洗練された野生。

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有終の美を飾りたいブログ。

義父母が何で演歌が好きなのか分かった。

少し前から娘たちの影響でボカロを聴くようになった。だから少しだけフフンなんだけど、YOASOBIもAdoさんも、今みたいに話題になる前から知っていた。

 


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初めこそ無機質な甲高い声で歌うボカロに、何の魅力も感じなかった。

でも先入観を取り払って聴いてみると、当たり前にボカロも一つの音楽なんだと再認識した。それからはボカロ好き。


ただ、歌詞にはあまり共感できないのが正直なところだ。そもそも今の若者が作る歌詞に47歳の自分をシンクロさせられる方が不自然。家族から『永遠の5才児』と揶揄されるわたしをナメるなよ。


逆にわたしが娘たちにaikoさんの曲を聴かせたりすると「悪くはないけど昭和っぽい」の一言で切り捨てられる。aikoさんは昭和の歌手じゃないんだけどな。


娘たちは古い歌=良くないと決めつけているフシがある。でもわたしだってボカロの良さに気づけたんだから、娘たちにも良い歌に古いも新しいもないんだって事に気づいて欲しい。


とはいえ、無理からぬ事とも思う。わたしだって演歌の良さはよく分からなかったりする。


前に義実家でテレビを観ていた時、演歌歌手の福田こうへいさんが『筑波の寛太郎』という歌を披露していた。それを観ていた義父母が「この歌は良いねぇ」ってしみじみ呟いたんだ。

 


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世にあるほとんどの演歌はメロディと歌詞に90%以上の類似性が見られるから『演歌はこの世に一曲でいいんじゃないかな会(演世会)』の副会長代理補佐を務める立場として言わせてもらうけど、いや良くないでしょ。良くないは語弊があるけど、正直そこまで感じ入ってはいないでしょ。


誤解されてもいいけど炎上したくないから言うけど、福田こうへいさんやこの歌がどうこうじゃなくて。

ただこの『筑波の寛太郎』って歌に対して「いい歌だねぇ」って感慨深げに呟けるほど、あなた達はこの歌の良さを理解できるのかって話。


人って無意識だけど、歌に対して自分自身や大切な誰か、或いは過去の出来事なんかを重ねたりしていると思うんだよね。だからこそいい歌だと思えたりするわけで。


でも『筑波の寛太郎』の歌詞ってこんなのなんだよ。


♪筑波颪(おろし)を合羽でよけて

♪肌でぬくめたお六櫛

♪笠に一輪 竜胆挿して

♪赤い夕日に背を向ける


ちょ待てよ。こんばんは。チョ・マテヨです。韓国でアイドルやってます。

それはいいとして。チョ・マテヨは全然いいとして。一体この歌詞のどこに自分を重ねられるのかって話。


義父母はあるのかな。 筑波颪を合羽でよけた経験。きっとないよね。

たぶんだけどお六櫛って物体を肌でぬくめた経験もないし、当然ながら笠に一輪の竜胆を挿した事もないはずだ。

赤い夕日に背を向けた事はあるかもだけど、意図的ではなく偶発的なものだろうし。


こんなに自分を重ねられず、まして筑波出身でもない義父母が、何でこの曲を「いいねえ」って言えるのか。それが疑問なの。


だから義父母に聞いてみた。ホントにこの歌を良いと思ってる? 無理してない? 70過ぎのくせして中学生がイキってタバコ吸って「く〜、やっぱメシの後の一服やめられねえわ〜」みたいに背伸びして分かったフリしてんじゃないのって。


そしたら「この訛りがいいんだよ」だって。歌詞とかメロディとか、そんなの全然関係ないスタイルだった。


いやもう好きにせえって。訛りがいいなら吉幾三だけ聴いてろよってサジ投げかけたんだけど。でもよく考えたらわたしもボカロの歌詞に共感できていないのにボカロが好きだ。これでは義父母と何ら変わらないじゃん。


その事実に気付かされたわたしは、衝撃を禁じ得なかった。

それからすぐさま、自分が提唱した理論の綻びを明らかにすべく考えた始めたけど、よく分かんなかったから一瞬で考えるのをやめた。