俺があいつを見返す日。

俺があいつを見返す日。

わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

「プロの言う事も一理ある」だそうです。

新しくなる会社カタログの表紙案がデザイン会社から送られてきた。ほぼ最終校の案だ。


それを見て上司が首を傾げている。イマイチお気に召さないらしい。「この文字の色がなぁ」とか「この文字はもっと大きくした方が絶対いいよなぁ」と、大きな独り言を連発している。


上司は数人の部下を席に呼びつけ「これを見てどう思うか、率直な意見を聞かせて欲しい」と言った。そしてたったいま自分がつぶやいていた独り言を部下たちに力説した上で「俺は絶対にその方が良いと思うんだよなぁ。どう思う?」


意見を求められた部下たちは「ホントッすよねえ」「自分もそう思います」と口々に上司に賛同した。「これホントにプロの仕事ですか?」とまで言う人も。これが本心か忖度かは分からないけど、ここに彦摩呂さんがいたらきっと「同調圧力の宝箱やぁ」と言うのだろうな。上司は率直という言葉の意味を知らないらしい。


ちなみにわたしは意見を求められていない。直接的にカタログ改訂の仕事に関わっていなかったし、何よりわたしはこの上司に絶賛嫌われ中。4年前に仕事上で意見が対立して以来、ずっと無視され状態なーのだ。バカボンのパパなーのだ。ウソなーのだ。


それはそれとして。もしわたしがこの上司に意見を求められていたなら、きっとこう言ったはずだ。「ここまで来たらプロの提案を信じましょうよ。そしてあなたには胸毛が生えていますね。モサモサのやつ。臭そう。」後半は単なるわたしの悪意に満ちた罵詈雑言だから軽蔑してくれて構わぬ。


プロにはプロのメソッドがある。文字の色も大きさも配置も、それに基づいて効果的に考え作られているはずだ。最終校の段階に至ってシロウトが文字の色や大きさに口を出すのはどうかと思う。だって多分だけど、上司や上司が呼びつけたその部下たちより、それを作ったデザイン会社の人の方がセンスがいい。


芸術の神に認められしセンスを持つ人1人がAを選んでも、センスの欠片もない99人がBを選べばBが採用される。反対にセンス抜群の99人がAを選んでも、決定権を持つノーセンスな1人がBを選べばBが採用だ。


昔、テレビでファミレスの新メニュー開発の特集を観た。名だたる名店で働いてきた実績を持つプロの料理人が、あれこれ創意工夫を凝らして作り上げた新メニューも、結局はオジイ社長の試食が最終ジャッジだった。結局こういうのは、多数あるいは決定権を持つ人が納得するかどうかでしかない。


公募なんかでも同様の傾向があるように思えてならない。キラキラ輝くイメージで商店街のネーミングを募集していたとする。アタマをひねって「シャイニーロード」とかで応募しても、普通に「ニコニコ商店街」が最優秀賞を取る。それ公募する意味あったか? オジイどもがしるこサンド食いながら番茶すすって片手間に決めているんじゃないだろうな。


わたしも過去、社内のプレゼン資料などを一手に任されていた時期があるけど、依頼者は「ここの文字は目立つように赤にして」「ここの文字は強調したいからもっと大きくして」などと言ってくる。

いやご希望には沿えるように努力はしたい。でも言う通りにあれもこれも真っ赤に大きくしていたら、聴衆者は一体どこに目をやって良いのか分からない。初めて蛍光ペンを買った中1がほぼノートの全部にマーカーを引いてしまって最終的に何が大事か分からなくなる例の現象と同じ。わたしはそれを『中一病』と提唱したい。


カタログは無事に新しくなった。デザイン会社の人にことごとく論破された上司の辞世は


「プロの言うことも一理あるな」


一理しかねえんだよ。