洗練された野生。

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有終の美を飾りたいブログ。

娘たちから父の日のプレゼントをもらえなかった。

先週の日曜日は父の日だった。でも娘たちからプレゼントはもらえなかった。ヤダこんなの初めて。


プレゼントを渡すタイミングはいくらでもあったはずだ。おはようの後でも朝食の後でも「ちょっと目を閉じてて」と言ってくれれば、ケーン平井の力を借りずとも瞳を閉じる準備が出来ていた。何ならもう最初から半眼気味だったし。


うっかり父の日を忘れていたのかもしれない。でもまだ間に合ったはずだ。お出かけ先のショッピングモールには、至るところに父の日コーナーが設置されていたのだから。


夜になった。夕食の後に渡されるのではないか。お風呂から出てきたらテーブルの上に手紙とプレゼントが置かれているのではないか。渡された時のリアクションをイメトレしている内に「おやすみなさい」と言い残し、娘たちは自分の部屋に戻ってしまった。


その日、ついに娘たちからプレゼントを渡される事はなかった。バレンタインデーの男子中学生くらいに一日中ずっとソワソワしていたのに。その夜わたしはマッカラン12年を抱えるようにして、朝まで浴びるほどに飲んだ事は想像に難くないだろう。


というのはウソだけど。と言ってもウソはマッカラン12年うんぬんのあたりであって、父の日に娘たちからプレゼントをもらえなかったのは事実だ。

でも厳密にはプレゼントがもらえなかったというのもウソで、父の日のプレゼントはいらないと事前に断っていたのが真実。


だっていらない。父の日のプレゼントなんて全く求めていない。くれるのならもらうし感謝もするけど、正直こっちの気持ちは全然追いついていないのが本音だ。

父親は仕事ではないので。娘たちにお願いされて仕方なく父親業に精を出している訳ではない。わたしは自分の意志で父親になったのだから、わざわざ父の日なんぞにプレゼントをもらういわれはない。


例えばわたしが我が身の危険も顧みず、見ず知らずの人を暴漢から救ったとかなら、そりゃ感謝状の1枚くらいもらってもいいかなと思える。でも目の前で落としたハンカチを拾ってあげただけなのに菓子折り持ってお礼に来られたら、いやいや戴けませんと。ごく当たり前の事をしただけですと。その感覚にとても近い。


だからわたしは今年から父の日はいらない。プレゼントも不要だ。前もって娘たちにそう宣言していた。
そこまで言い切るわたしだけど、義父にはしっかりとプレゼントを差し上げた。

なぜなら義父はプレゼントを欲しがる人だから。義父に対しては普段から大げさなくらいに謝意を示しているけど、義父は分かりやすい形の感謝を求める人なので。


そういう訳で、今年の父の日は娘たちからプレゼントをもらえなかったのではなく、もらわなかった。これが来年も続いてくれると、わたしとしては非常にありがたい。


そもそも、年に一度の由来も知らない父の日に感謝してもらわなくても、娘たちの感謝は普段から充分に感じている。むしろ娘たちの父親でいられる事の感謝として、逆にこっちがプレゼントをあげたいくらいだと思ったけどめんどいからやっぱいいや。