる? ザケんな誤変換。オフショアみたいな言い方するな。久しぶりに波乗りしたくなったじゃないか。よしまずサーフボードを買いに行こう。置く場所ある? ないんだよ普通は。


幸い我が家には屋根裏があったからそこに収納していた。でもフレームも板も薄い鉄板だから重い。ちょっとしたマツコ・デラックスくらいある。ちょっとしたマツコ・デラックスはもはやデラックスではないからマツコ・スタンダード。


わたしの野望ではこの屋根裏にベッドとテーブルを持ち込み、スーパーで買ってきた日用品を紙袋から次々と出しながら「暮らすって物入りねぇ」とつぶやくはずだった。あと黒猫も飼いたかった。でも屋根裏は湿度ゼロのサウナの如き地獄だったので、そこで暮らすと寿命を待たずしてオダブツとなる恐れがあり諦めた。黒猫も飼えなかった。

 

雛人形を屋根裏から出す時は、わたしが急な階段を上がって屋根裏からダンボールを降ろし、奥さんがそれを下で受け取る。


でもある年のこと。ダンボールの底が破れて中の鉄板が奥さんめがけて勢いよく落ちた。鉄板はギリギリ奥さんの横を通過して床に落ちたから事なきを得たけど、それがこの雛人形の処分を決めたキッカケになった。オレの女に手を出すやつは何人たりとも許さない。わたしがダンボールの劣化確認を怠った事実は不問といたす。


でも、もう限界だった。

フレームは老朽化で生まれたての仔馬のヒザのモノマネをしていたし、人形たちも70年代に活躍したアイドルのようになっていた。

年に一回の事とはいえ設置と収納は重労働だし、鉄板が奥さんを襲うような事故が再び起きないとも限らない。

義母も処分を了承してくれたので、奥さんや義妹、娘たちとも相談して供養した。数年前のことだ。


新しい雛人形は買わなかった。以来、雛人形は飾っていない。

設置収納の苦労がなくなり、屋根裏のスペースにも余裕が出来た事は嬉しい限りだけど、今は雛人形を処分した事を後悔している。


きっと義母は毎年ずっと飾っていて欲しかったはずだ。

「大変だから来年からはもういいわよ。今まで毎年飾ってくれていたし、おばあちゃんも満足してると思うわ」

あの時、義母はそう言った。それは納得ではなく諦めの言葉だったに違いない。


雛人形を飾っても、娘たちがすごく喜ぶわけではなかった。いくら立派とはいえ、古めかしい日本人形を見て喜べという方がムリな話だ。

でもどれだけボロボロでも設置が大変でも、苦労して毎年飾り続ける事に意味があったのではないか。それがこの雛人形に込められた人達の思いをつなぐ事になったのではないか。


こないだ奥さんに聞いた。義母もこの雛人形を毎年飾ってくれていたらしい。奥さんや義妹が大きくなっても毎年。その時の義母は決まって「ホラ見て~」と誇らしげに披露するのだとか。

この雛人形はそういうものだったのだ。


わたしは効率ばかり重視せず、そこに込められた人達の思いをもっと深く考えるべきだった。あの時のわたしはそれが出来なかった。

後悔している。


東日本大震災の時。2階の書庫の本は落ちまくっていたのに、この雛人形は一体も落ちていなかった。それどころかほぼ動いた形跡すらなかった。フレームもグラグラなのに。ちょっと考えられないことだ。

わたしは超常現象の類は好きだけど一切信じてない。でも様々な人達の思いがそうさせたのかなと、何となく、少しだけ思った。

 

そんな事を考えていたので、今年の雛祭りはそれらしくしてみようかと奥さんに相談した。雛人形はないけど、せめて夕食はそれっぽく出来ないものかと。

奥さんは考えてみると言ってくれた。それが雛祭り当日の朝。


夜。会社帰りに電話で奥さんに状況を確認した。奥さんは奮発して牛ステーキ肉を買ったと言った。わたしは雛祭りの夕食を彩るにはあまりに茶色いと言った。

そしたら奥さんが急ごしらえでこれを作ってくれた。



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卵とそぼろの二色ごはんをケーキの型に入れて形を整えたらしい。

ありがとう奥さん。とても美味しかったよ。


でもこの日、雛祭りを彩ったものは、二色ごはん上に載っていた生ハムと、ステーキを食べる時に使ったヒマラヤ岩塩だけだった。



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