俺があいつを見返す日。

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わたしがある人を見返すための意思表明として立ち上げたブログです。日々のこと、夫婦のこと、子育て、商品レビューなど、なんでも。

19年ぶりに映画『A.I.』を観直してみた(ネタバレあり)。

 

A.I. Artificial Intelligence (字幕版)

A.I. Artificial Intelligence (字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 


A.I.。2001年公開のハリウッド映画。天才子役の名を欲しいままにしていたハーレイ・ジョエル・オスメントさん主演。オッサン果汁20%入り。実は35歳じゃないかという噂が当時からまことしやかに囁かれていた。真っ赤なウソだけど。


いい機会なので真っ赤なウソについて考えてみた。どうして真っ赤なのか。予想するにベロの色じゃないかな。マンガなどでウソをつくとベロを出す表現をするから。だからもしキリンがウソをつけば真っ黒なウソだし、チャウチャウなら真っ青なウソ。

あれ日焼けだって。え、キリンのベロが黒い理由だよ。ずっとベロ出してすげえ量の草食ってるらしいからキリン。アフリカの強烈な日差しにやられちゃわないようにメラニン出して紫外線から守っているらしい。器用なのか不器用なのか分からん。

じゃあチャウチャウのベロが青いのは? ブルーハワイのかき氷でも食べたか。急いで食べてキーンてなってあの顔か。『よく分かってない』だって。ジャアイイデスー。


真っ赤なウソの由来を調べてみた。赤の語源が『明らかな』だからだそうだ。明らかなウソだから真っ赤なウソ。ベロもキリンもチャウチャウも全然チャウかった。真っ赤にベロ関係なかった。そういえば赤の他人という言葉もあるし。ベロの他人だとまだディープキスをした事のない間柄という意味になってしまう。


そして赤の他人というか赤のロボットを我が子としてしまうのがこのA.I.に登場する母親。

不治の病で回復の見込みがない息子の代わりに、対象者を無条件で愛するようにインプットされているリアルなロボットを息子代わりに迎え入れた母親。長らく味う事の叶わなかった息子(ロボ)との幸せな時間を噛みしめ始めた矢先に、本物の息子が奇跡的に生還を果たすという嬉しくも無情な展開。その後いくつかの問題が発生し、母親は処遇に困った息子ロボを森に捨てる。捨てられた息子ロボは人間になれば母親に愛されると考え、人間になるための旅に出る。


ここまでは公開されているあらすじ。以下からネタバレ。


紆余曲折あり最終的には人間になれなかったものの、2000年の時を経て息子ロボはついに母親の愛を手にする事が出来た。ただしたったの一日だけ。一度眠りにつくと母親は二度と目を覚まさない。息子ロボはその一日を充足に過ごした後、母親の隣で至福の内に初めての、そして永遠の眠りにつく。

 

この母親にはあまり感情移入が出来なかった。ロボットを息子として迎え入れた心情や森に捨てるに至った経緯には一定の理解は出来る。でも一度は我が子として迎え入れた息子ロボと、一度は諦めた本物の息子。この二人の存在に母親としてどう向き合ってゆくのか。そんな逡巡する様子を期待していたら比較的序盤で息子ロボを森に捨てた。事情があるとはいえ自己都合で無責任に捨てるような人に感情移入は無理だ。わたしとしては母親の意志の及ばないチカラで息子ロボと引き離された事にして欲しかった。


この息子ロボが特別に人を愛する気持ちに目覚めたわけじゃないから。単なるプログラムのアウトプットでしかない。観ているわたしもそれが分かっているから、必死で母の愛を求める息子ロボが不憫でいたたまれなくなる。

でも無条件に母親の愛を求めるのはロボットに限らず人間も同じ。叱られても叩かれてもご飯を食べさせてもらえなくても家に置き去りにされても、子どもは母親の事を愛しているし愛されたいと願う。その感情にロボットも人間も関係ない。観ていてそんな事を思った。


突然だけど金箔ってどのくらい薄いか知ってる? はがきや名刺が0.2ミリ。コピー用紙が0.08ミリ。金箔は0.0001ミリだって。わずか2グラムの金を畳一畳分まで延ばすくらいらしい。それくらい薄い。映画での父親の存在が。薄いというか無いに等しい。初めにチョロっと出てくるだけ。息子ロボが2000年の時を経てなお求め続けたものは母親の愛だけ。そこに父親への感情は父親はバニラビーンズほども含まれていない。


父親と子どもは赤の他人ではないけれど、母親と子どもの間にある目に見えない絆のようなものには到底太刀打ちできない。

長女が生まれた時の事を思い出す。わたしがいくらあやして長女は泣き止まない事が多かった。でも奥さんとバトンタッチすると泣き止む。わたしはそれが悔しくて「母親に出来て父親に出来ないわけがない」と必死になったけどダメだった。その時に思った。これは自分の努力が足りないのではなく、父親では越えられない壁があるのだと。単にわたしの必死さに赤子だった長女が引いただけかもしれないけど。だから次女の時は無理せず泣き止まない時は素直に奥さんに委ねた。それ以外のところでサポートするのが良いと判断した。A.I.を観ていてそんな事を思い出した。


この作品は19年前の公開時にも観ているけど、当時はそんな事は全く思わなかった。まだ子どもがいなかった事もあるかも知れないけど、わざわざ映画館まで足を運んだのに全く面白くなくて。物語の中盤にCG版お茶の水博士みたいなのが出てきた辺りでチカラ尽きて寝てしまった。当時の日記を読んだら監督のスピルバーグに罵詈雑言をお見舞いしていた。


その辺の事にほんの少しだけ触れている過去記事はコチラ。